映画「ジョーカー」
以下の文章は10月7日の月曜日に書き始めました。
俺が病んでるかとかもうどうでもいいじゃないですか。
そこらへんはあなたから見た私、僕から見た世界、の話よ。
で、映画「ジョーカー」を観てきて何やら書くんですが一切配慮しないので申し訳ない(笑)。
当たり前の前提を何度もするんですが、すべての知覚は相対ですからこれは僕だけのジョーカー体験になります。
それにしても二度と観たくないぐらい格別な映画でした。
「凄い」「ヤバい」という表現を使って僕は「良い」ということを褒めたりしますが、ときに「観るんじゃなかった」とか「読むんじゃなかった」、などとも言います。
出会ってしまったが故に人生が変わってしまう何か(誰かとか)というのがあります。
まあジョーカーがそこまでかというと、今の僕は「二度と観たくないけど観て良かった」という表現になりますかね。まあこれらは僕特有の大袈裟な表現なので所謂「盛って」書いてますけど(笑)。
非常に難しいのは、エンターテインメントは確かにハッピーだけではなく、ときに人は「陰惨」「陰鬱」なものを楽しんだりしますが、じゃあこの作品を人は感情のどの部位でどの程度の深度で何を感じて「楽しむ」のだろう?という素朴な興味がありますね。
映画というのは「種類」が限りなくあるじゃないですか。何映画ですか?これ。
そして冒頭に書きましたけど知覚は相対だと思ってます。
別に深読みすることは何一つ無いのですよ。
でも僕には映画の解釈よりも、観た人がどれだけ「血を流した」かにとても興味がありますね。
いやあ突っ走るなあ、俺(笑)。
難しいと言ったのは、筋を書いたら割と普通に想像通りなんですよね。
もちろん裏切りのカタルシスはありますが、ストーリー自体はシンプルです。そうか、そこは「万人向け」なのかな。
テーマも記号的に言えば「虐げられた者が目覚めたとき」みたいなものじゃないですか。まあ面白くないので「悪に」とは書きませんが。
ということは映画としては普遍的な、よくあるやつ。なんです。
ところがジョーカーがヤベえのはその歪さの匙加減なんです。
ハリウッドメジャーが超有名キャラクターの作品を大々的に公開したんですが、これ、面白かったの?どこが?どんなふうに?って訊きたくなる映画なんですよ。
じゃあ僕の話をしますよ。やっと(笑)。
聞かなくても分かんじゃん。
僕は中身の無い人間なのでって言うとまたふざけやがってって言われるか(笑)。
まあ表層的に書けば、いろいろ経験もあって「知ってる」し、当然心に昏い森もあるし、物語は入り込んで楽しむタイプなので思いっきりジョーカーになり切って観ましたよ。
僕が物語(=自分では無いもの)を好きなのは、やっぱり自分の想像を超えた体験が出来るからなんです。
でもそこで思うんですよ。
味わい具合って人それぞれだけど。って。
ただ、アベレージ的なものはあると思うんですよ。
あくまでアベレージね。アベレージとしてステイサム映画を深刻に観る人はあまりいないでしょ?(笑)
その、まあ深く考える必要なく楽しめる「エンタメ映画」とか呼ばれるアクション映画を僕はステイサム映画と呼んでいるのですが、大好きなんですよ。
確かにある種の侮蔑的要素を含んだ表現になってますけど、ジェイソン・ステイサム本人も自身のキャリアに於いて「トランスポーター」を諧謔しているのでこれはこれで有りなんです。大好きですよトランスポーターシリーズ。
ジェイソン・ステイサムについてはまたいろいろ語りたいんですが、まあ置いておこう
(笑)。
だから、そういった乗っかってしまえば運んでくれるエンタメ映画とジョーカーは違うのは確かじゃないですか。
僕はジョーカーの予告編をツイッターで見て、「最高に病んでる映画らしい」という話をチラっと見たときから映画の情報を一切シャットアウトしたんですよ。
何にも入れない状態で観たかった。
で、昨日観たばかりなのでまだツイッターのNGワードから外してないしネットの評判もまったく検索してないので、つまり世間の評価をまだ知りません。
迂闊なことがあって。
ひとつは観る前に、ある別の映画について書かれているリツイートを読んだときに面白かったのですが、スレッドになっていて一部表示されなかったんですね。
それってツイ消しの痕跡だろうと思ってよくあることなので特段気にせずにそのツイ主の別のツイートを読んでみたくてアカウントを開いたんですよ。
説明が雑だったらすみませんが面倒なので進みます。
映画の評論的なことを書いている人のアカウントで、有名な人かどうかは知りませんがとりあえずなんとはなしにスクロールしてたら、さっきのツイ消しの痕跡はツイ消しじゃなくて僕が自分で設定したNGワードをツイッターがちゃんと非表示にしてくれてた痕跡だったんですよ!
