映画の話をどこからやるか考える



映画の話っていうのもまあまあどこからやるのかというのは考えます。



以前のエントリー「うたかたの日々」で本について書いたんですよ。

僕は相手と自分とのサムシングを確認する本を持ってるって(そんなこと書いてない)。

いろいろ書き連ねることはあるけど、長くなるし聡い人にバカにされるのでやめます(笑)。



それぞれのフィールドがあるじゃないですか。

スポーツマンとか、キャンパーとか、犬飼いでもいい、なんかさ。そうですねえ、自分を提供できる分野って言うんですかね。まあ「価値」と言ってもいいです。

僕はどうですかね。まあ別に人は多面体なのでいろいろあるんですが、このブログでの僕の人格は音楽と本が多かったですね、今まで。いや、単なる駄話が多いか。

ただ今までは割とぶん投げて終わりにしてきましたね音楽も本も。



音楽はねえ、たとえば僕にサム・クックのこととか語らせます?それ僕の恋人だったとしてもイヤだと思いますよ?(苦笑)

知ってました?エルヴィス・コステロの曲、1曲紹介するためになんかすげえ長いエントリー書いたんですよ。「愛と平和と相互理解」っつってね。あれ、最初の方になんか言葉のこと書いたふりしてますけど、何のことはない曲が好きだったっていう話ですからね。

 

本もですね、「うたかたの日々」でグダグダに長話して肝心の物語の内容に一切触れないっていう。まあ、そういうことですよ。

モトカノに言われたことありますよ。「あなたは仄めかすのよ」って。

だから興味深くて面白いときもあるんだけど基本イライラするみたいですね!(笑)




ただですね。僕はあなたに書いてるんですよ。うわー気持ち悪ーい。

いや。だから、このブログを読みそうな人の人格の想定みたいなものはゼロではないんです。そうするとですね、僕は単なる普通の人なので文体とかこんな感じで、ブログ(ネット)用に自分を作ったり出来ないので、逆に僕自身がダダ漏れになるんですよ。

だって見て下さい!誰も俺の話を途中で遮って奪わない!好きなことを好きなだけ書ける!しかも!ツイッターと連動してなくてブログという形式自体がけっこう敷居が高い上に辺境なので、

 

あんまり人が来ない・・・。



まあまあリアクション無いから震えてますけどね。

それがいいんです。たぶん読みたい人はどこからかやって来て読んでる。





それでですね。冒頭の話にやっと戻るんですが、これからは映画の話もやっていこうと思ってもいるのですよ。

ただねー、難しいッス。

本の話はすっかり吐いた。あれはあれで成立したと自分は思っているので今後もどんどん書ける(書けない:「ロリータ」)。

音楽の話もしばらくすると出てくる。やるよそりゃ。すべてはタイミングです。日記じゃないんで。



それでまあ何から始めるかというところの話でした。映画ですね。

 

まずお前の腹を見せろよって言われたら、僕は「タクシー・ドライバー」と「狼たちの午後」と「ゴッド・ファーザー(Pt1、Pt2)」を挙げますよ。

デ・ニーロ、パチーノ、カザールですよ。

でもさ、俺別にそれを人に押しつけたいとはぜんぜん思わないわけ。

僕は本も音楽も映画も、好きなものは繰り返し摂取するタイプ(依存症気質らしい)なのですが、そんな「タクシー・ドライバー」なんか何回とは言わないけどさ、少なくとも「ブラックホークダウン」の方がぜんぜん繰り返し観てますよ。そこに意味はないです。回数にはね。

そうですねえ、音楽でも稀にありますね。僕はジャニス・ジョップリンが大好きなんですが、彼女の(いたグループの)最高傑作ともいえるアルバム「Cheap Thrills」は年に1回ぐらいしか聴かない。大好きなアルバムですよ。ただ、「今日はジャニスの日だな」っていう自分のタイミングがあって、向き合える態勢が整ってないと聴けない。もったいなくて。

サム・クックのハーレムスクエアもそれに近いですね。ただ、サムのアルバムはもう身体の一部なので(何言ってんだコイツ?)割と大丈夫かな。アルバムを通して聴くとなると、その時間は全神経を使い果たすぐらいそれに集中したい。そういうことです。

映画もそういう作品の種別?(本もそうですけど)、ありますよね?

 

僕は先ほど、好きなものは何度も繰り返し求めるタイプの人間だと書きましたし、じっさいそうで、気に入ってる地下アイドルの音源なんて毎日毎日何回聴くの?ってぐらい正にヘビロテしたりしますけど、それとは違う愛で方もあって、映画の場合だと数年に一度しか観なかったりするのに愛してやまない作品とかもあるわけです。

 

(逆に僕にとって不思議なのは一度観たものを基本的に二度と観ない人とかいますよね?少なくとも普通はすぐには何度も観ないらしいんですが、そうなんですか?僕は物事を構造的にとか見られないのでとにかく夢中になって観るから大体「あの瞬間」良かったよね?みたいなことしか憶えてないんです。だから何回も観ないと映画全体が分からない(笑)。いや、筋は分かるよ)

 

あとバイブルの話はちょっと違うので、その話は置いておこう。




ちょっと悩みましてね。

映画の話をするけど、僕がアヴェンジャーズの話とかしても面白くなさそうじゃないですか。

あ、この前「カーマイン・ストリート・ギターズ」っていうものすごい地味な映画を観てきましたよ。公開初日に。

僕はとても興奮してしまいましてね。いや、映画自体は何のストーリーもない日常を描いたノン・フィクションなんですが。素晴らしかったです。僕はもうその場で踊らんばかりに興奮してたら彼氏が呆れて「え?そんなに?」って言ってました(苦笑)。

僕は映画情報サイトのインフォメーションでその映画の存在を知って、そこにロバート・クイン(今はロバート・クワインと表記するのが正しい)の名前を見つけた瞬間にもう観ることを決定したのですが、ロバート・クインは出て来ないんですよ。もう亡くなってますから。

知ってます?ロバート・クイン。マウント取りますよ?まあ知らなくて当然の人なんでいいんですが。ギタリストです。この人がいたかいないかでロックの歴史が違ってた。そういう人はたくさんいますが、確実に景色を変えた人のひとりです。それは巡り巡ってあなたの聴いている音楽にもちょっぴりは関係してるんですよ。

 

そういう人たちがふらっと出てくる映画でした。ビビりますよ。ぎょえーって。

ロバート・クインは出て来ないんですが、エスター・バリントが何の肩書もなしに画面に映ったときは腰が抜けるかと思いましたね。大袈裟過ぎんだろ俺。

いや調べてみるといいです。エスター・バリント。日本語の情報ほとんどないから。

あるのは、映画「ストレンジャー・ザン・パラダイス」に出演した。ぐらい。

この映画が日本で公開されたのが30年以上前ですよ。それ以降よく知りません。大体ストパラ自体が所謂娯楽映画じゃなかったですからね。おしゃれピープルに食いつくされました。いや、いい映画でしたよ?内容はいっさい憶えてません。エスター・バリントだけ見てた。

その愛するエスター・バリントがさ、突然出てきたんですよ!ギター片手に!

30年ぶりですよ僕からしたら。

ほぼ同年代ですよ?すげえ、ぜんぜんナチュラルに美人なの。普段着な感じでさ。ちょっと近所だから馴染みの店に寄ったけど、って感じで。カッコいいの。

ドキドキしちゃった。

 

アヴェンジャーズじゃこうは語れないッスよ(笑)。

その代わり誰もついて来れないっていうね・・・。



僕は評論家じゃないし、表現者でもないんで、個人の体験をただこうやって書くだけなんですが、それでも改めて読んでいる人に何かをお勧めするときは、そこは悩むんです。

感想文書くと上記みたいなことになって誰も意味分からなくて手が出しようないですよね。

不親切すぎる。

 

もう少し親切に、これは素晴らしいから観た方がいいよ、ってね。お勧めしたい。

 

でもですね、それはもう信頼関係しか無いんですよ。

人はそれぞれ審美眼やら価値観を持ってますから、それで自らの意思で選べるし、情報は溢れるほどある。あとはその信用できる筋からお誘いしかないと思いますね。

気楽にね。あれ、いいらしいよ。って。普段ああいうこと言ってるアイツが言うなら面白いかもしれないってね。そこの関係性ですよ。

 

もうそれしかないかな。




8月19日 バクティとともに 

 

バクティとともに

8月19日は僕のモナミ、フレンチブルドッグバクティの命日です。

もう10年近く前に亡くなりました。でも、今でもそのぬくもり、手触りはこの身体が憶えてます。なので、いつでも呼び出せる。呼び出して足元に居てもらったりします。そうすると本当に手で触れることが出来ます。mabです。マジです(ふぁんたじー)。

人間に媚びるから犬は好きではないという人もいます。それはそれで真理。でも犬飼いなら知っている。腹を出しているのは人間の方だと。
俺はただバクティと友達になりたかっただけし、マブダチだと思っています。

病気がちだったり、大事なものを壊したり、欠点の多い犬でした。が。

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今日は自慢話をズラリと。

今回の文章はなんとはなしに感傷的です。

親バカ満載でお送りいたします。

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■■■ボール遊びをやります。

都心は犬を放牧するところがあまりありません。ただ、僕らが住んでいた所には街暮らしの犬飼い、小型犬にはちょうどいいサイズのフィールド?がありました。
今はもう改築されてどうなったか知りませんが、当時僕らが住んでいた街にはパティオみたいな場所があって、夜はお店が閉まってるから中庭は開放空間で入ることが可能だったので、そこで遊べたんです。

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っていうか時代が時代だったので許されてたと思うのですが、一応腰から膝ぐらい高さの鎖がベロ~ンと張ってあって、夜にそこを跨いで入るのは決していいことではなかったのですが、俺らはかまわず入り込み、三方を建物で囲まれた空間でボール投げをして遊んだものです。
22時ぐらいになると警備の方が鎖を張りに来るのですが、有り難いことに黙認していただいていました。本当に感謝しています。

 

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ビニールボールだと一口で穴が開いてしまうので、テニスボールを使います。
俺がポンポーンとボールを投げます。バクティがそれを追っ掛けて行ってハグっと咥えます。で、頭をブンブン振りながら戻ってきますよね。そして座ってる俺の前、1mくらい、微妙な距離で伏せます。そしてボールを自分の手元に置いて、こちらをじっと見つめます。
キタナイやつですねー、こちらがサッとボールを取れない位置にいて、自分の手の中にボールを収めて待つんですよ。ほれ、取ってみぃと。

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なので最初こちらはその場から動かないでザザっと取るフリをします。そーするとバカだから脊椎反射でビクっとしてボールをパクっとやろうとするんですね。のらねーよ。
で、しばらく放っておくと、ズリ、ズリ、と後ずさってボールとの距離を取ります。ここからが勝負です。人間が早いか犬が早いか。バッ!とボールを取りに行くと大抵こちらが遅れます。だって距離アイツの方が近いんだもん。

取り合いになりますが、バクティは絶対に噛む力を加減します。彼が咥えているボールをこちらが奪おうと手をぐりぐり口の中に入れたとしても、離さないにせよ強く噛むことはしません(振り払おうとはしますよ)。よく考えてみると、僕はバクティにマジ噛みされたことは一度もありません。というか、バクティにマジ噛みされた人間はいないと思います。これは仔犬のときからずっとです。彼は最初から、人の差し出す手を反射的に噛むという行為に興味がなかったようでした。もちろん、「何?何?」と口を突き出しますが、そこに何も興味を惹くものがなければクンクンして終わり。ガブっとはやらないです。
おやつをつまんでいたとしても、もちろんパクッとやりますが、甘噛みすらしません。

