「うたかたの日々」 ボリス・ヴィアン

 

うたかたの日々/ボリス・ヴィアン


本の中身について書けるかはちょっと分からないままノープランでスタート。


「あなたの一番好きな本はなんですか?」とか、「一番お勧めの本はなんですか?」とか、「今まで読んだ中で一番面白かった本は?」とかさ。まあそこから長話できるんだったら会話の取っ掛かりとしてはとても刺激的で楽しいですよ。
こういう本がありましてね、でもこういう本もあってですね、だからあなたにはこれをお勧めしたい何故なら、みたいなね。
一問一答だと無理ですよ。まあこれは音楽でも映画でも絵画でも食べ物だってなんだって真摯に答えようと思ったらまず無理じゃないですか。
(だから僕はある人に「一番好きな映画なに?」って訊いたことを野暮だったなと思ってるんですが)

まあ本の話に限定していきます。キリがないんで。
たとえばジャンルを限定していきますよ。「好きな推理小説は?」とか、「好きなSF小説は?」。いやこれも難しいね。言われた瞬間パッと浮かぶものは確かにあるんだけど、続けざまにパパパっと浮かぶ。それに順番なんかないですからね。これがあればこれはいらない、って話はないですよね。で、訊いた相手もそうは思ってないと思うんですが、ただ1冊でぜんぶの側面を判断(値踏み)されることになるのでそれはやっぱりそんなに自分は単純に出来てない。と思う。

たとえばですよ?
(あ、今この瞬間にこのテキストがもっのすごい長文になることが確定した気がします。申し訳ない)
たとえばですよ?好きなSF小説は?って訊かれて、僕はまず「ニューロマンサー」が頭に浮かびますよ。瞬間、「高い城の男」、「結晶世界」、ああもうそのへんぜんぶ!ってなるわけじゃないですか。だって「ニューロマンサー」からにしたってギブソンの作品としてはスプロール三部作なら「カウント・ゼロ」の方が断然に好きですよ。ただ、それは「ニューロマンサー」ありきの作品なので・・・。とかね。もうグダグダ言いたいじゃん(笑)。
よし、やめよう。

 

僕はですね、割と良質な本を一冊持ってるんですよ。
というのは、活字に抵抗のない人ならまあまあ読みやすいボリュームで、内容も「軽く」も読めるし「深く」も読める。描写も活き活きとしていて飽きさせないテンポがある。
ただ!これで「値踏み」出来るんです(笑)。(バラしちゃった)
魔法の本なんですよ。
いや、僕個人の話ですから。誰彼構わず渡しません。
逆に言うと、僕に取ってものすごく大事な本なので、本当に大事に読んでくれる可能性のある人にしか渡せないんですよ。

いや、その本自体はまったく気楽な本だと思いますよ。今書いたけど活字に抵抗なければ誰でも楽しく読める。ただ、どこまでだった?って話になるわけです。別に感動する話でもないしスペクタクルな話でもない。薄い本です。読もうと思えば1日で読めちゃうよね。
もしかしたら何も残らないかもしれない。言っちゃうと後半は面白くない(笑)。
でもねえ、僕はものすごくこの本を愛してるんです。
実はそこなんですよね。僕みたいな人間が人に本を渡す。それはまあ愛の告白とは言いませんけど(笑)、あなたを信じてみたい、という願いは込められているんです。あ、いや、言い過ぎたな。ごめんごめん仲間意識仲間意識(笑)。単なるレコメンド。

でもその本を僕という生身の人間が渡すわけです。マブさんがこれ面白いと思うから読んで、ってくれた本。をちゃんと読んでくれる人にしか渡したくない。
というのは、これまた矛盾というか逆に言うと、僕はその本で値踏みされるわけですよ。

ちょっと脱線する。
たとえば僕は人に本を勧めるの大好きなんで、ゴリゴリの左翼の友達に「テロルの決算」読ませて喫茶ルノワールで喧々諤々の議論やって楽しかったりするすごく性格の悪いのは自覚してるわけです。もちろん彼が持って来た「9条どうでしょう?」は買って読んでます。
だからおまえは「人間の土地」を読め、と言われればちゃんと買いますよ。申し訳ない、まだ読んでねえ(汗)。