そういう仕様だと初めて知ったのですが、アカウントまで行くとNGワードでも表示されるんですね。ミュート機能と似たようなものかと理解しました。
だから見てしまったんです。「ジョーカー」というワードを含んだツイートを。ジョーカーを観る前に。
僕が面白がったリツイートは一連のスレッドで、簡単にいうと「Vフォー・ヴェンデッタ」と「ジョーカー」は同じストーリーである、という解釈の話だったんです。
ネタバレじゃん!
迂闊でした。curiosity killed the catですよ。いや違くない。
えー!?チクショー!と思いましたけど、まあぜんぜん傷は浅かったですね。
今改めて思うと非常に面白い解釈ですね。
ジョーカーとの類似性を書いた後に、Vフォーは15年前の映画で現在の英国はどうだって話が連なってて刺激的だと思いました。
今後ジョーカーをNGワードから外したり、ネットで検索したりすると様々な感想や解釈や論考や解説やら何やらがいろいろ読めるでしょうがハードルが上がりましたね。
「ジョーカー観た面白かった」「キツかった」とかはぜんぜんいいんです。
まあぶっちゃけ後は好悪の問題になってしまいますかね。
つまり先ほども書きましたけど、「虐げられた者が悪に目覚めて復讐に立ち上がり民衆のヒーローに祭り上げられる物語」みたいな箇条書きをされたらげんなりするんですよ。
僕はジョーカーを観て血を流した人の文章を読みたいから探すと思うんですが、その中に表層的な感想がたくさんありそうで面倒くさいなあみたいなところもあって(笑)。
「こういう映画に影響されてバカなことやるやつが出てきそう」とかね。その貧しい「共感力」の中から血まみれを探さなかなきゃならないかもしれない。
まあ、ぼちぼちやります。やんねーかも(笑)。
もうひとつ迂闊だったのは観た後だからまだ良かったんですが「JOKER」表記です。
これはNGワードにしてなかったし、ひとつも無かったんですよ僕のツイッターでは。
何故か昨日の帰り道に突如現れましてね、たったひとつ。
内容は「アメリカで物議を醸してる」的なことでした。ポリコレを無視してるとかなんとか。まあ影響力の話だったかも。
よく読まないで閉じたので分かりません(笑)。
あとあったのはゴッサムと70年代のNYとの類似性の指摘ですかね。
これを「違うだろ」という論調で書いてるのも「ジョーカー」の文字が入ってないので出て来てしまいましたが、ネットニュースの記事のコメントだったので記事は読んでません。
そこらへんの背景的なものは今はあまり興味がない。後で町山さんの情報に当たってからいろいろ調べると思います。
観たい映画があったら町山さんの情報は絶対観る前に入れないですね(笑)。但し、観た後は入れたい。金払ってでもってやつです。観る前に入れておくとより深く理解できる情報も教えてくれるんですけど、いかんせんネタバレ前までぜんぶ言っていただけてしまうので(苦笑)。
なので、観る前は我慢して、観た後に勉強させてもらって、後でもう一度DVD等で確認する、という手法を取ってます。
ぜんぜん自分の話してませんね。
するかよ。
断片しか憶えてないので、説明できる印象的だったシーンを紹介します。
初めの方にアーサー(後のジョーカー)がピエロの仕事中に襲われます。
ただ非行少年の憂さ晴らしのためだけに暴力に曝されて路地裏で横たわるのですが、全身が映された路地裏のカットで衣装のアクセサリーの胸の薔薇から何か液体が滴り落ちるんです。
普通に考えれば血なのでしょうが、それにしては色がちょっと薄い気がしたし、銃で撃たれたわけでもないのに妙に長く滴り落ちるんですよね。薔薇の花から。不自然。なんだろ?と思ってると、ドーン!と「JOKER」のタイトルが大写しになるんです。
僕がジョーカー世界に入るきっかけ的なカタルシスはこれも割と最初の方に来ます。
理不尽が重なり仕事をクビになったアーサーがガラガラの地下鉄に揺られていると、ゴッサムでは勝ち組の電通(じゃないけど(笑))の酔っぱらったリーマン3人組が乗って来て同乗していた若い女性にハラスメントをします。
その「嫌悪感」か「緊迫感」的なものから?脳に病気のあるアーサーは大声で「笑う」発作が出てしまうのですが、それで電通マンは当然「なんだてめえバカにすんじゃねえぞ」となり、殴る蹴るの暴行を始めます。抵抗できないアーサーは咄嗟に同僚から半ば強制的に渡されていた拳銃で相手を撃ち殺します。
このシーンはシビれましたね。最高にスカッとしました。
悪役を撃ち殺すシーンは何万と映画の中にありますが、これほどまでに突然にスカッと、ただの六本木の調子に乗った、けど自分に暴力をふるってきた、いけ好かない野郎どもをぶっ殺す痛快なシーンは他にはあまり思いつきません。この流れは最高に溜飲が下がります。
一人取り逃がしそうになるのですが、しっかり撃ち殺します。やっちまえ!!