食餌のときにちょっかいを出しても絶対に怒りません。皿に手を突っ込んでみたり、皿をずらしてみたり、後ろ足を持ち上げてエビ反り逆立ち状態まで持ち上げても一心不乱にメシを食うだけです。唸られたこともない。ま、この食い意地には逆に苦労させられましたけどね。

下記画像は、別のワンちゃんとボールで遊んでて噛まれた後です。もちろんこういうことがあるのは織り込み済み。珍しくないことです。

 

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↑ 傷がだんだん移動した!! ↓

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さて、ボールが取り合いになったので最強権限を発動します。お互いにいい塩梅にボールを掴み合う力を拮抗させたとき、俺は右手の人差し指をピンと立てます(アウトのサイン)。そうすると5秒ぐらいシカトするんですが、最終的に不本意ながらという顔でバクティはボールをそっと手放します。キタナイですね~人間の権力は。

で、またポンポーンとボールを投げて、持ってきて、取り合って、ポンポ~ンと繰り返します。バクティがボールを持って来て咥えたまま一人で遊んでいるうちに俺は一服。
しばらくして一人遊びに飽きると、彼はボールを俺の足にグリグリグリグリ押し付けてくるので、じゃ、貸せよ、と手に取ろうとすると逃げます。なので、じゃあ勝手にしろよ、と放っておくと、またグリグリグリグリ押し付けてくるので、それもシカトしていると、ポトっとボールを落として、ハァハァしながらこちらを見上げてくるのです。

あの遊ぼうぜのキラキラした瞳が忘れられません。です。・・・・。

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で、ボールを拾って、またポンポ~ンとやります。
これを1時間ぐらいやるともう充分ですコチラは。なので、よきところで「行くよ」と言って俺はバクティに背を向けて、パティオを後にします。そうすると彼が満足している場合は、素直についてきます。時々、手ぶらでついてくるので、「ちょwボールw」と言うと、ハッとしてパティオに戻り、ボールを持って追い掛けて来ます。それで後は二人で家に帰りましたとさ。


■ ■ ■ 散歩する。

普通に生活しています。
だいたいまったりしているときはバクヲは聖域カゴの中で寝てます。(※聖域カゴ。そこにいるときは絶対に触れてはいけない聖なる場所。後述)
人間はテレビを見たり食事をしたり飲み物を冷蔵庫から取ってきたり、「さて(夕飯にすっか)」とか言ったり、黙って立ってトイレに行ったり、普通に生活しております。バクヲはそのへんで寝たりしています。
いつも気分次第で散歩の時間は決まってませんでした(本当は規則正しい方がいいらしいが)。
でまあ、腹もこなれてきたし、(さてと散歩でも行くか)・・・と、立ち上がってバクティを見ると、今寝ていたはずなのに、既にスクっと立っていて、こちらを一心にマジ顔で見ています。マブヲの心をバクヲが読んだ瞬間です。これは一度や二度じゃありません。毎回です。

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「じゃ行くか」と言うとトテトテトテとこちらへ走って来ました。踊りながら来るわけでもなく、洋服を着せるのに嫌がることもなく、首輪をはめるのも落ち着いて待ち、それが終わると玄関へ走って行きます。犬って散歩に行くとき、ドアの前でそれが開くのを待ちながら何度も何度もこちらをチラ見しますよね。あれ、たまんないですよね。

おいリードつけてねーよ、ほれ。と、リードをつけて散歩に出掛けます。
さて、駐輪場から建物を出て、とりあえず左かな。その角がピピポイントになっていて、すごく汚れているので申し訳ないと思いつつ用を足しまっすぐと・・・。ま、そんな感じです。最終的に前述したパティオに行ってキャッチボールしたりして帰ります。
後は満たされているので呼んでも返事もありゃしない。

 

■■■仕事から帰る。

以前やっていた仕事に何度かバクティを連れて行きました。
その頃の俺はよくバックスキン地のキャップを深めに被り、ラルフローレンの白いニットを着て、ブーツカットのデニムに黒のサイドゴアブーツを履いていました。つまり何が言いたいかというと、若い頃の俺カッコよかったんですよ。だってね、まだバクティがパピーだった頃、パンテオンの近くに住んでたんだけど、近所のリセ(高校)の女子高生たちが俺のファンクラブ作ってたからね。いつも散歩に行くリュクサンブール公園の途中に会ったもん。ちなみに俺はマルセイユ2中出身、おまえは?(ウチの社長は埼玉県生まれのリバプール3中出です)
(誇大妄想狂。もうmabの言うことは誰も信じてない)
(若い頃の俺がカッコよかったのはホントだよ。ナルシストですから!今は見る影もないですが!!)

さて、と。こっからホントの話(じゃ前の話はウソなのね?)。
仕事も終わり、事務所には俺とバクティだけになりました。バクティは俺が仕事中後ろの席、机の向こう側の椅子の上でずっと丸くなって寝ていました。客が来てもまったく気づかれません。「いますよ、ほら」と指差すと、大抵のおばちゃんは「わぁ!可愛い!クッキーあげてもいい?」、ダメだっつーの。
それでもバクティは丸くなったまま起きません。せいぜいチラ見するぐらいです。フレンチ特有のイビキもかきません。
なので、二人きりになった事務所はシーンとしていて、俺の打つキーボード打撃音しか聞こえません。で、俺はたまに席を立って流しに行って煙草を吸ったり、トイレに行ったりして戻ってきてまたキーボードをカチャカチャやったりしています。

流しでぼんやり「さてとそろそろ帰るかな」と考えながら煙草を一服して事務所に戻ると、奥の机の向こうでバクティがスクっと立っていました。今まで丸くなってピクリとも動かなかったのに。これにはけっこうビックリしました。
動き回らないように椅子の上に乗せるとすぐ丸くなって寝てたのに、俺が何度も席を立って事務所から出たり入ったりしてても丸くなったまま寝てたのに、帰ろうかと思った途端、しかも思ったのは事務所の外だったのですが、バクティはすっくと立ちあがり、こちらを真剣な顔で見ていました。
「じゃ、帰るか」と言うと、バクティはピョンと椅子を飛び降りてこちらへ来ました。道玄坂から代官山方面にブラブラしながら二人で帰りました。

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■■■パーティー

バクティはスカしてるところもあって、あまりお出迎えしてくれません。呼べば飛んで来ますが。

 

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バクティに家で留守番をさせて出掛けることも当然あります。ある日、バクティに留守番をさせて出掛け、帰って来て玄関のドアを開けると、バクティが泣きそうな目で土下座(伏せ)をしています。ピーンと来ました。
リビングに入ると、案の定そこは台所のゴミ箱の中身が大散乱状態。足の踏み場もないくらい。盛大なパーティーが行われた後です。がー、もー!!!怒り心頭です。バクティが背後で震えているのが分かります。

そこで僕は頭のおかしい人になります。拳を握って両手を上げ、ガニマタでのしのし部屋の中を歩きながら「がおー!がおー!がおー!」と叫びまわります。そのとき犬のことは一切見ません。散らかったゴミ(生ごみ含む)を踏まないように、それでも大胆に、大股で「がおー!がおー!がおー!」と憤怒の雄たけびを上げながら歩き回ります。
するとバクティはさっと聖域カゴに入ります。

聖域カゴは、そこにバクティが入っているときは、バクティタイム。絶対に触れない約束です。何をしていても近づいてはいけません。用があるときは名前を呼んで、こちらに来たら用件を伝えることになっています。とにかく聖域カゴは絶対安全地帯にすると人間と犬が協定を結んだ場所です。

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バクティはそこに逃げます(単なるカゴですけど)。僕はそれを横目で見ながら、ゴジラのように雄たけびを上げ部屋中を練り歩きます。
演技だと思うでしょ?まあ半分は演技ですが、実際怒り心頭ですよ。散乱したゴミ拾って、汚れた床拭いてかよ?あーー面倒臭い!こんな面倒かけんじゃねーよ!がおー!がおー!
ひとしきり気が狂うとこちらもだんだん落ち着いて来ますので、その後は淡々と掃除をして何事もなかったかのように生活します。但し、用がない限りバクティを呼んだりしません。シカトです。でまあ、ほとぼりが冷めたなとアイツが判断したのか、カゴから出てきたら相手にします。パーティーの話はしません。

俺が何故そのようなことをしていたかというと、まず犬を叱るときは後から叱っても犬は意味が分からず混乱するだけなので、何かあったその瞬間に叱らなければならない、という「犬の飼い方」マニュアルに倣っているからです。
だから、バクティが実際にゴミ箱を散らかしているときに叱らないといけない。だけどパーティーはこちらが出掛けているときに行われていて既に終わっている。叱れない。
しかし、彼は自分のしでかしたことを憶えていて、怒られることが分かっているから涙目で土下座して待ってる。
そこらへんのことをいろいろ考えて、頭がおかしくなることにした次第です。ま、パーリィーピーポーなところは直らなかったですけどね。なので留守番させるときはリビングからも追い出してドアノブを回さないと入れない状態で廊下に居てもらいました。台所は引き戸なので開けられたのです。けっこう重いんですけどね。
結果、出掛けてきて帰ってきても廊下でガン寝しててお出迎えなんてされませんでした。

 

■■■ヘイ!タクシーの話。

これは聞いた話です。当時の相方マシェリバクティを連れて帰省してるとき。
庭にいたはずのバクティが脱走して居なくなりました。マシェリは方々を探したのですが、見つかりません。途方に暮れているとバクティはタクシーに乗ってひとりで帰ってきたそうです。
ホントの話です。

 

■■■エルメスの話。

バクティに入ってもらうキャリーバッグはエルメス製でした。もちろん僕が買ったわけじゃないですよ。いくらするのかも知りません(でもたぶんバーキンとかみたいなアホみたいな値段はついてなかったと思われます)。
キャリーバッグはパリのメゾンで買いました。アジア系の人たちが群がるカウンターをすり抜けて奥に行くと、馬具などを置いてあるシックな店内は誰もいません。そこに犬用のキャリーバッグが置いてありました。それを手に取り眺めていると、奥からムッシュが出てきて、どうぞワンちゃんを入れてみて下さい、と笑顔で勧めてきます。
その頃、バクティは月齢6、7か月くらいだったでしょうか。バクティをバッグに収めると、ムッシュが、ほらピッタリだとまた満面の笑み、マシェリは迷わずバッグを買いました。
パリのメゾンはトートバッグを買うアジア人には非常に見下した態度を取ることで有名ですが、ムッシュはとても丁寧に僕たちを扱ってくれました。
さすがに、このまま入れて帰ると言えるほどカッコよくはないので、エルメスの大きくて立派な箱にバッグを詰めてもらって意気揚々と店を後にしたものです。

けっきょくバクティは成犬になってもさほど大きくならなかったので、このキャリーバッグはヘタれるまでよく使いました。簡単にいうと形は単なる立方体で、上の辺がチャックになっていて(ジッパーっていうのか?今はジッパーっていうのか?)、チャックを開くと天井が全開になります。チャックを閉めて、最後にタブの部分をボタンでパチッと閉めて使います。

あるときマシェリが帰省のため新幹線に乗りました。バクティはキャリーの中です。マシェリはバッグを足元に起き、いつしか眠ってしまいました。
目が覚めて確かめると、バクティが居ない?車両内を探しに回ると、他の家の子になって楽しそうにしていたそうです。チャックとボタンの隙間からグリグリグリグリやってボタンを外しチャックをこじ開け抜け出したのです。ヤツはマシェリが眠っていることを絶対確認してから脱出したはずです。