まあなんていうか、「相対」と、「ファーストインプレッション」ですかね。
初対面で何者か分からない同士が本をお勧めし合うみたいなのも面白そうですが、僕はそんな強者じゃないし、もっとさりげなくカッコつけたいじゃないですか(笑)。
まあ今バラしちゃいましたけど。
人に本(でもなんでもいいけど)をお勧めするときって、本当に自分が掛け値なしに心を動かされて、「ねー!これ読んでー!!」ってすごく理解し合ってる友達に言うなら簡単ですけど、そうでない場合はね、実は怖気づくぐらい難しいです。


話進めよう。
何かしらの関係性があって(もなくても)、本を紹介して、それがまあまあ丁寧に読まれたという感触を得られれば(値踏みクリアならば)、僕は少なくとも「本」に関しては信頼関係が結ばれたかもしれないという期待を持ちます。まあさ、「マブの持って来る本は一応読んでみる価値あるか」ってなものでね。
こちらはすごく楽しいですよ。人に何かを選んであげるってすごく楽しいじゃないですか自己満足だから。つくづく思うんですよねえ。プレゼントって本当に自己満足だなって。いやいいかこの話は(笑)。
でもさ、それで人を喜ばせられるって本当に素晴らしいよね。まあ成功した場合ですが。
だから失敗もあるわけですよ。

もしかしたら失敗だったかも?という例はいくらもあります。
僕ね、年寄りで変人なので、海外翻訳ものって旧訳が好きなんです。なんでかって理由はいろいろあるけどまあ当時はそれしかなかった、というのがまずありますよね。
うーんとね。あと少し言うと、旧訳ってそうは言っても頑張って当時翻訳の方が訳したわけでしょ?ということはそこにその当時の日本が含まれてる。なんてなー。
新訳というのは言語の相互理解がより進んでいるわけだから、新訳の方が素晴らしいんでしょうね。
ということで、超名作の本があって、それを持って行ったことがあるんですが、何をトチ狂ったか大人気の新訳じゃなくて旧訳を渡したんですよ(笑)。
今考えると予感があったんですかね。なんか解説?まで行かなかったけどなんか書いて一緒に渡した。A42枚?ちょっと待って。あるかな。

・・・。

前にも探したんだけど、なんでか無いんですよ。データですよ?なんで無いかな。恥ずかしくなって消したとか?俺が?この俺が?(笑)
なんか本文を引用をしたんですよね。確か。それで、あんまし何枚も書くと気持ち悪いと思って、文字ポイントを極力小さくして(笑)、それで1枚か2枚に収めたからあんまり言いたいこと言えてない感じのよく分からない文書をくっつけてしまった気がする。
僕の印象では、あくまで僕の印象ですが、あまりヒットしなかったかな。
そう思うと、僕が渡したその本て、「精神がおかしい青年」若しくは「精神がおかしいまま年を取ったオールドマン」が読む男のコ向けの本だったと思って反省した。これは、押し付けだったなと。ベストセラーだからって誰にとっても必要かって話で。僕自身別にベストセラーに興味ないですからね。音楽も映画も本も個人の体験ですよ。
ただ、この場を借りて言い訳すると、これでひとつ僕という人間のパーソナリティの紹介にはなりましたかね。こいつ病んでんなって(笑)。それがプラスに働いたかマイナスに働いたかはどうでもいいんです。分かるってことが大事だから。
一応ですね、後から新訳も持ってったんですよ。そしたら後日「新訳の方がぜんぜん読みやすいじゃん!」て言われて_| ̄|○ってなりましたけどね(笑)。いや、なってないです。読み比べてくれただけでさすがだなと思った。

まあ今ひとりの人のことを例として書いてるのバレてますよね?
違う本の話しよう(あれ?うたかたの日々どうなった?)。

ティファニーで朝食を」で有名なトルーマン・カポーティという人がいますね。
僕は映画も原作も読んだことがない(笑)。
まずヘップバーンなら「麗しのサブリナ」だけあればいい。いいかこの話。
カポーティはね、「冷血」ですよ。これ一択。
この作品はノンフィクションノベルという訳の分からないジャンルで、要するにインチキですよ。実際にあった陰惨な殺人事件の犯人をセンチメンタルに描く。で、この書いたカポーティ本人も鬼畜なんだけど書いて病む、っていうすごい作品なんですよ。
これはねー、けっこう分厚い本だから人に渡せない。
過去にある人に読ませたことがあって、その人は僕が外国にいるときに、とある本が「冷血に匹敵する」と宣伝されて日本で出版されたとき分厚いハードカバー買って持って来ました。
まあ二人で「そうでもないよね?」って話しましたけど(笑)。

