ゾーリンゲンの話、ほか。

 

ヘンケルス社の「ツヴィリング」というのがまあ正式な呼び方らしいんですが、僕はゾーリンゲンの刃物と呼んでます。


思い出したんですよね。何で俺そんなにゾーリンゲンの包丁に執着があるんだろう?別にその方面のブランドにこだわりは無いんだけどなあ、と考えてたら。


母方の祖父は銀行関係の仕事をしていた人で、今思うと割とお金持ちだったんです。家はそれほど大きいとは思いませんが(大きかったですが)、庭がすごかったです。別に広いとかではなかったですが、あれは今思うと庶民には作れない庭でしたね。広くはないけど、斜面に計算された植栽がされていて手入れも行き届いてました。
説明が難しいですが、なんて言うのでしょう。引き算じゃないやつ。それと鉢植えじゃないです。古い旅館の小さな庭みたいなイメージかな。ボリューミーで立体感があって。まあいいか。庭ではない所にはまあまあの広さの畑もあって、そこでは祖母が様々な野菜を育ててました。東北の田舎です。
僕は祖父とじっくり対話をしたことはなかったのでどのような人だったかは分かりませんが、印象としてはスクエアな人でしたね。怖い人ではなかったですが、特段優しいという感じでもなかったです。冷たくもなかった。威厳があるとは思ってましたけど、接していたのは中二ぐらいまでなのでちょっと掘れなかったですね(笑)。
ゾーリンゲンな。
祖父が使っていた爪切りがゾーリンゲンの爪切りだったんですよ。
とすると45年くらい前の話ですかね。
さすがに僕らは今と変わらない形の爪切りを使ってましたけど、祖父が使っていたのはニッパーみたいな古い形式のゾーリンゲンの爪切りでした。
ある日(僕は従妹らとともに夏休みなどは祖父母の家で過ごす習慣があった)、祖父が爪切りを新調したんです。そのときにたぶん箱か何かパッケージであの有名なヘンケル家の双子のマークを見たんです。子供だったからああいうマーク印象に残るじゃないですか。それにニッパーだし。

祖父の使っている物というのは子供ながらに何か不思議に魅力的な物が多かったですね。単に自分たちが使っている物と違う物を使って何かをしているという点で。
カメラを手入れしていて、それが何だったのかは知りませんが、要するに道具をメンテナンスするという行為をあまり見たことがなかった。
紙焼きされた写真を持って帰ってきて、写真用の裁断機で白フチを落とすんですよ?あのまあまあ大きな碁盤みたいな台にギロチンみたいなレバーがついたやつでさ。あれは怖かったな(笑)。そういう、老人が儀式めいたことをするって何かちょっと謎の威厳がありましたね。
「謡(うたい)」を人に教える人で(どこまで偉かったのかは知らん)、その辺は僕はまったく興味がなかったので影響もゼロなんですが(笑)、能面とかが飾られてましてね。
僕らが寝る部屋で夜僕が横になって見上げると般若の面が見降ろしてて、それは魔除け的ななんかなんでしょうが、小学生にとってはマジで怖かったですよ!

米寿のお祝いは確かロシア料理の店だったな。
ドイツ製の刃物を使ってロシア料理を好んだ。ってさ、なんかすげえ明治の日本人って感じでいいよね。

 

少し追加。
父方の祖父は洋服の仕立て屋をやってた過去があって。というのは僕が関わる頃にはもう引退してたと思うんだけど、元気だったら僕はスーツを仕立ててもらうことにはなってた。
僕が中学生のときに父親が努力して田舎の田舎に建てた山小屋風の家(センスは良かったよ!)には祖父の仕事部屋があって、ロールの生地や大小の裁ちばさみ、竹の物差しなんか一通り揃ってましたね。
今はもうどこかに行ってしまったけど、手でぶら下げて歩ける時代物のトランクがあって、それと祖父が以前に仕立てた細身のステンカラーコート(ダークブラウンでチェックだった)をもらって、それを着て中学に通ってました。伊達メガネして(笑)。あなたいつの時代の人ですか?って感じでしたよ。さすがにハットは被ってなかったです。

 


だから僕はゾーリンゲンの刃物を買わなくちゃいけないし、オシャレには少し気を使わないといけないんですよ。別に血ではない。環境。

 

 

 


※上等なやつが欲しくて今日は包丁買えなかったゴメン!