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■■■ヘイ・タクシーの話。タネ明かし。

バクティが一人旅に出て見つからないので、マシェリはお父さんに連絡したそうです。お父さんはそのときタクシーに乗っていたので、「ウチの犬が脱走したので探して欲しい」と運転手さんに頼んだらしいです。ここからちょっとすごい話なんですが、マシェリのお父さんは地元では超有力者なんです。超能力者じゃないぜ。有力者なんです。
それで頼まれたタクシーの運転手さんは、無線で全車両に「マシェリさんのところの犬が脱走したので見掛けたら捕まえるように」と指示を出したそうです。
すると別の場所を走っていた運転手さんが北へひた走るフレンチブルドッグを発見。横付けして助手席のドアを開けたところ、バクティはピョンと車に飛び乗って、それで帰ってきたそうです。運ちゃんはメーター上げたのだろうか?w

 

以上です。

いい思い出だけ書きました。ほかにもいい思い出、悪い思い出、いっぱいあります。

今思うと、僕は犬飼いとして至らないところがたくさんあったと思いますが、マシェリがしっかりした人だったので犬の道を外れずに生きていけたことを感謝します。

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バクティのマブダチだったピエールとサスケ、とんびについて、どこかに書いてあるんだけど見つからない。書きたいなあチーム鎗ヶ埼のこと。いつか書こう。書くんだったらまた熟成させて、しっかり歴史を書きたい。

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ウーピィーやナツロウ、総理、いびき、・・・あの頃はたくさんの仲間がいましたね。

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mixiにマシューとビバのことを書いているのが見つかったので再録します(加筆修正あり)

■■■マシュー
2014年07月12日

マシューはとても甘えん坊な犬だ。
ミニチュア・ブルテリアに似合わぬなかなかの体格ながら超がつくほどの甘えん坊で、いつも沼やんか米子に抱かれていることを思い出す。
そして俺が夜中まで沼家で遊んでいると、スネて壁に向かってしまったり、プープー鳴いたり、それがとても面白い性質だなあと思う。

自分が犬飼いだったから比べてしまうのだが、バクティは甘えん坊ではなかった、と思う。それは逆に言うとウチが甘やかさなかったわけで、そんでもって沼家は甘やかすキャパシティがあったのだと思う。
実際、沼家のマシューに対する愛情は傍で見ていて非常によく分かる。アーティスト米子の最大のモチーフであり、沼やんが生きていく重大なモチベーションだろう、と。
そして俺が思うのは、その結びつきに入っていく隙がなかったな、と。よく考えてみるとリードを持ったことないんじゃないかな。
でも、マシューのその甘えん坊なところがとても可愛らしく、可愛らしいからこそ眺めてるだけにしていた部分はあるかもしんない。結びつきの強さを感じたから。

とにかくマシューはとても可愛らしく、深く深く愛されて生きてきた。その一端を垣間見れたことが俺にとってとてつもなく幸せなことだ。そのことを沼家に感謝したい。

出会いは突然だった。
当時の彼女がロンドンに語学留学中、バクティは俺と二人で暮らしていた。早く起きた朝に目黒川沿いをバクティと一緒に散歩していた。
そのときにバッタリ出会ったのが、まだ仔犬だった頃のマシューだ。まさに白い妖精だった。そして飼い主の沼家がなんとも頼りなくw、フレンチブルにしては小型だったバクティを見て「大きいですね」などと言ったり。バクティが調子に乗って、屈んでいた沼やんの膝にちょいと乗っかって挨拶しようとしたら、沼やんはびっくりしてのけぞったりしていたw。そのときのことはいつも思い出す。これからも決して忘れないだろう。

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以上です。
上記↑の文章はマシューが亡くなったときに書いた個人的な追悼文です。


■■■ビバと俺2014年06月09日

真夜中、ビバを連れて府中を散歩したことが何度もあった。
うーちゃんが当時住んでたマンションの道路を挟んだ向かい側、もう一本横道に入ると、適当な長さで見通しもよく車も通らないストレートがあって、そこで俺はいつもビバの首輪からリードを外して、さあ走ろうって言って俺たちは全力で走った。まあ俺は全力でビバはたぶん流してたんだと思うけど、これがまた上手く併走してくれるんだな。バクティともよくリードなしで全力疾走をやったけど、あいつは人の目の前にコースを重ねてくるんだ。それでもつれあって俺が派手にずっ転ぶ、というのを代官山で何度かやった。
ビバは違うんだな。俺の横をタッタッッタッを走ってくれる。走る姿もこれがまた美しいんだ。軽く跳ねるように、リズミカルに走る。そして、はいここでもう俺の限界でーす、というところで俺がストップするとビバも走るのを止めてくれる。そーゆー意味ではとてもハンドリングしやすい(この場合ハンドリングしてないんだけど)、とっても人との接し方のいい犬だ。うーちゃんの育て方が良かったんだろうなきっと。

俺が一番接した犬はバクティで、一緒に過ごした時間が長かったのはチーム鎗ヶ埼の犬たちだったけど、バクティの次にハンドリングした時間が長かったのはビバだ。真夜中の疾走もそうだけど、早朝、少し歩いた先にあった大きな公園を長めにぐるりと回ったり、ビバのリードを引くのはとても楽しい。ぐいぐい引っ張られるわけじゃないし、女の子なのでいちいちマーキングしたり念入りに確認したりモタモタもしなかったので、楽ちん。

うん。まあ。そんな感じ。いろいろ書きたいけど、まあ、そんな感じ。

バクティと暮らしてチームで過ごして、その次に俺が一緒だった犬はビバだ。俺はそう思ってる。

以上です。
上記↑の文章はビバが亡くなったときに書いた個人的な追悼文です。
で、読み直して思ったのですが、ビバの飼い主のうーちゃんは、ビバと出掛けるときにリードを外したことが一度も無かったそうです。僕も公園や駅前に散歩に行く普段はビバのリードを外したことはありません。
で、上の文で走りっこしてたって書いてるけど、たぶんそのとき俺はビバがリードを外した瞬間コントロールが効かなくなって、どっか行っちゃうとかぜんぜん心配しなかったというか、そんなこと微塵も思わないでリードを外してたなと思います。普通、犬は走り出したら止まってくれないよね?
でもビバはバクティと一緒で、人間と一緒に止まってくれてたなあ。んで、止まってくれるって自信がというか、さっきも書いたけど、止まらないでどっか行っちゃうとはぜーんぜん思いもつかなかった。
メンゴ。ビバの画像がないんだ。

 

 

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以上、全文終わり。

 

すべての生きるもの生きないもの今のもの過去のもの未来はみんなのものに。

 

Ma Vie Avec Bhacty 2016/08/19 fri


署名:mab

 

 


2019年現在

タンブラーからの転載です。

特に加筆することもないですかね。
自慢すげー、ぐらいですね(笑)。


自慢ついでに画像アップしときます。

来月はバクティの誕生日があるんですが、たぶん忘れてると思います(笑)。


ありがとう。

 

 

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怪談 「夜、訪ねてくる音と」

 

こちらも2004年頃に自分のwebサイトに掲載したものです。






「音」に関係する怖い話なので静かな夜に読んでください。







「夜、訪ねてくる音と」




都会の真ん中に住んでいても、夜が深くなると自分の立てる音しか聞こえないような静かな夜がある。静かな夜というより、生きているものの躍動が感じられない、人の息づかいのしない夜だ。




そういうとき(そういうふうに感じたとき)僕はベランダに出て外を眺める。住宅地なので深夜になるとまったく人の動く姿が見えない。眼前にいくつもいくつも部屋の灯りが見えるが、人々が生活する姿や音は聞こえてこない。僕は外を人が歩いている姿が見えるまで辛抱強く通りに目を走らせる。いつまでたっても人の姿が見えないときは、せめて時折通るタクシーが見られれば観念して部屋に戻る。

そうやって人が動いている姿形を見ないと、自分が知らぬ間に別世界に足を踏み入れてしまい、そこに割り込んで来た何かが自分の背後に迫って来る足音を聞いてしまうのではないか、という気持ちになってきてしまうのだ。



話に入る前に。

いわゆる幽霊なり超自然的存在が立てるといわれている「ラップ音」というのは3段階あって、一番弱いものはキィーーと何かを擦るような音で、次がパチパチ(手を叩くような)とかパキパキ(何かを折るような)とかいう音で、一番強いのがドンドンドンと太鼓を叩くような音で、そこまでくると大概は霊の姿が見えるのだという。海外のラップ音研究家(?)が言っているそうだ。

昔から日本では(歌舞伎などで)幽霊が出てくるときに太鼓をドンドンドンドンと(ドロドロドロという表現で)叩くのはそういう意味では辻褄があう気がする。

 

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僕が東京に出て1年目か2年目の夏休みに故郷の祖母の家に行ったときのこと。

その家は地方都市の郊外のさらに外れ(要するにど田舎)、まだ開かれていない荒涼とした土地にあって、隣近所はさほど離れてはいないがポツリポツリとそう多くなく一軒家が点在している寂しい場所にあった。おかげで見通しはよく、2階の部屋のベランダから2キロほど先に離れた高速道路が左から右にずっと見渡せた。

反対側の窓から外を見ると歩いてすぐにいけそうな近さに山が見えた。実際は散歩がてら行くには遠い。山というのはその巨大さから近く見えるが歩いても歩いても麓にも着かない。

その代わりではないが、手前に小高い丘があり、歩いて3分くらいで坂口に着く。丘の上は墓地だった。

その頃既に亡くなっていた祖父は事業に失敗した人だったので、家を建てるほど財産は無いと思っていたから、この家がここにあるのはなるほどこのロケーションだからかと納得したものだった。



夜になり隣近所の家の灯りがおちると、いくつもない外灯のほかは、夜は都会では考えれないほど光が少ないのだが、かえって遠くまでいつまでも見通せるくらい明るい。田舎の夜は不思議なものだ。星が少なくても空が広ければ夜でもはっきりと明るい。

高速道路を走る車の音が遠くから断続的に聞こえるだけだが、夏はカエルだの虫だのの鳴き声も重なる。それも、建て込んでいないので反響が少ないからかさほどうるさくない。遠くから聞こえてくる車の疾走する音は、留まった者が取り残されたような気分にさせ寂しさを増す。

田舎だからか、日本特有の湿気を含んだ暑い夜で風がなくても、クーラーが必要なほど寝苦しく感じるわけでもない。爽やかさはなく、夜はほんとうに空気が沈んでいくような気がしたものだった。

 

僕にとっては、ただぼんやりと居心地が悪い場所だった。




その晩、既に祖母は隣室で寝てしまい、僕は居間でテレビを観ていた。

今は知らないが当時は地方ならテレビはチャンネル数も少ないし、午前0時をまわるとほとんどのプログラムは終了してしまう。

仕方ないので僕は2階の寝室に上がり、聞き飽きたカセットテープを低い音で流しながら読み飽きたファッション誌などをパラパラと眺めていたが、なかなか眠る気になれずにいた。

眠気を待ちながらほとんどぼんやりと時間を過ごしていたのだが、ふと気づいた。

聞き慣れない音がしたのだ。遠くで何か鳴っている。

耳が気づいて我に帰ったときに音は止んでいた。気のせいかと思って、ベッドに寝そべってスタンドライトの明かりだけでまた雑誌を眺めていた。遠くの車の音、虫の音、思考を妨げるような音はしない。耳はすぐにそれらを受け流してしまい、意識の外に出してしまえばもう聞こえないのと同じだ。

 

……。

 

ん?やっぱり何か鳴っているな。僕はテープを止めて耳を澄ませた。

高速道路を疾走する車の音が聞こえる。音の強弱は大型トラックと乗用車の違いだろうか。虫の音もいつもどおりだ。そういう音を意識から外し、空気の中に別の音を探して耳を澄ませた。何か向こう、ベランダ側方向から断続的に何か聞こえたような気がしたが、いくら耳を済ませても異音はしない。