そして初めての突発的な殺人ですから焦って一目散に逃げます。
ビビってどこだったかのトイレに逃げ込みます。
そこで落ち着きを取り戻したとき、すら~っとキレイに踊るんですよ。満ち足りた仕草で。
最高でしたね。それが描かれてたし、僕はそう捉えました。
但し警報が鳴りました。
まだ映画始まったばっかじゃん!
絶対これから絶望させるつもりじゃん!
見え見えじゃん!!!!
てね。
案の定、でしたね。
僕のクライマックスは母親のカルテを読むシーンですかね。
ジョーカーが難しいのはどれが「本当」で「現実」でどれが「嘘」で「妄想」なのかなんだか最終的に分からないところなんですよ。後で整理して見れば分かるでしょうがアーサーの世界に入るとよく見えなくなる。
で、母親が「あの子は泣けないんです」というようなことを言った記録を読んだ(映画では母親が証言する再現シーンがある)ところでアーサーは「笑う発作」を起こすんですが、僕はそのときやっとこれは脳の病気という記号ではなく、彼は「泣いている」、嗚咽なんだ、と気づき、涙がこみ上げてきました。「笑う」ときは基本的に高笑いなんですが、それは号泣ではないんです。嗚咽です。
僕の解釈です。
正直やっぱり気持ち悪いんですよアーサーって。
見るからに神経過敏そうで、映画だから彼の置かれている状況や心象風景が語られますから同情的にはなりますが、実のところ自分の「恥部」を晒されてるようなところもありますから感情移入しながらも嫌悪感が確かにあるんです。
そして非常に差別的なことを書きますが、病気とはいえ笑ってはいけないところで高笑いされたら頭では理解しますし腹は立ちませんが違和感は本能的に感じてしまうのに打ち勝つほど僕は聖人じゃない。
でも、あそこまで語られたら僕も「笑い」ますよ。
それで僕は、そういった原体験は無いのですが、世の中にはそういうことが数多くある、ということを知っていて、その「凄惨」を知っている。つもり。何故なら興味本位で昔はその手の情報をかなり漁ったことがあるんです。深淵を覗こうとしたのですかね。
今はもう無理。見出しだけで退散です。
まあ、このぐらいにしておきますかね(笑)。
キリがない。
そういった訳で、映画エンターテインメントのプロたちが寄ってたかって作った作品がこれって何だろう?というそれを考えたときの「怖さ」もありますね。
これを世界中の人が楽しむ、売れると思って作ったのか、と。
文化?考えたの?金儲けのための?意義って何?ウロウロ…。
ターゲットが世界中にいたんですね。俺とか(笑)。
最後に、映画作品としてネガティブなことを書いておくと、クライマックス的に用意された暴動シーンの演出の凡庸さで200億点が100億点ぐらいに下がりました。けっこうガッカリ。
一緒に観に行った友人は当初そのシーンについて肯定的でしたが、説得されて(笑)最終的に僕に同意しました。
これは落差の問題で、暴動シーンそのものを取り出してみれば別段否定されるところは無いと分かってはいるのですがそこが問題で、そこに至るまで観る側を散々打ち砕くような歪な物語演出をしておきながら、暴動シーンは何故かいつもどこかで使われているような表層的な演出ではっきりと退屈でした。
ただ僕はその時点で既に視点が違ってしまっていたので、つまり僕は途中から僕のジョーカーを作ってしまっていて、その通りにならなかったから正に気が狂っていたのかもしれません。
友人からは、妄想だったことに対するフラッシュバックシーンは説明過多ではなかったかという指摘があり、僕はそれは観ているとき気になりませんでしたが言われてみれば無かった方がより「想像の記憶」=妄想が立ち上がったかもしれません。
つまり、逆に言うと暴動のシーン含め映画エンターテインメントとしては親切に作られてはいるとも言えますかね。いや別に皮肉は言ってない。