 


いやあ、本の話もっとたくさんしたいな!別に内容の話いっさいしてないけど(笑)。
「ロリータ」の話を書いたらもうヤバくてさ。これは本当に誤解(?)されると思って出せないとか、チャンドラーとかハメットとかもう今の時代では読まれてないハードボイルドの話とかちょっと前のエントリーに少し引用したヴォネガットの話、あとはバタイユとかさ。本の内容はどうでもいいんだよ。そこから派生する駄話をしたいわけ。まあさっき書いた左翼のマブダチが本読みだから時々やるんですけどね。腹が割れてるんでマウントの取り合いとかにならないから楽しいですよ。ちゃんと台本あるから。
彼は良識派代表。俺は悪徳。


それでですね。悪徳ばっかりではいけないと思うんですよ?

だから僕は自分の中に残っている一番無垢で残酷な魂が「うたかたの日々」を愛するんです。
来たよ。

20世紀最大の悲痛な恋愛小説って言われてます。
あじっさいのところ、このね、このブログのエントリーのここまでたどり着いた人なら読んで欲しいなと思います。
読む前に調べものするのはナシがいいですよね。

ビックリしたのは、ナボコフの「ロリータ」で書き物しようとして確認のためwikipedia開いたらストーリーが最後まで乱暴に書いてあってさ、まあストーリーで読むものではないとしても、それ、あり?って思いました。ネットは便利だけど喜びとか真実とか本質を時として奪うので怖いですね。

「うたかたの日々」は例によって最初は旧訳で読んでます。
「日々の泡」ってやつですね。
これもね、実は人に渡したことがあります。反応ゼロでしたね。
まあ段階というものもありますから、僕もちょっと乱暴だったなと反省してます。本に対してね。申し訳ありませんでしたと。
今回は新訳の方を既に何種類かの本を渡している人に託したし、けっこう懇願してきたので(笑)、落ち着いて読んでもらえると思う。

まあめくってみて下さいよ。めくった途端にロマンチックですから。僕にしてみればこれはラブレターです。
長々と書いてきたじゃないですか。魔法の本は値踏みする本だとか、自分のパーソナリティを押し付ける本だとか。まあ即ち交流ということになるのですが、どうですかね。映画や音楽に比べて、今の時代に本というのは少し立ち入ってる感じがしますね僕は。
大袈裟かな。僕に取ってはそういうところはありますね。音楽なら数を撃てる。映画は・・・・、まあ映画の話はちょっと置いておこう。このブログを掘ると面白い話があるかもしれません(苦笑)。
本なんですが。僕は別に読書家じゃないんです。僕は基本的に偏愛の人間で辺境の人間なので、別に自分がスペシャルな人間だとは思ってませんが、ちょっとアイツおかしいって思われてるのは自覚はしてるんです。
いやそりゃ分かるよ。この歳で人目を憚らず号泣したりしてんの明らかに異常だろ(笑)。
でも自分の嗜好性を人にバラすのってこれでもけっこう恥ずかしいんですよ?だからここまでダラダラ書いてるわけじゃないですか。こうでこうでこうだからって。
「人格」というのは他人に対するサービスで一貫性がなければならない的な話があって、それって単純化という側面があるじゃないですか。あと、自分がどう見られているか実はよく分からないというところもある。これは何ていうのかな。信頼性とか距離感とか。
また話が逸脱してしまった・・・。

「うたかたの日々」な。
もうこれ序文から乗れないやつは捨ててくスタイルです。
僕はノリノリですよ。
あーでもこれ以上は書いてはいけないな。
あはは。ここまで来て書かないっていうね。

 

ただ僕は、「読まなきゃよかった」と思うぐらいこの本を愛してますね。


だから読んだらフィードバックが欲しいって思ってるんです。