やはり気のせいかと思って、それを潮に暗くしてしまえば眠れるかとライトを消して目を瞑った。

ふだん生活してる場所を離れて、このように目にも耳にも静かな場所にくるとなかなか眠れないものだった。

明日の予定などを考えながら早く眠れればいいと思っていても、静けさが邪魔をしていた。(明日はスタジオの帰りに皆でメシを食いながら来週のステージの曲目を決めてしまおう。それから誰か誘って飲みに行くとしても帰ってくるのが面倒だから泊まる所を確保しないとな。早めに電話だ…)

 

……。

 

気づくと遠くで何かを叩いている音がしていた。

耳というのはよくできた器官で、方向や距離がだいたい分かる。その音はベランダ側の外、ずっと遠くから聞こえてくる。何の音だろうか?何か太鼓を叩いているような音に思える。音が遠いということは分かる。何か響く音を規則的に立てている。

ドンドンドンドン…。

 

そういえば10分ほど歩くと学校らしき大きな建物があったのを思い出した。もしや夏祭りか何かの太鼓の練習でもしてるのかと思ったが、時刻は既に午前1時をまわっている。こんな夜中にいくらなんでもそれはないだろう。

ベッドから降りてベランダの窓からじっと目を凝らして外を見たが、向こうに見える学校(?)の建物はもちろん黒のシルエットで明かり一つ見えない。そのさらにずっと遠くで流れる車のヘッドライト以外動くものは何も見えない。近所の民家も玄関の小さな常夜灯以外は全部消えている。

何の音なのか分からなかったが、気づくとすでにそれは止んでいたので、気にするのはやめてまたベッドに入った。耳には方向と距離が分かるような気がしたが、違っているかもしれないし、見通せない所で何かの作業なり何なりを誰かがやっていることもあるだろうと考えることにしてベッドに戻った。気にしないようにしたが耳はもう敏感に音を探し始めた。




しばらくするとまた何か叩く音が始まった。

太鼓の音だ。確かに聞こえる。あの方向だ。あのへんだ。そう遠くない。確かめようと起き上がると音は止んでしまった。そういう偶然もあるもんだ、とそのときはまだ思っていた、というか思おうとしたのだったが、改めて横になると奇妙なことが起きた。

また叩いている。今度は場所が変わった。少し近い。

 

少し近くなっている。



さっきまで、横になった体勢の頭の方から聞こえてきていた音が、今は足の方角から聞こえてくるような気がした。しかも少し近い。音の質はあまり変わらないし、強くなったというわけでもなく、近づいてきたのならむしろさっきより小さくなった音だったが、確かに近くから聞こえてくるような気がする。

ベッドから起きて窓を開けベランダに出た。

手すりから身を乗り出して音がした方向を見たが、やはりいつもどおり何の動きも見えない。田舎の夏の夜だ。じっとりと暑く風も凪いでいる。いつもどおり。どんよりと空気に動きがない。しばらくその動きのない景色をじっくりと眺めていたが、いくらたっても何の変化もみられない。部屋を横切って反対側の窓から外を眺めた。

山のシルエットが青黒い夜空にくっきりと姿を現せている。手前にある丘のシルエットが一番黒い。墓地の姿が輪郭を見せている。ひとつひとつ墓石が立っているのが見える。それは普段から変わらない。

夜中に墓地を眺めるのは決して愉快ではないが、さほど近くもないし、もともと正体不明の音はこちらの方から聞こえてきたわけでもなかったので、僕は景色そのものに興味をそそられてしばらく凝視していた。

もちろん、何の変化もない。

むしろ何かの動き、風で木々や揺れたり、月の明かりが反射して暗闇の色が変わったり、ということが一切ないこと、昼間よりも墓地の様子がはっきりと見えるように感じられたことのほうが奇妙だった。

 

もう一度ベランダ側から外を眺め、釈然としないながらもまだ恐怖心のようなものはなく、娯楽のない田舎の夜に悪態をつきながらまたベッドに入った。

ほどなくして今度はさらに別の方角から音がしてきた。

 

移動している。そして確かに近づいてる。

 

思わずガバッと起き上がった。

ピタっと音が止んだ。

しばらくその体勢のまま、ベッドの上に半身を起こしたままじっと動かず耳を澄ました。

自分の呼吸が整い、外の音が全て聞こえるまで少し時間がかかった。

何かに声をかけるつもりはなかったが、自分で音を出してみたくなって僕は上掛けを大袈裟にバサバサと直しながら、「何だかなぁ、頼むよ」と独り言をつぶやいて横になり、自分の声が消えるとまた耳を澄ませた。「ま、これで鳴ったら困るんだけどね」と自嘲気味に言うと、それを合図にしたかのように音が鳴り始めた。

 

どんどんどんどんどんどんどんどんどんどん

 

背筋がぞぉぉっとして、僕はすぐに起き上がった。音はピタッと止んだ。

が、もうどの方向から鳴っているのか分からないくらい近かったのをはっきりと感じた。

庭で何かを叩いているのかもしれないと思うくらい近くに思えた。

 

恐怖心よりも防御本能のようなもので、僕は静かにゆっくりとベッドを降りてそろりそろりと窓からベランダごしに、暗がりの中の暗がりに目を凝らし、何かを探した。何もないことを祈りながら何かを探した。道の先の角に一つだけポツンと立っている自販機の蛍光灯の灯りが途切れて暗くなる境目あたりを、そこに何者かがひょっこり出てくるのではないかと見つめ、身構えた。

息を殺し、まるで自分が景色に溶け込んでカムフラージュされると思っているかのようにじっと動かず、油断した「相手」が動き出すことを待っているかのように、しばらく止まっていた。

何も見えないし何も聞こえなかった。ベランダの向こうを睨んだまま、僕はそろりそろりと部屋を横切り、今度は反対側の窓から外を眺めた。

 

必然的に墓地に目が行く。

何か違うように見えた。何かが違うように見える。

何が違う?

夜中なのに見れば見るほどはっきりと見えてくる。

シルエットで見えるいくつもの墓石の上か?間か?

 

さっきと変わらないか?



何かが違ってる。

 

動いているものがいる!?

いや気のせいだ!?

暗くて見えない。

いや見える?

 

見える。








向こうから、見える






見られた





閉めていた窓の向こうで大気が動くのを感じた。

 

今度こそ怖くなって僕はベッドにもぐりこんだ。俺は別に何も聞いてないし見てないから、と心の中で、俺は関係無いから、と心の中で叫びながら布団の中にもぐりこみ耳を塞いで目を固く閉じた。

 

少しずつ腕を動かして衣擦れの音を立てたり耳をさすったりしていつまでも外の音を遮断しようとしていたが、そう長くは続かない。どうしても身を固くしていつのまにか耳を澄ましてしまう。すぐさま音が鳴り出した。

 

もはやそれはすぐ近くに迫っているようだった。さっきとは反対側、いやあっちか、もう家のすぐ下で鳴っている、何かを叩いている。耳だけはそれを確かめるために機能し続けたが恐怖で僕はもう動けなかった。無視するしかない。しかし音はどんどん近づいている。家のまわりをグルグルとまわっている。ドンドンと音がする。



大きな音がする。何を叩いている?

音が変わった。

振動が身体に伝わってきた。




ここへ来たのだ!





壁を叩いてる!

 

動いた!



階下の玄関の扉を叩いている!

あのガラスサッシを叩いている!

バンバンバンバンバンッ!バンバンバンバンッ!




動いた!

建物を叩きながらうろついているのだ。

 

外から家の壁を叩いてる!ドンドンドンドン!ドンドンドンドン!

 

ドンドンドンドン!ドンドンドンドン!




そのうちはっきりと揺れ始めた。ズシン!ズシン!ズシン!と家全体が振動した。

耳を塞いでも聞こえる!ものすごい音だ。ベッドが揺れる!






ズシンズシンズシンズシンズシン!




「うわぁ!もう、やめてくれぇっ!」

耐え切れなくなって僕は大きな声で叫び飛び起きた。

 

一瞬部屋が異常に明るく感じられ、本来なら明かりを消してしまった屋内より明るいはずの窓の外が真っ暗になり何かの存在、何かが横切った後を感じた。

音はピタリ止んでいた。

僕は叫んだ後、恐怖で身が凍ってそのまま朝まで意識を失ってしまった。










翌日





翌日、僕は祖母に恐る恐る「昨夜はうるさくなかったですか?」と訊いた。

祖母は全然うるさくなかったというので、遠くで太鼓を叩くような音がしたのだけど、と言ってみた。これからもここで生活しなければならない祖母によけいな不安を与えないように気をつけた。祖母は、昨夜そのような音はしなかったといいながら、まぁそういうことは時々あると事も無げに言った。

「夜中に獣のようなもんがギャーギャーと叫びながら家のまわりをグルグル走り回ったりな。そういうときはほれ、あそこのお墓の掃除に行きなさい」とバケツと箒を出してきた。

「掃除って。あそこを全部掃除するのですか?」と僕が驚いて訊ねると、祖母は

 

「行けば分かるだろ。それよりオマエは昨夜のうちにどこへ行けばいいか、見ただろ?」

と言った。

 

今まで僕はさほど怖がりではなかった。今は恐怖というものが分かったが、昼間ならまだマシだったし、祖母が、行けば夜も静かになると言ったので墓地に出掛けることにした。

行く途中、庭先で花壇をいじっている老婦人に「あらゴクロウサン」と声を掛けられた。普段は知らない人に声を掛けられたりすることがないので少し驚いた。

年に一度ほど、しかもごく短い期間でしかも昼間は街へ出てしまう僕は余所者で若いからずいぶん目立つだろうが、箒を突っ込んだバケツを小脇に抱えていたら墓地へ行くというが分かるものだろうか、と疑問が浮かんだが、空は晴れ渡り緑が青々とした山を眺めながら歩いているとそんなことも気にならなくなった。

 

丘の頂に近づくにつれて一旦視界から消えてしまっていた墓地を、丘の上に登って目の当たりにしたときはさすがに寒気を感じたが、僕は勇気を奮い立たせて、水を汲み目指すお墓へ向かった。さすがに墓石をまっすぐ見ることはできなかったが、掃除は別に大変なことはなかった。まずまわりの枯葉を箒でざっと払い、拝んでから手酌で墓石に水をかけて、全体がだいたい濡れたら残りはザバっと掛けてしまっていいとのことだった。空になったバケツに枯葉を入れ、帰りに適当に水を入れてびちゃびちゃにした後、坂の途中にある鉄製の囲いの中に投げ入れるということだったのでそのとおりにした。

始終、誰かに見られているような気がした。

 

帰宅して祖母からお茶をもらった。

「当番だよ」と祖母は言った。あの墓地はここいらに人が住みはじめるまでほとんど捨てられていたような古いもので、荒れるにまかされていた。移り住んできた人々とは縁のないお墓ばかりだった。そのうち、一人の老人が家々をまわり「あんたのとこはどこそこケガして治らんだろう。あすこを掃除せい」だの、「あんたのとこは土が悪くて庭木が枯れる。あすこを掃除して枯葉を集めて肥料にせい」だのと言ったという。全部の家をまわり丘へ向かって見えなくなったらしい。何人かの人は実際に掃除に行った。その後、住民の間で噂が立った。どうも夜中に何かやってくるのだそうだ。ある人は昨夜は風がひどかったねぇ家が倒れるかと思ったよ、と言うと他の人は全然そんなことはなかったとか、そういう話をしているうちに皆気づいたのだそうだ。

それからこの辺りの住民は定期的に掃除に行くようになったと。行く回数などは別に決まっていないそうだ。「呼ばれれば行くぐらいでいいようだから」とのことだった。





「全体やる必要もない。おまえも見たろ?どこ掃除して欲しいかすぐ分かったろ?」



と、また言われた。





そうなのだ。

 

僕は昨夜見ていた。

 

少しずつ近づいてくる正体不明を音の原因を探るために窓から外を見たとき、意外なほどはっきりと見渡せた墓地の、ひとつの墓石の上に何かが座っているのに気づいたのだ。

 

まさかと思っていたので、はじめは気がつかなかった。さっき眺めたときと何かが違う、と頭の隅で考えていたが、そんなはずはないと自分に言い聞かせていたのだった。

 

近づいてくる音が自分の動きに呼応していることが分かってから、暗闇の中で何者かと自分がお互いにお互いの存在を認識したのだ。しかし僕はそれを理解できずに意識の外へ追い出そうとした。僕はそれを認めたくない一心でむしろ長い時間睨みつづけていたに違いない。

 

真っ暗闇の中、人のような形をして鴉ような姿勢だったのがはっきりと見えていた。ゆっくりと息をつぐようにシルエットが動いていた。

動いている、ということを意識が理解するまで整理がつかず、視界の中で唯一変幻する姿をただ茫然と見ていたのだ。

 

それから僕はハッと気がついた!

