黄昏のシーン 記憶の記録

 

ふと思い出した。
というか、ずっと忘れられない情景ってあるじゃないですか。
古い8mmビデオみたいな。短いシーンのつながり。

 

所謂「たそがれどき」ですね。

夕暮れ時のことを指しますから、赤味がかった色合いを思い浮かべる方が多いかもしれませんが、僕のその記憶の中ではセピア色です。いや別に笑いごとじゃなくて(笑)。
そんな色合いの夕暮れってあったでしょう?40年前とは言いませんが、昭和50年代の地方都市の住宅街。時刻はぎりぎり街灯が灯る寸前。季節は暑くなる前か寒くなる前。
僕は盛岡市にいたので比較的「乾いた」空気を憶えています。
その頃って、土がまだ至る所に残っていたんですよ。砂でもいいです。
道路はもちろん舗装されていましたが、その道路端、団地の裏、遊具のある公園、低い垣根の庭、空き地・・・。開放的だったし、雨が降らない日が続けば砂埃までいきませんが、新田町の色はトーンが埃っぽくて落ち着いていました。

 

僕がたぶん中二のときですね。
学校が終わって家にいたときに、1年生の女の子が突然訪ねて来ました。
何故そのときだったかはよく分からないし、何の話をどれくらいしたのかもまったく憶えてません。
僕は確か同じ1年生の徳子ちゃん(美人)とつきあっていたと思うので、もしかしたらその1年生の子が思いつめた感じで来たので割と気持ちは知らないふりをして早々に追い払ったのかもしれない。
玄関先で話して帰したのは確かなはずです。

それから少し時間をおいたと思います。すぐではない。
ちょっと気掛かりになって外に出たんです。

というのは事象の記憶です。シーンの記憶ではない。


ここからだんだんとシーン、「映像」の記憶になります。

僕は父親が勤めてた国鉄の社宅の団地に住んでいて、公園があったんですが、出掛けて行くとそこの公園のブランコに、訪ねてきた1年生の女の子が座っていたんです。

記憶の8mmなので音声はありません。
地方都市の中心地の中学ですから、お互い歩いて何分という所に住んでいます。
だから僕は心配というほどでもなかったと思うのですが、彼女を家まで送っていくことにしたようです。

 

所在なさげに隣を歩くか細い彼女の横顔、ぽつぽつと明かりが灯り始める家並み、一歩一歩踏み出すごとに何もかもが急速に輪郭を失って暗闇の匂いがしてくる鮮やかな感覚。
とてもぼんやりとしています。黄金色というと輝いてしまうからやはりセピア色ですね。
すごく色数が少なくて画素も粗い。砂が混じってるみたいにザラザラしてます。
どんどんフィルターがかかっていきます。
思い出補正ですけれどね。

 

そのシーンが忘れられないんですよ。あの色彩。
もう二度と体験できない。
なんていうんでしょう。空気感?雰囲気?佇まい?ムード?どれも違う。

たぶん会話なんてほとんどしなかった。
僕はその当時から女たらしだったけど、やっぱり昔から純粋な女の子に気持ちを真っ直ぐにぶつけられると上手く取り扱うことが出来なかった。
その子もそれは分かってたんじゃないかな。

女はいつも先を行ってる。
どうして俺が自分を心配して探しに来るって分かっててブランコで10分も20分も待ってられる?僕が普段は別の女の子と楽しく遊んでるのを知ってるくせに。
自分のことも相手にしてくれるって分かってるんですね。


まあそれは女の心情。


僕らは黄昏の時刻に何かもう景色が夜の中に静かに溶け込んでいく中を誰ともすれ違わないで何ひとつ音を立てず彼女の家にたどり着き、無事に彼女を送り届け、後のことはもう憶えてない。
彼女には指一本触れなかったし、その後に困らせられることもなかった。


ただ彼女は僕にあの最高に素晴らしいフィルムを残してくれたから、僕のところに来てくれて感謝してる。彼女のおかげで僕の人生の彩は豊かになっていったと思う。

 

それが、「人生ですれ違う大切な人」のひとりの例だ。