吃音からの思い出 記憶の記録

 

そういうわけで今、千葉県にいます。


車しか移動手段が無い現場で、仮住まいも最寄駅からは遠い。
同僚的な人に吃音の人がいて、時々その人を最寄り駅まで車で送ることがある。今日とか。
そういえば中学生のときに一時期通っていた塾の先生が吃音だったなと思い出した。

 


僕らは中学生だったので、「先生、ドモってんね」と悪気もナシに言っていて、先生は、ドモりが原因で保護者から苦情が出て学校を辞めざる得なかったと言っていた。それはひどい話だなと子供ながらに思った。まあそれは俺たちは先生が好きだったからだ。


先生の教え方は特殊で、授業は無い。
何をするかというと、問題用紙と解答が書かれた用紙を渡されて、問題を読んで分からなければ解答を見て答を書きなさい。それだけ。
それを何回もやる。問題用紙の種類はいくつもあるので1枚やり終えたら次のプリントに移る。何枚もやっていくと前に見た問題が出てくる。答え書いたな?こう書いたかも。憶えていなければ解答を見て書くだけ。これを何度もやっていくうちに、過去に出てきた問題は記憶の断片を頼りに考えるようになる。これが石川塾の教え方だった。


先生宅の敷地内に建てられたプレハブの中、長机の座卓で俺たちはほとんど寛ぎに来ていた。もちろん時間内に集中して勉強している人たちはいた。
騒いだら静かにしろと言われるが、あとは特に何か怒られることはない。中学生の俺たちは「合法的」に夜間外出出来るので塾には休まず行った。あまり真面目に取り組んだ記憶はない(僕は無事に第一志望の高校に合格しました)。

あまりにダラけて(いつまでも)いると先生が「じゃあ双六やるか」と言い出す。マジかよ~またかよ~と俺たちは不平を言うがもちろんやるし、最終的に白熱する。
双六て…(笑)。
俺もさすがにそこまで旧い時代の人間ではなく、大きな模造紙に書かれた先生お手製の双六は一回で十分だったが、何回もやった。気分転換にはいい。
但しルールがあって、俺たちプレイヤーはサイコロは振るがコマに触れるのは先生だけだ。先生はゲームには参加しないのでコマを動かす。これは今考えるとフェアですね。
双六がどんな感じだったかは1ミリも憶えてない。ものすごい素朴なやつ。


僕らは中学生だったので、「先生、ハゲてきてね?」と悪気もナシに言っていて、先生は、風呂で頭を洗っているときにシャンプーと間違えて風呂釜を洗う洗剤で頭を洗っていたらハゲてきたと言っていた。それは怖い話だなと子供ながらに思った。先生は菊池寛みたいなルックスを思い出してもらいたい。もじゃもじゃ頭だが禿げてきていたごめん指摘して。

 


塾が終わると俺たちはチャリンコに乗って空き地へ行った。昔の田舎には空き地がどこにもあった。誰かの土地だろうが区画はされていないし侵入して騒ごうが誰にも怒鳴られることのない空き地。真っ暗だ。


何をするかって花火戦争するに決まってるじゃないですか。

ロケット花火などを水平打ちするのだが、もちろん顔は狙わない。まあでもどこに飛ぶか制御は出来ないのでみんな下向きにはしていた。分別があったかなかったかは子供なりだ。
俺たちは当てることより派手に飛んでいく様を見たかったのでチャリを縦横無尽に駆りやたらとビリビリ光が散る花火を投げ合って遊んだ。全員敵同士で、少なくとも俺は花火で火傷を負ったことはない。チャリでコケるのは昼間でもあることだ。
瓶のペプシはまず飲んで、それにロケット花火を挿して飛ばしているので、帰りはどこか野良の水道で水を飲んで顔を洗って帰った。

 


言い忘れたが、プレハブの勉強部屋には男しかいない。
女子は本宅の一室で勉強していた。そりゃあ先生もちゃんとしてる。俺たちもその方が良かったんだ。

授業がない塾だったので開始時間も終了時間もない。なので行き帰りに女子と出くわすこともほとんど無かった。

 

ある晩、上中の女子と外でバッタリ会った(俺は西中だった)。

「あんたのこと知ってるよ」

と彼女は言った。

俺だって君のことは存じてましたよ。ショートでキリっとした美人が来てるって。
いつ会えるのかなって思ってました。


以上。話はこれで終わりだ。