 

それは確かに墓石の上に座っていて、

 

僕を見ていたのだった。








翌朝、普段どおり目覚めるように意識が回復して、僕は祖母から掃除用具を借り受け、丘の上に登り、昨夜それが座っていた墓石へ向かったのだ。

 

その日で僕は東京へ帰るとウソをついて祖母の家を出ることにした。

「案外、臆病だなおまえは」と祖母は笑った。



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祖母は今も存命だが、90歳を過ぎて身体が弱ってきたのでこちら(東京)の病院にいる。

入院したとたんボケはじめたので当時の話はもうできないが。

あの家は人手に渡った。









2019年現在



納涼企画として、今まで怪談話を何本かエントリーしてきましたが、もちろんぜんぶ作り話です(笑)。

作り話ではあるんですが、ある種の実体験と信頼に値する聞いた話、解釈等を織り交ぜて書いたものなので、僕に取ってはまったくウソを書いたというつもりもないんですよねえ。

 

物語としては作り話ですが、「事実」は含まれているんですよ。

たとえば「アパート」の話って継ぎ接ぎですけどほとんど「事実」或いは当事者からの直接の「証言」を基にした話ですからね。又聞きじゃないんですよ。直接盛田さんから聞いてますから。

僕が見たかどうかはインチキくさいんでやめましょうよ(笑)。



ところがね、今回の「訪ねてくる音」の話、これだけは僕は言いたい。

 

あんときマジで死ぬほど怖かったんだから!!



ええ。正直に言いますよ。霊能力なんて僕は持ってないし、基本そんなもの信じてない。少なくとも除霊するとかいう能力とかね。「丸コゲ」みたいな方法はあると思います。あれは技術じゃん。力じゃなくて。だから能力については書いてないですよね。「学校の怪談」でも、あれは最後促してるだけで実は何にもしてない。あの話はちょっと最後盛ったよね(笑)。でもねー、怖かったッスよ。都立〇〇〇高校。プレハブ校舎だったけど。あれはたぶん什器とかそういうものがそのまんま流用されてたからついてきたんじゃないかな。まさかあんな新しいっていうか仮校舎に幽霊なんかいると思わないじゃないですか。ねえ。しかもEメール教えてくれって。意味分かんないッスよ。(???)

 

今回の「訪ねてくる音」ですがね。

初めてだったんですよね。直接やられるのが。

あれ?今の何?みたいなことって生きてりゃあるじゃないですか。UFOとか。あれ?UFOじゃね?え?見てなかった、そんでさー。みたいな。

でもここまでやられたことなかったんですよそれまで。

まだ10代だったと思いますよ。家が揺れたんですから。アトラクションですか?ってぐらい。

そりゃ気絶するって。



思い返してみると、まだほんの子供の頃、あれは?って思うことはまああったような気がします。人数合わないなとか、知らない顔だったなとか。でもそれは単なる勘違いで済ませる話じゃないですか。

高校生の頃もちょっと不思議なことっていくつかありました。それもなんか笑って済ませるというか、「なんか不思議だね~」で終わった。

「音」からですかね。

時系列でいうと、「夜、訪ねてくる音と」→「丸コゲ」→「学校の怪談」となります。



あとぜんぜん関係ないですが、昔、見えるというスピリチュアルの人に見てもらったことがあるんですよ。信用できる人に勧められて。

いい人でした。1時間5000円で(生々しいな(笑))。

仕事としてやってる人ではないんですけどね。

時間オーバー2時間診てくれましたよ。自発的に1万払いました。

すごく励まされたんで泣きました(笑)。

 

分析と予測はぜんぶ外れてましたね。




「詩」について

 

僕は字を読むのは苦手じゃなくて、読書も少しやるんですが、実は「詩集」というのは読んだことがないんですよ。
あるのはストーンズとディランの詩集ぐらいで、これは歌詞の日本語訳集ですから詩集とは違いますよねえ。
友達で詩集も嗜むやつがいて、彼が「気になったものだけ選んで読めばいいんだよ」って言ってて、それはよく分かるんですが・・・、って書いてて今気づいたんですけど、気に入らない詩があったらイヤなんだ!それを手元に置いておくのが。
そうかー。
僕はその友達との会話で、「A4ペラとかで読ませてくれたらきっと大丈夫だと思うんだけどね」って言ったんですよ。
分かりますかね。それだったら気に入ったものだけピックアップしておけるじゃないですか。

なんかすごく子供じみてますね(苦笑)。


たとえば詩集がバインダーみたいなのに挟まって出版されたとするじゃないですか。
そしたらピックアップ可能ですよね・・・って書いてて今思ったんですけど、その「形」で出されたブツを僕は解体出来ないと思う←どんだけ不自由なんだおまえは。

音楽で散々やってるくせにね。
プレイリスト作ればいいんですよ。自分で気に入った詩のベストを作ればいいだけ。

 

 

 

タバコとマントの恋

中原中也

 


タバコとマントが恋をした
その筈だ
タバコとマントは同類で
タバコが男でマントが女だ
或時二人が身投心中したが
マントは重いが風を含み
タバコは細いが軽かつたので
崖の上から海面に
到着するまでの時間が同じだつた
神様がそれをみて
全く相対界のノーマル事件だといつて
天国でビラマイタ
二人がそれをみて
お互の幸福であつたことを知つた時
恋は永久に破れてしまつた。

 


//////////


ほら、まず1個取り出せた。
青空文庫にあるものならテキストデータとして取り出せるからマイ・ベスト中原中也が作れる!
でも電子書籍ってどうせテキストデータじゃないんでしょ?じゃあ無理だな。超有名な作品ならネットに転がってたりするから自分で打たなくてもいいかもしれない何の話?


えーと・・・。最初の出だしは詩集が読めないって話で、何を言いたかったかというと、詩集が読めないから今までほとんど「詩」というものを知らないんですよ。超超有名な詩を断片的に知ってる程度で。
でも歌詞を読むのはとてもとても好きなんです。まあ音楽があってのことだから意味が違うとは思うのですが。

あ、でもこのブログで前にカリール・ジブランの詩を載せてますね。載せてたよね?なんていい加減な男なんだ俺は!(逆説の十戒も載せてんじゃん・・・)
だから一篇ずつとかね。パッといいのが入ってくれば受け止められるんです。
好きなのと嫌いなのが混じってるがなんか難しそうな気がする。
音楽ならさ、抜いちゃえばいいじゃん。プレイリスト作るときに入れなきゃいいだけで。(あと何でもかんでも音楽と比較するのもいいかげんアレですかね)
短編集。小説の短編集だったらどうだろうか?
これさ、きっとさ、ボリュームの問題はあるかな。短編集の中に嫌いな?面白くない短編が混じっててもさ、20ページとか?ズバっと飛ばせばまたそれなりのページ数楽しめるわけでしょ?これ大丈夫。そんなの普通ですよね。
ところが詩集となると小刻みになっちゃうわけでしょ?それらの作品に対するこちらの温度差とかもお構いなしにさ。あー、すみません僕が面倒くさいです。


逆に言うとそのぐらい僕は詩も大事にしたいんですよ。

素晴らしい詩だったら、その一篇だけで本一冊分ぐらいの熱量が注ぎ込まれるんですよ。いや僕のね。
詩は短い。小説は長い。でもたとえば受け止める重さ的なものは僕には同じなんです。同じぐらいのときがあるんです。
だって小説が長いから感想も長くて、詩が短いから感想も浅いってことはないですよね?
話がまた訳が分からなくなってきましたね?

これ結論ないやつじゃん。ただの泣き言だった(笑)。


いや、最近ある詩を読みましてね。
とても有名な詩らしいんですが僕は初めてで、とてもメンタルが揺らいだんですよ。
ある人が紹介してたんですけどね。
その詳細については書かないんですが、詩をこちらです↓

 

 

 

 

「願い」谷川俊太郎

いっしょにふるえて下さい
私が熱でふるえているとき
私の熱を数字に変えたりしないで
私の汗びっしょりの肌に
あなたのひんやりと乾いた肌を下さい

分かろうとしないで下さい
私がうわごとを言いつづけるとき
意味なんか探さないで
夜っぴて私のそばにいて下さい
たとえ私があなたを突きとばしても

私の痛みは私だけのもの
あなたにわけてあげることはできません
全世界が一本の鋭い錐でしかないとき
せめて目をつむり耐えて下さい
あなたも私の敵であるということに

あなたをまるごと私に下さい
頭だけではいやです心だけでも
あなたの背中に私を負って
手さぐりでさまよってほしいのです
よみのくにの泉のほとりを

 

 

//////////


この詩を読んだときにですね。僕はもうやったよ・・・、って思いました。


またやれって言われたらまたやります。
ただね、それならまずそう言えよって思うんですよ。


言えないから詩があるんですよね。

 

映画と本

 

僕にとって映画と本の違いから始めます。

映画は、映画館で観るなら当たり前、部屋でDVD等を観ていてもなかなか途中でやめるのは難しいです。止めるならオープニングすぐ、音楽でいうイントロで飛ばすみたいな感じですね。それならなんとか出来ます。僕の場合はですよ?
本は止められるんですよ。というか止めないと寝る時間が無くなりますからね。

これが不思議なもので、映画を仮に無念にも途中で止めたとするじゃないですか。そりゃ人生で一度もないとは言いませんよ何度もあります(オープニングで止めるのはよくやる)。物語が始まって進んでしまってから止めて、後日それをまた途中から観るとするじゃないですか。大抵もう無理ですね。何故かもうその世界には帰れないんです。
家で観てるのにトイレ休憩の一時停止さえ断腸の思いですからね(笑)。まあ僕の場合は、です。極端に言うとって話ですからね。

ところが本はすごいですよ。いついかなるときに途中から開いてもすぐその世界に没入出来るんです。開きさえすれば。しかももっとすごいのは複数の物語を併読出来るんですよね。
眠る前はこれを読む。通勤電車ではこれを読む。まあ今はそのぐらいですけど、昔はこれに加えてカフェではこれを読む、疲れたら(疲れたら?)これで頭を休める等々。とりあえず音楽を流すように活字を読んでいたこともありました。
今よりは若い頃に、部屋で本を読むのが単調でつまらない、かといってカフェやバーで読むのもなんだか煩わしいなと思って街灯の下で読書をするという謎のブームが来たことがありました。季節が良かったんですね。公園とかじゃないんです。中目黒の舗道です(笑)。
みずほ銀行だったと思うのですが、そこのエントランスの階段に座って街灯の下で読むんです。そこそこの人通りと行き交う車の音。案外落ち着けましたよ。

