ライフログ 2020.03.17




流行り病について書きましょうか。


特別なことは何も無いんですよねー。
人それぞれ、これを信じよう、っていうインフォメーションから受け取ったものを信じて行動してますが、もう普通?普通というか僕みたいに毎日公共の交通機関に乗って仕事に行って帰って来たら、って考えたら基本的に出来ることをするだけだなという感じになりますよね。

僕は情報源をネット、それもほとんどツイッター経由で入手してますけど、気をつけているのは「すべての情報は軽率に信じない」ということです。
そのために具体的には普段から自分と異なる意見、思想や考え方を持ってるアカウントをウォッチすることでなるべく自分をニュートラルな状態にしておく、ということですかね。

難しいのは、誰も信じられない、みたいな感じになってくることですね。
自分としては割と信頼できると思っているアカウントからの情報もリプライを丁寧に辿ってみると反証されていたりするし、話題によっては極端だなと感じることもあり、これは鵜呑みに出来ない、となる。

でも、けっきょくどれかを「信じる」しかないじゃないですか。
見ても聞いても仕方ないから何もインプットしないというわけにもいかないじゃないですか。

ただ僕はこのご時世で、やはり人は怖いなあと漠然と思いますね。
自分は静かに怯えるしかないけど、大きな声で聞こえてくるのはあまり楽しい話ではない。
楽観的な意見すら気味が悪いです←というのもひとつの大声。
祈りの言葉すら呪詛に見えてくる←これも。
そうでない軽率な憎悪と差別の氾濫といったら目も当てられないですよ。

 

それで僕の好きな人がツイッターで病んでしまいましてね。
僕も気持ちは分かります。

これは生存本能だから仕方ないと思うのですが、病気というのは嫌われるじゃないですか。
そりゃあ当たり前だ。誰でも病気にはなりたくない。
病気の個体は群れから追い出されるんですよ。
野生ではね。

ああ、人間は野生動物だったんだ。って思いました。

 


ここからはSNS上では書かないことを書くのでよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今もね、ツイッターをちょっと開いたんですけど、ある「偉い人」が陽性になったニュースに対して「何しでかしてんだ!」と。
これ、エイズのときと同じですよ。
エイズのときも罹患した人が攻撃されましたよね。いちいち書きませんよ。
確かに区切って考えてみて、この度の流行り病は予め「適切」な行動を取っていれば罹患しないような風潮になってますし、僕もそう思います。
たださ、だからってさ、罹患した人を攻撃する必要はなくないですかね。


ここだけの話ですけどね、僕は出勤停止になったんですよ。
母親が風邪を引いたので心配なので一日だけ休みましたが熱も下がりましたし、自分も体温計で体温を測りましたが平熱です。って言ったのですが、会社からは公的機関から陰性である証明を取るまで来るなと言われましてね。まあ命掛かってますからね。自分が会社なら同じようなことを言うと思います。ただ会社都合だから補填はするかな。

いろいろ理を説いて、けっきょく医者から「病気ではありません」診断書を取ればいいということになりました。
それで僕は普段健康体だから内科のかかりつけのお医者なんていないし、病院探して電話して相手が出た瞬間に何て言えばいいか一瞬分からなくなりましてね(笑)。
「えーと、すみませんが、自分が健康です、っていう診断書は出してもらえますかね?」って訊いたら、向こうもこのご時世だから察してくれて、先生に相談してみますのでお待ち下さいっつって相談の結果、出してもらえることになったんだけどさ、病気じゃないから自由診療なんだって!確かに!保険適用しようがないよね(笑)。

まあ問診くらいで(血液検査とかまでしなければ)三千円と診断書の発行料で収まるらしいので会社の名前で領収書をもらおうと思います。負担してくれないかな?
セコい話だけどさ、これで何日か欠勤した上に五千円とかの出費になるわけですよ。自分と家族と会社(社会)を守るコストを俺個人が払ってるわけ。

怖いですよ。正直に話したら会社からこういう扱いを受けて、疑ってかかれば僕は陰性である証明を持ってないという引け目を感じながらこれから仕事をするんです。
これらを僕は仕方ないで済ませますよ。

ウチは父母ともに生きていて二人とも持病を持ってますが、母親は身体が弱いため逆に外に出歩いていないので感染の危険が少ない。父親は人嫌いなので他人と接触しないのでこれも他の人に比べたら感染の危険が少ないと考えられる。行動範囲も狭いですしね。

危険があるのは僕自身なのです(持ち帰るという意味で)。
僕はライブハウスに出入りしてるし(笑)、まあ何しろそれなりに混んでる通勤電車で毎日仕事に行ってますからね。

ライブハウスに関して言うと、そこに感染者がいて無自覚に行動をしていれば周囲への影響は大きいと思います。たださー、それを言ったらライブハウスだけの話ではないので選択の余地のある話だと僕は判断しました。
これは僕の希望的観測ですが、僕がこれから行くライブはおそらくそれほど危険ではない気がします。
まず僕が観に行くライブはオタクが密着して汗だくで盛り上がるような現場ではないので(笑)、皆さん一定の距離を取って大人しく観ているでしょう。今まさにライブハウスは「標的」されているのでオタクも気をつけてると思うし。
そして僕はマスク(予防効果はあまり期待できないと言われている)をして、自分がどこに居れば安全か?どう振る舞えば自分が危険な人間にならなくて済むかを考えながら場所を探します。