僕と友人はちょっとアレなんだと思います。アレ(笑)。
それからデ・ニーロのキャスティングは「高度」過ぎますね(苦笑)。
あれだけ底の浅いキャラクターに配役されて、しっかり軽薄に演じて見せたデ・ニーロの凄さが分からなくて混乱します。
ほら。何がなんだか分からなくなってしまったよ。
以上は、書かれている通り、映画を観た次の日に思うまま書いた文章です。
どうせ、これ以上にも以下にもならないのでそのまま出します。
後はせっかくだから主演のホアキン・フェニックスのことを少し書きますか。
といってもまあまあ観てます、ぐらいのもので、フィルモグラフィーを覗いたらそんな感じでした。
僕は案外と映画館で映画を観ない方なので、どの作品が最初のホアキン体験か定かじゃないんですが、やっぱりきっと「グラディエーター」でしょう。
ただ、僕はこの映画嫌いなんです(笑)。ビデオで観たんですが、観た後に当時の彼女とケンカしましてね(笑)。まあ、僕がまた不用意な一撃を食らわせて彼女がキレるというよくあるパターンなのですがワハハハハ。まあ、だからさ。この話はやめだ。
ホアキン主演の映画で好きなのが2本あって、「戦争のはじめかた」と「アンダーカバー」です。
「サイン」と「her/世界でひとつの彼女」も嫌いじゃないな。
「戦争のはじめかた」という作品は一風変わった映画で、ドイツかどっかに駐留している米軍の兵隊の話なんですが、笑え、る、、、と思います(急速に自信がなくなってきた(笑))。
いやこれもまたとにかく変な映画なんですよ。トボけた映画というか。
たとえば「アメリカン・スナイパー」だったら僕らの属性でも想像力でリアルを感じられるとするじゃないですか。分かりませんよ?実際の戦場がどうかとか。でもまあ、違和感は知らない。
ところが、この「戦争のはじめかた」のアメリカの兵隊たちって、本当にこんな感じなの?というギャップがある。いやさすがにここまでじゃないだろ、と思うのですが、分かりません。
どんな話かいっさい書いてねえ(笑)。
コメディ・ドラマですかね。戦争映画ではないです。駐留してるだけだから。
調べてから観てもいいですけど、まあ好きにして下さい。特にお勧めはしませんが僕は気に入ってて何回も観てます。年に3回は観るかな。目安。
「アンダーカバー」は犯罪ものですかね。シリアスです。
ただこれは目当てはエヴァ・メンデスです!(大声)
エヴァ・メンデスとイチャイチャ。それがすべて。マジで。
と書いてしまうと終わるので、ストーリーはよく出来てますよ火サス的に。
簡単にいうと「火サス」=良く出来てるから悩まずに観られるドラマ、的なものだと思って下さい。
メンツもいいです。マーク・ウォールバーグが出てます。あとは何といってもロバート・デュヴァルですね。ゴッドファーザーのトム兄さんですよ。いやお爺さんになりましたけどね。
この映画は割とステイサム映画に近いところもあると思います。ジョーカーと比べればの話ですが。つまり「無問題作」です。すごく好きですね。なんか人はこういう作品は1回観たらもういらないみたいなのですが、僕はエヴァ・メンデス大好きだし、最後まで面白いことが保証されているが分かってるので何回も観てしまいますね。まあこれも年に3回くらいですかね。
12年前の映画で年に3回観てるということは、単純計算で(暗算いっさい出来ません)まあ30回以上は観てるだろうということですよ。30回...バカだな俺(笑)。
それ以上に観てる映画作品というのはいくらでもあって、その話はまたさ、長くなるから。いつか。
「ジョーカー」ね。
こんな俺に言えるなら言って欲しい。「観たよ」って。
すっごいうんざりした顔で訊きますよ。
「んで?」って。
そしたら是非、僕の心を殺して下さい。
あなたがジョーカーならば。