 

映画のエピソードですとね。いいのがありますよ。
細かい説明は抜きにしますけど、18歳ぐらいのときにワンルームの部屋で床座りしてベッドに寄りかかりながら向かいのテレビモニターを観ていると、右手の方が玄関でドアが見える、という暮らしをしてたんですよ、狭い部屋ですからね。
その頃は読書より毎晩レンタルビデオでした。あと地上波のテレビも今では信じられないようなラインナップで映画を流してましたね。8chで深夜にミッドナイト・アート・シアターとかいう番組があって、それこそミニシアター系の映画をノーカットCMなしで流すんです。僕はそれでイラン映画などの非西欧映画の「存在」を知ったようなものです。
テレビですから。受像機ですからね。自分では選びようのない作品と出会えたんですよ。あれは良かったなあ。
ってその話じゃないんです。

ある晩ですね。深夜3時頃でしょうか。「スカーフェイス」を観てたんです。1983年ブライアン・デ・パルマ監督、アル・パチーノ主演、チンピラ成り上がり映画の最高傑作ですね。
シャワールームのチェーンソー。ボリビアでのヘリコプター、フランクと悪徳刑事とを等々、美味しいシーンを挙げたらキリがないです。
観るのも何度目か分かりませんよ。イキってたんですかね?(笑)まあとにかく夜中一人で観てたんですよ。途中ふと右を見たら

 

 

 

 

 

 

 


玄関のドアが開いてて誰かがこちらを覗いてた

 


ひょえ~~~~~~~~


(;゚Д゚)

 


バタン!とドアが閉まりました。
僕は凍ってましたね。何秒ですかね。
すすっと静かに立ち上がりすばやくドアに向かいまずもって急いで鍵を掛けました。

普段は掛けてるはずだったんですがね。たぶん忘れたんでしょう田舎から出てきて一人暮らし始めてそれほど経っていなかったですから(?)。

それから息を殺してすぐ横のキッチンスペースにある包丁を手に取りましたよね。そしてドアスコープをもう、こう、目を張り付けて、見えるはずないのに斜めに角度をつけて覗いたりして視界を広げようとしながらその間ずっと心臓止まってますよ。いやもうドキドキが止まりませんよ。

5分ぐらいですかね。ドアスコープ覗いて、ドアに耳を当てて外で何か音がしないか聞き耳を立ててを繰り返して。手には包丁、脳内は最適解が分からないのでクラクラしました。
それでまずチェーンをつけてドアを開けるんです。意味は分かりません。開けて誰かいたらどうしたんですかね?考えるだけで気絶しそうです(汗)。
後はよく憶えてないのですが、それでしばらく空気を窺って、やはりなんとか外に出るんですよ。え?こういうときはどうするのが一番いいんですかね。出ますよね?包丁持って。
それから外廊下っていうんですかね、それを通って路地に出ました。
誰もいませんでした。
夜中の3時過ぎの住宅街です。
何の音もしません。注意深く駅に向かう通りまで出ました。包丁持ってますね(笑)。
反対側の路地ももちろんチェックしました。人っ子一人いませんでしたね。
ええガクブルでしたよ。


けっきょくこの話は謎のままこれで終わりなんですが、不思議なのは僕ははっきり「誰か」を見てるはずなのに性別が分からないんですよ。憶えてないんじゃなくて分からなかったんです。見たはずなんですが、認識出来なかったんです。

あとこの話の怖いところは、「意図が分からなかった」ことと、「いつからこちらを見ていたか分からなかった」ことです。僕がもし何気なく右を見なかったらどうなっていたのかまったく予想が出来ない事件だったことです。それが男だったのか女だったのかも分からない。
何をする気でいつドアを開けてタイミングを計っていたのか分からない。

あー、こえええええ!!

 

よく住み続けたよね俺も(笑)。

 

映画体験とはそういうものだと思います(違う)。

 

「うたかたの日々」 ボリス・ヴィアン

 

うたかたの日々/ボリス・ヴィアン


本の中身について書けるかはちょっと分からないままノープランでスタート。


「あなたの一番好きな本はなんですか?」とか、「一番お勧めの本はなんですか?」とか、「今まで読んだ中で一番面白かった本は?」とかさ。まあそこから長話できるんだったら会話の取っ掛かりとしてはとても刺激的で楽しいですよ。
こういう本がありましてね、でもこういう本もあってですね、だからあなたにはこれをお勧めしたい何故なら、みたいなね。
一問一答だと無理ですよ。まあこれは音楽でも映画でも絵画でも食べ物だってなんだって真摯に答えようと思ったらまず無理じゃないですか。
(だから僕はある人に「一番好きな映画なに?」って訊いたことを野暮だったなと思ってるんですが)

まあ本の話に限定していきます。キリがないんで。
たとえばジャンルを限定していきますよ。「好きな推理小説は?」とか、「好きなSF小説は?」。いやこれも難しいね。言われた瞬間パッと浮かぶものは確かにあるんだけど、続けざまにパパパっと浮かぶ。それに順番なんかないですからね。これがあればこれはいらない、って話はないですよね。で、訊いた相手もそうは思ってないと思うんですが、ただ1冊でぜんぶの側面を判断(値踏み)されることになるのでそれはやっぱりそんなに自分は単純に出来てない。と思う。

たとえばですよ?
(あ、今この瞬間にこのテキストがもっのすごい長文になることが確定した気がします。申し訳ない)
たとえばですよ?好きなSF小説は?って訊かれて、僕はまず「ニューロマンサー」が頭に浮かびますよ。瞬間、「高い城の男」、「結晶世界」、ああもうそのへんぜんぶ!ってなるわけじゃないですか。だって「ニューロマンサー」からにしたってギブソンの作品としてはスプロール三部作なら「カウント・ゼロ」の方が断然に好きですよ。ただ、それは「ニューロマンサー」ありきの作品なので・・・。とかね。もうグダグダ言いたいじゃん(笑)。
よし、やめよう。

 

僕はですね、割と良質な本を一冊持ってるんですよ。
というのは、活字に抵抗のない人ならまあまあ読みやすいボリュームで、内容も「軽く」も読めるし「深く」も読める。描写も活き活きとしていて飽きさせないテンポがある。
ただ!これで「値踏み」出来るんです(笑)。(バラしちゃった)
魔法の本なんですよ。
いや、僕個人の話ですから。誰彼構わず渡しません。
逆に言うと、僕に取ってものすごく大事な本なので、本当に大事に読んでくれる可能性のある人にしか渡せないんですよ。

いや、その本自体はまったく気楽な本だと思いますよ。今書いたけど活字に抵抗なければ誰でも楽しく読める。ただ、どこまでだった?って話になるわけです。別に感動する話でもないしスペクタクルな話でもない。薄い本です。読もうと思えば1日で読めちゃうよね。
もしかしたら何も残らないかもしれない。言っちゃうと後半は面白くない(笑)。
でもねえ、僕はものすごくこの本を愛してるんです。
実はそこなんですよね。僕みたいな人間が人に本を渡す。それはまあ愛の告白とは言いませんけど(笑)、あなたを信じてみたい、という願いは込められているんです。あ、いや、言い過ぎたな。ごめんごめん仲間意識仲間意識(笑)。単なるレコメンド。

でもその本を僕という生身の人間が渡すわけです。マブさんがこれ面白いと思うから読んで、ってくれた本。をちゃんと読んでくれる人にしか渡したくない。
というのは、これまた矛盾というか逆に言うと、僕はその本で値踏みされるわけですよ。

ちょっと脱線する。
たとえば僕は人に本を勧めるの大好きなんで、ゴリゴリの左翼の友達に「テロルの決算」読ませて喫茶ルノワールで喧々諤々の議論やって楽しかったりするすごく性格の悪いのは自覚してるわけです。もちろん彼が持って来た「9条どうでしょう?」は買って読んでます。
だからおまえは「人間の土地」を読め、と言われればちゃんと買いますよ。申し訳ない、まだ読んでねえ(汗)。

まあなんていうか、「相対」と、「ファーストインプレッション」ですかね。
初対面で何者か分からない同士が本をお勧めし合うみたいなのも面白そうですが、僕はそんな強者じゃないし、もっとさりげなくカッコつけたいじゃないですか(笑)。
まあ今バラしちゃいましたけど。
人に本(でもなんでもいいけど)をお勧めするときって、本当に自分が掛け値なしに心を動かされて、「ねー!これ読んでー!!」ってすごく理解し合ってる友達に言うなら簡単ですけど、そうでない場合はね、実は怖気づくぐらい難しいです。


話進めよう。
何かしらの関係性があって(もなくても)、本を紹介して、それがまあまあ丁寧に読まれたという感触を得られれば(値踏みクリアならば)、僕は少なくとも「本」に関しては信頼関係が結ばれたかもしれないという期待を持ちます。まあさ、「マブの持って来る本は一応読んでみる価値あるか」ってなものでね。
こちらはすごく楽しいですよ。人に何かを選んであげるってすごく楽しいじゃないですか自己満足だから。つくづく思うんですよねえ。プレゼントって本当に自己満足だなって。いやいいかこの話は(笑)。
でもさ、それで人を喜ばせられるって本当に素晴らしいよね。まあ成功した場合ですが。
だから失敗もあるわけですよ。

もしかしたら失敗だったかも?という例はいくらもあります。
僕ね、年寄りで変人なので、海外翻訳ものって旧訳が好きなんです。なんでかって理由はいろいろあるけどまあ当時はそれしかなかった、というのがまずありますよね。
うーんとね。あと少し言うと、旧訳ってそうは言っても頑張って当時翻訳の方が訳したわけでしょ?ということはそこにその当時の日本が含まれてる。なんてなー。
新訳というのは言語の相互理解がより進んでいるわけだから、新訳の方が素晴らしいんでしょうね。
ということで、超名作の本があって、それを持って行ったことがあるんですが、何をトチ狂ったか大人気の新訳じゃなくて旧訳を渡したんですよ(笑)。
今考えると予感があったんですかね。なんか解説?まで行かなかったけどなんか書いて一緒に渡した。A42枚?ちょっと待って。あるかな。

・・・。

前にも探したんだけど、なんでか無いんですよ。データですよ?なんで無いかな。恥ずかしくなって消したとか?俺が?この俺が?(笑)
なんか本文を引用をしたんですよね。確か。それで、あんまし何枚も書くと気持ち悪いと思って、文字ポイントを極力小さくして(笑)、それで1枚か2枚に収めたからあんまり言いたいこと言えてない感じのよく分からない文書をくっつけてしまった気がする。
僕の印象では、あくまで僕の印象ですが、あまりヒットしなかったかな。
そう思うと、僕が渡したその本て、「精神がおかしい青年」若しくは「精神がおかしいまま年を取ったオールドマン」が読む男のコ向けの本だったと思って反省した。これは、押し付けだったなと。ベストセラーだからって誰にとっても必要かって話で。僕自身別にベストセラーに興味ないですからね。音楽も映画も本も個人の体験ですよ。
ただ、この場を借りて言い訳すると、これでひとつ僕という人間のパーソナリティの紹介にはなりましたかね。こいつ病んでんなって(笑)。それがプラスに働いたかマイナスに働いたかはどうでもいいんです。分かるってことが大事だから。
一応ですね、後から新訳も持ってったんですよ。そしたら後日「新訳の方がぜんぜん読みやすいじゃん!」て言われて_| ̄|○ってなりましたけどね(笑)。いや、なってないです。読み比べてくれただけでさすがだなと思った。