 

うんざりするような話ばっかりですから続けますよ(笑)。

 

 

 


僕も差別や偏見や憎悪の感情は持っています。持ってないとは決して言わない。
でもそれはさ、経験で知ってるわけで、どうやって処理するの?散歩に行くときに手ぶらで出掛ける犬飼いはいますか?って話で。手が汚れないように持っていればいいわけですよね。適切な処分方法というのがあると思います。
(数年前だけど着なくなった冬服からキレイに畳まれた小さいビニール袋が出てきてさー。これがいくつも。何着も(笑))


今、僕は具体的に身の危険を感じますよ。いや大袈裟に言えばね。
たとえばツイッター上で、実際に顔を合わせて話したことのある人が「俺たちは楽しみたい。結果的にどっかの遠い年寄りが死んでもいい」みたいなことを書いてるわけです。たくさんありますよ。人種差別だって世界中で起きてるじゃないですか。敵視だらけ。
見て下さい僕のことを。
日本人で自身が高齢者で後期高齢者と同居しててライブハウスに出入りして濃厚接触していて煙草まで吸ってる。
あ、生き残りチャンスあり。持病が無いです!!


フォローの人たちの「本性」とでも言うんですかね。見えてますね。
さっきも書きましたけど、僕も普通の人間ですから好きも嫌いもあるし、特に自分は人と比べてどうとか思っていませんでしたが、俺は今は言うね。あいつらより俺はまとも。
言った瞬間に汚れるという罠(笑)。


最初のうちは少し噛みついてたんですよ。
ちょっとその考え方は良くないな、という「正義感」ですかね。まあけっきょくこれも憎悪となるのでしょうが、相反する意見なりに対して対抗するツイートをしてました。
ちょっと言い訳しますが、時々引用リツイートで「こいつバカじゃねえの」みたいなことだけ書いてある場合ありますよね。僕じゃないですよ?そういうリツイートって僕のTLで時々見かけるんですが、どうなんですかね。気が済むのが不思議ですよ。僕は恥ずかしながら反論系になってしまいますね。悪態はつかないようにしていますが(ついたこともある)、言われた方が嫌な気持ちになるのは同じでしょうね。
ひとつだけ例を挙げます。
中華街のレストランに差別的な文書が送られてきた事由があったんですよ。ご存じない方はご存じないままで。
それがツイッターで公開されて、封筒の宛名書きの文字が「汚い字」だった。
レストランに対して同情的なリプがぶら下がってるのを何となくスクロールしてたら、「字の汚さからいって犯人はホワイトカラーではないですね」というのがあった。
それでね、僕は今ブルーカラーなんでキレましてね。まあキレてはいないですが(笑)。
「これが差別と憎悪の暴露です。これは無根拠のブルーカラー差別ですね。属性と字の端正さは比例しません」
みたいなことを書いて引用リツイートしたんですよ。
後日、引用元からブロックされててびっくりしました。
反論とかナシですよ。ブロック。これは「嫌悪」ですよね。と僕は思いました。これがツイッターか!って思いました。知らない人にカラむもんじゃないですね。
僕の中では自分の書いたことは間違いは無いと思っていますが、わざわざ引用して晒す必要は全くないわけで反省しました。自分にね。

で、それは止めたんですが、相互フォローとなると自然とTLに流れてくるんで困るんですよね。
TLはヒマつぶしに読むので、やり取りもしないし普段から自分に取って有益な情報を流してくれないアカウントはミュートすればいいんですが、上の方にも書きましたけど、有益か無益かの判断は都度決めたい。
耳を塞ぎたくないんですよ。


それで最近信頼しているフォロワーさんのツイートを読んで得心したのは、「我々は、自分が汚れるのが嫌で相手の吐いた毒を解毒しようと頑張ってしまうときに傷つく。だから何もしないできちんと見捨てて軽蔑すること」(超意訳)。
これだ!と思いました。まあこれで済まないことが分かってるからこの人もこれを書いていると思われるフシはあるのですが、これを意識しているかしていないかで僕はずいぶん変わりました。遅いって?まあそういう性格なので(苦笑)。

僕も自分が正論を書いてるとは思っていなくて僕の考えで書くしかないし、このご時世を自分の判断で行動して楽しみを殺さず経済活動もしながら生き抜くしかない。
そこに他者からの異論も含む。それが自分に取って暴論(暴力)に感じられてもスウェーすればいいわけです。スルーか。いやスウェーだろ。パンチは見てかわさないと。

 


もうひとつ書きますよ。

通勤途中の乗り換えでドラッグストアの前を通るんですが「マスクは完売しました」って札が掲示されているんですよ。見ますよね?見るでしょ?
仮にもし札が掛かってなくてマスクがあったら買いますよね?

いくつ買います?

山積みになってたら安心して明日にする?


安心して2、3個、いや、4、、、5、、、、。


長引きそうだし、次いつ無くなるか分からないから買いだめしておくか・・・。

 

集まりがあるから持っていったらあの人に喜ばれるかもしれないからもう少し買っていくか・・・。

 


俺は正常な心理だと思いますよ。


だから何って話でもないですよ。