まあ今ひとりの人のことを例として書いてるのバレてますよね?
違う本の話しよう(あれ?うたかたの日々どうなった?)。

ティファニーで朝食を」で有名なトルーマン・カポーティという人がいますね。
僕は映画も原作も読んだことがない(笑)。
まずヘップバーンなら「麗しのサブリナ」だけあればいい。いいかこの話。
カポーティはね、「冷血」ですよ。これ一択。
この作品はノンフィクションノベルという訳の分からないジャンルで、要するにインチキですよ。実際にあった陰惨な殺人事件の犯人をセンチメンタルに描く。で、この書いたカポーティ本人も鬼畜なんだけど書いて病む、っていうすごい作品なんですよ。
これはねー、けっこう分厚い本だから人に渡せない。
過去にある人に読ませたことがあって、その人は僕が外国にいるときに、とある本が「冷血に匹敵する」と宣伝されて日本で出版されたとき分厚いハードカバー買って持って来ました。
まあ二人で「そうでもないよね?」って話しましたけど(笑)。

 


いやあ、本の話もっとたくさんしたいな!別に内容の話いっさいしてないけど(笑)。
「ロリータ」の話を書いたらもうヤバくてさ。これは本当に誤解(?)されると思って出せないとか、チャンドラーとかハメットとかもう今の時代では読まれてないハードボイルドの話とかちょっと前のエントリーに少し引用したヴォネガットの話、あとはバタイユとかさ。本の内容はどうでもいいんだよ。そこから派生する駄話をしたいわけ。まあさっき書いた左翼のマブダチが本読みだから時々やるんですけどね。腹が割れてるんでマウントの取り合いとかにならないから楽しいですよ。ちゃんと台本あるから。
彼は良識派代表。俺は悪徳。


それでですね。悪徳ばっかりではいけないと思うんですよ?

だから僕は自分の中に残っている一番無垢で残酷な魂が「うたかたの日々」を愛するんです。
来たよ。

20世紀最大の悲痛な恋愛小説って言われてます。
あじっさいのところ、このね、このブログのエントリーのここまでたどり着いた人なら読んで欲しいなと思います。
読む前に調べものするのはナシがいいですよね。

ビックリしたのは、ナボコフの「ロリータ」で書き物しようとして確認のためwikipedia開いたらストーリーが最後まで乱暴に書いてあってさ、まあストーリーで読むものではないとしても、それ、あり?って思いました。ネットは便利だけど喜びとか真実とか本質を時として奪うので怖いですね。

「うたかたの日々」は例によって最初は旧訳で読んでます。
「日々の泡」ってやつですね。
これもね、実は人に渡したことがあります。反応ゼロでしたね。
まあ段階というものもありますから、僕もちょっと乱暴だったなと反省してます。本に対してね。申し訳ありませんでしたと。
今回は新訳の方を既に何種類かの本を渡している人に託したし、けっこう懇願してきたので(笑)、落ち着いて読んでもらえると思う。

まあめくってみて下さいよ。めくった途端にロマンチックですから。僕にしてみればこれはラブレターです。
長々と書いてきたじゃないですか。魔法の本は値踏みする本だとか、自分のパーソナリティを押し付ける本だとか。まあ即ち交流ということになるのですが、どうですかね。映画や音楽に比べて、今の時代に本というのは少し立ち入ってる感じがしますね僕は。
大袈裟かな。僕に取ってはそういうところはありますね。音楽なら数を撃てる。映画は・・・・、まあ映画の話はちょっと置いておこう。このブログを掘ると面白い話があるかもしれません(苦笑)。
本なんですが。僕は別に読書家じゃないんです。僕は基本的に偏愛の人間で辺境の人間なので、別に自分がスペシャルな人間だとは思ってませんが、ちょっとアイツおかしいって思われてるのは自覚はしてるんです。
いやそりゃ分かるよ。この歳で人目を憚らず号泣したりしてんの明らかに異常だろ(笑)。
でも自分の嗜好性を人にバラすのってこれでもけっこう恥ずかしいんですよ?だからここまでダラダラ書いてるわけじゃないですか。こうでこうでこうだからって。
「人格」というのは他人に対するサービスで一貫性がなければならない的な話があって、それって単純化という側面があるじゃないですか。あと、自分がどう見られているか実はよく分からないというところもある。これは何ていうのかな。信頼性とか距離感とか。
また話が逸脱してしまった・・・。

「うたかたの日々」な。
もうこれ序文から乗れないやつは捨ててくスタイルです。
僕はノリノリですよ。
あーでもこれ以上は書いてはいけないな。
あはは。ここまで来て書かないっていうね。

 

ただ僕は、「読まなきゃよかった」と思うぐらいこの本を愛してますね。


だから読んだらフィードバックが欲しいって思ってるんです。

 

怪談 「アパート」

 

この話は2004年に自分のWEBサイトに載せたものです。
経験自体は高校時代ですね。

 

 

 


「アパート」


僕は、幽霊とか霊魂と呼ばれているような超自然的な存在を一応信じている。
この目で見ているからだが。
しかし、人の「霊」が生前と変わらない意識を持ったまま存在しているとは思わない。
テレビやなんかで霊能力者みたいな人が、降霊させて会話するといったようなインチキ、エルヴィスやレノンの霊なんてギャグでしかない。


アレは、生きている人間と同じような”意識(あるいは意思)”は持っていないと思う。
現世に何か強烈な心残りを保ったまま肉体が死亡すると、”念”みたいなものが残るのだと思う。その念自体は人間の意識といったものとは違った形になって、それがたとえば強力な憎しみだったりすれば対象に向かって何かの目的を持っているかのように影響を及ぼすかもしれない。
単に何かの心残りの気持ちが、生前本人が自覚していたかは別にして、強すぎただけでも現世にぼんやりと形?を残して影響を及ぼしてしまうこともあるのだろうと思っている。

たとえば、ソレの姿が見えたときに、生きている人間の方が、「幽霊が出たおかげで、目の前にあったにもかかわらず気がつかなかった沼に落ちずに済んだ」となるか、「幽霊に誘われて進んだら、足を踏み外して沼に落ちた」となるかは、こちら側の”感応の差”みたいなものだと思ってる。
だから、こちらとしては基本的に手の施しようがない。


しかし、人が歩けば風が起きて草木が揺れるように、「何か」だってこの世界を構成している一部だとすれば、こちら側の影響も受けるとは思う。でも、何が作用するのかは知らない。
世に出回っている、除霊だのなんだのっていう類いの話はあまり信じられなくて、そういうことで、蛇口をひねれば水道が止まるように、自分の手でどうにかできるとは考えられない。方法はあるのだろうが、カカシを立てれば済むような話とは思えない。
世の中では、塩や水に効果があると信じられている。そういう場合もあるのだろうけど。

いずれにせよ、「念」というものは意識や肉体とは別に存在はしているということは確かだと思う。それを”魂”とか”霊”とか”呪”とか呼んでいて、現代の「技術」では制御することは難しいのだ。


今一度、「霊」が存在する、それは生前持っていた強烈な思念が残って現世に影響を及ぼすのだ、ということを改めて考えてみると、果たして”充足した死”を迎える人なんて何人いるのだろうかとも思う。だとすると、僕らが今生きている世界は、其処此処に心残りが転がっているずいぶんと危なっかしいところのように思える。

だから僕は、人の身体を離れた「魂」は、どこかへ流れて行き、そして霧散してしまうか、あるいはやはり別の世界へ昇っていくのだろうと思っている。そうして別の世界へ昇って行く途中、人の世に触れてしまうこともあるのだろうと思うことにしている。

 


さて。
知人のひとりにMTさんという人がいた。えーと、15年以上前の話ですが。


MTさんの住んでいるアパートは駅から少し離れた古くからの住宅地にあって、2階建て軽鉄筋。どこにでもある単身者(あるいは二人暮し)用の安っぽい小さな建物だった。
民家と民家の間の狭い路地、舗装されてない雑草の生えた道に、敷石が等間隔で置いてある上を歩いていく奥まった土地にあって、辺りはしんと静かで街の真ん中に住む僕にはずいぶん寂しい感じがした。


鉄製の階段をガンゴンいわせながら2階に上がって奥から2番目がMTさんの部屋だった。
ここからちょっと変わってる。
確かひとつの階にあるのは4、5戸だったと思うのだが、その各扉の両側部に茶碗が置いてあるのだ。ガラスコップの所もある。
中には水が張ってある。
初めてMTさんのところへ行ったとき、先輩から、「これ、こぼすなよ」と言われた。
「なんスか?これ」と訊くと、「まじないらしいよ」と言われた。
そのときは初めての訪問で、打ち合わせる話が大事だったので茶碗のことは聞きそびれた。僕はその日、バンドの練習があったので先に部屋を出た。スタジオに行って茶碗の話をすると、メンバーのひとりが、「それってお清めの水じゃないのかな?幽霊でも出るんじゃない?」と言った。
僕はそういうことに疎いので、普通は塩を盛るんじゃないのか、と思ったが、それとこれとは意味が違うようだった。


それからちょくちょく々MTさんの部屋には遊びに行ったが、何となく聞きそびれて、何のために茶碗が置いてあるのかずっと不明だった。縁起担ぎかなにか、特定の宗教の儀礼かなにかだと思ってたところもある。
何度も行けば、いつも置いてある物なんてあまり気にならなくなった。

 

あるとき、(僕は酒が飲めないので)ほとんど参加したことのなかった飲み会に出席せざるをえなくなった。あまり付き合いの無い連中だったのだが、顔つなぎのために行った。
若いときはよくあることだが、飲む飲まないで絡まれてケンカになり、そういう場では飲まない方が立場が弱かったりするので先に帰ることになった。


店を出てこのまま帰るのもシャクだと思い(飲めなくても飲み会に出て、ケンカをすれば気分が高揚するのだ)、自宅とは反対方向にあるバイトの同僚の女の人が一人で住んでいるはずのアパートに30分ほどかけて歩いて行った。
前々から「遊びにきて」と言われていたので、スケベ根性丸出しで行ってみたのだが、一度だけバイト帰りに部屋の前まで送って行ったことがあったキリで場所が思い出せない。思えば電話番号も知らなかった。
(当時の僕は両親と同居していたので、電話番号を交換するような習慣があまりなかった)
あまり馴染みのない界隈をウロウロし、空振りを愁いながらそれでもまだ家には帰りたくなかった。そこでふとMTさんのアパートもそう遠くはないことを思い出して、行ってみることにした。
午前0時をまわっていたので電話するよりもまず現地へ行ってみて、電気が消えているようだったらそのまま帰ろうと思って歩き始めた。


ここまで書いてふと思ったが、昔は特に約束せず人の家を突然訪ねてもあまり異常な行為ではなかったはずだが、今はありえないだろう。地元だけで親密な関係を築いていた田舎のコミュニティを遠く離れ、今はケータイの時代となったのだから。


奥にアパートがある路地の外灯はひっそりと暗く、辿りつくまで足元がほとんど見えないが、何度も通った道なので困ることはない。建物が見えてくれば壁面にこれも暗いが常夜灯が灯っている。
夜も深けて、あたりはいつも以上に静かなので、ことさら気を使ってソロリソロリと静かに静かに階段を昇る。上がると各扉の前には相変わらず清めの水が張ってある茶碗だのコップだのが置いてあるのが見える。が、一番奥の部屋の扉の前には無い。そういえば奥の部屋は前々から置いて無かった(後で訊いたら、ずっと空家なのだということだった)。
各部屋のドアの隣りは台所の窓で、MTさんの部屋は、曇りガラスごしに薄ぼんやりとその奥にある居間の電気がついているのが分かる。テレビの音らしきものも聴こえてくる。
起きていると確信したのでドアをノックした。応答ナシ。
さすがに強く叩くのは近所迷惑だと思ったので、何度か静かにノックしたのだが、一向に出迎える気配が無く、何とはなしにテレビの音が少し大きくなった気がしただけだった。


仕方ないので通りに戻り電話ボックスから連絡を入れた。
「すみません。寝てました?」と訊くと、すぐに「あれ?もしかしてオマエ今俺の所に来た?」と言われたので、ハイ、電気がついてたので起きてると思ったから、と言うと、「そっか、スマン、スマン。来いよ」と言ってもらえたのでお邪魔することにした。


アパートに戻ると玄関灯がついていてMTさんが扉を開けて待っていてくれた。
「悪いな。夜中だったから間違いかと思って」と言われたので、「すみません、ご迷惑でしょうからすぐ帰ります」と言うと、「いや、いいんだ。ゆっくりしていけよ。腹減ってないか?」と優しく言ってくれた。
そして、部屋へ上げてもらい冷凍食品の餃子をつつきながら、いろいろと話しつつ夜はさらに深けていった。


しばらくして、僕がとあることで落ち着かない気分になっていると、それを感じ取ったらしいMTさんが、今までとは違う顔で話をはじめた。


以下はそのときを思い出して、MTさんが僕に話す形で書く。

 

ドアの前に水張ってあるだろ。あれ、何でか話したっけか?
まだだよな。
俺、ここに越してきて半年になるんだけどさ。
最初の晩よ。
夜中の2時だか3時に誰かがドンドンドンとドア叩くんだよ。
その日は遅くまで荷物開いてゴタゴタやってたから、下の人が文句でも言いにきたかとか思いながらさ、ドア開けたんだ。
そしたら外には誰もいねーの。
そんで真夏なのにゾワ~っとした空気が、風じゃなくて圧力みたいなのが入ってきて。
なんか押された感じがしてさ。

「あ、しまった、中に入られた!」って思ったよ。

そんでこっち(部屋)の方に振り向いたらバンッ!ってそこらじゅうの電気消えてさ。
そこの襖がガーっと開いて(話していた居間の隣りの寝室の扉のこと)。咄嗟に逃げたよ、ヤベー!っつって。そのまんまにして。
鍵なんて持ってないから開けっ放しよ。こえーじゃん?
行くとこないから駅前で時間つぶしてさ。
そんで次の日の朝に戻ってきて部屋入ったら、散らかしてた物が全部壁の方に押しつけられてて。歩く道みたいにこういう感じに(手で道を作るようなジェスチャー)畳が見えてて。

なあ。気持ち悪いよな。
だから、不動産屋に文句言いに行こうと思って行ったんだけどよ。
不動産屋の前まで来て何っつっていいんだか分かんなくなってさ、幽霊出ました、なんて言えねーよなーとか思って。なんか恥ずかしくなっちゃってよ。そんで言えないまま帰ってきて。
俺、もともと霊感あんだよ。
霊感あると、まず居るか居ないか分かるじゃん?
だからこの部屋契約するときは何も感じないから心配してなかったんだけどな。
で、帰ってきて、そんときは居ない感じだから、夜中はドア開けないことにしようと思ってさ、いったん外に塩撒いて様子見ることにしたのよ。

そんで夜になって。
前の晩は駅でウロウロしてっからほとんど寝てねーじゃん?
何か来る前に寝ちまえばいいと思ってウォークマン聴きながらすぐ寝たのよ。
そしたらな、夜中息苦しくて目が覚めたら、閉めてたはずの襖が開いててこっち(居間)が見えてんのよ。
そんでこのテーブルのココんとこ(自分が座っているところ)になんかボンヤリとさ、いるわけ。
俺、メガネ外してるしよく分かんなかったけどよ。
そいつが立ったり座ったりしてんの。背筋がピンとしたまんま、スーっと立ったり、スーっと座ったり。
人じゃねぇっつーか、人の形しか分かんなくてさ、白くてボンヤリ光ってる感じで。
すげえカビ臭くなってさ。
そっから(寝室から)見ると窓の方向いてるから横向きで。顔とか分かんないんだけど、横向いてるって感じがしたな。
で、時々窓のほう行ったり台所のほうに行っちゃうから見えなくなんだけど、なんかあ、ミシ、ミシっと音すんのな。歩いてる音じゃなかった。
止まるたんびに重さがかかってるって感じだったな。
こっちは怖いからよ、もう息止めてジーーーっとしてたさ。
そのうちドアがバタって閉まる音がして。気配が消えた気がしたから少し待って布団から出て。5時だったか。
それから毎晩。
必ず夜中にノックすんだよ。コンコン、コンコンって。
俺は無視して寝ようとしてんだけど、そのうち金縛りっつーか、ほんと息苦しくてよ。寝不足になるし。
気持ち悪いし。
病気になりそうだったよ。
いや、怖いけどよ、何度か幽霊見た経験はあったからな。
とにかく引っ越したばっかりだから金なんかなかったからなあ。

そんでよ、ある日。1週間ばかししてからだったかな。
ウチ帰ってきたらさ、今みたいにドアんとこに茶碗があって水が入ってんのが見えて。うん、ウチの前に。
中入って分かったんだけど、親が置いてったのよ。

その頃って俺、親父とケンカして家出てっからさ、3年ぐらい会ってなかったのよ。引越したから一応、お袋には電話だけしててさ。
そしたら、来たみたいなんだよね。二人して。俺は仕事行ってっから会わなかったんだけど、手紙が置いてあってさ。

「お父さんが方角が悪いと言うので、お水を置いていきます。毎朝、必ず汲み替えること、絶対にこぼさないことだそうです。それを守れば、病気にもならないし、あなたにも運が向いてくるとのことです。身体に気をつけて」

なんて書いてあってな。
もし、俺がそーゆー体験してなきゃ、なんだ?って内容だけど、「ああ、分かるんだなぁ」とか思ってな。
それから毎朝替えてんだよ。
そのおかげでまったく出なくなって、夜ぐっすり寝られるようになった。
ああ、うん。
まさかオマエが来るとは思ってなかったからよ、ちょっとビビったよ。
水効かなくなったかっ!なんてな。
あはははは。まあ気にすんな。オマエは悪くねーよ。

(そしてふとMTさんはコチラを見つめた後、真剣な顔で次の話をはじめた)

ここだけの話。これ絶対誰にも言っちゃダメだぞ。
○○いんじゃん?アイツ、去年バイクで事故ってキンタマひとつ潰れたって話、知ってんだろ?カーヴ曲がり切れなくて、ガードレールにぶつかって飛んでってよ。
股間を指差しながら)ここんとこが標識にぶつかったってやつ。
あれな、実はな、外の茶碗ひっくり返したからなんだよ。誰も気づいてないようだけどな。
ウチで飲んでさ。4人で来てて。酔っ払ってて、俺は先に寝ちゃって。
朝なったら皆帰っちゃってて。そんで水取り替えなきゃいけねーと思ってドア開けたら倒れてんのよ茶碗が。
ヤベーっと思ったけど、何で倒れたのかも分かんないからさ。すぐまた水入れて置いたんだけど。その日の夕方にバンドのメンバーから電話もらって。
昨夜、帰りに○○がバイクで事故ったって。
かなりひでえ事故だったらしいけどな。
まさか言えなくてよぉ。一応元気になったからいいけど。
だから、おまえも言うなよ。

 

 

 


(そうしてひととおり話してくれた後、MTさんは僕にこう言った)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「おまえも見えるみたいだから言ったんだけどよ」

 

 

僕のいる位置は部屋の奥で、MTさんは食べ物や飲み物を持ってきやすいように台所に近い場所、出入口に背を向けて座っていた。
僕はMTさんと対面していたので、MTさんごしに台所から玄関が見えていた。
台所の曇りガラスの向こうが玄関灯の明かりでぼんやりと明るい。

 

 

そこをひっきりなしに行き来する「何か」の姿が僕には見えていたのだ。


音も無く、歩いているふうではない、ふわふわした動きだった。
時には玄関灯を被さってしまうのか、外が真っ暗になり影が濃くなったかと思うと、煙のように霧散してしまうこともあった。
近くなる感じや遠くなる感じもあった。
そして不思議なのは、決して形が分からないのだ。
人のような形ではあるのだが、曇りガラスの向こうにいるのは人じゃない。上がっているのか伸びているのかといった上下の動きや、当たっている光によって見える色とも違う不思議な白色をしている。
複数いたような気もする。
とにかく僕はそれらを見て、落ち着かない気持ちになったのだが、視線でMTさんは気づいたらしい。だからさっきの話をしはじめたのだ。

「入っては来ないから気にすんなよ。普段は玄関の電気つけてないから中から見えることはあんまり無いんだけど。おまえが来たときにつけたの忘れてた」


MTさんは、もう慣れたから怖くない、と言っていた。
そして、実は僕もこういった経験は初めてではないので、台所と居間の扉を閉めてもらって見えなくなればあまり気にならなかった(一人だったらキツかったが)。

「今から帰れ、とは言わねーからよ」とMTさんが笑って言った。
ほんと、それは冗談じゃないけど。

 

自分に特別な能力があるわけでもないし、知識があって調べたわけでもないのだが、あのアパートは「何か」の通り道だったのではないかと今は思っている。
「良くない場所」というのは、敏感であれば四六時中ただならぬ雰囲気が漂っているのが分かるはずだ。あのアパートは寂しい感じはしたが、別に居心地の悪い空気は漂っていなかった。
もし、あの場所に固着した強烈な”念”があるのなら、茶碗に水を張っただけのことで効果があるとも思えない。
きっと、あそこはちょうど何かのコースと重なっているのだ、くらいしか思い浮かばない。
まぁよく分からないが。
(詳しくは書かないが、MTさんはその後もあのアパートに住み続け、結婚後に不幸に見舞われた。それからようやく引っ越して、今は幸せに暮らしている)


実は後で地図を開いて調べたこともある。でも、僕は専門家でもなんでもないし、風水的なものも信じていない。
なので結論はない。


一応、何を調べたのかだけ書いておきます。
アパートの場所。地形(主に山と川)。古い墓地と新しい墓所。古い宗教施設。
そういうものが原因になるかどうかは分からないが、関係していることは確かで、僕も少し影響を受けたことがある。
その話はまたいつか書くかもしれません。

 

 

余談だが、そういう「何か」の存在を明確に捉えて、気のつかない人間に教えてくれるものもいる。犬だ。
犬の感知能力というのは、野生を遠く離れても未だに驚くべきレベルの高さを誇る。
人間に聞こえない音も聴こえるのだから、見えないものが見えたって不思議じゃない。
さらに、大抵はそういうものの影響を受けずにいられるらしい。
遠ざけられる力があるかどうかは犬によると思う。気になって追い出すような力があれば出来るだろうし、気になってもどうにもできないかもしれないし、気にしないかもしれない。

たとえば僕の小学校時代の担任のK先生が飼っていた犬などは、予知能力があって何度も飼い主を助け、「バケモノ」(と先生は呼んでいた)から先生を守ってくれたりしたらしい。

すべての犬にそういう能力があるのは知らない。
ウチの犬にそのへんの能力があるのかどうか分からない。
たとえば夜中に何もいない方向へ向かって吠えたりすることがまったく無い。あまり気にしていないのかもしれない。
あるいは寄せつけない力でもあるのかもしれない。ウチには何も起こっていないようだ。

 


2019年現在

実はですね、書いてないことがあって。
文中に出てくるMTさんというのは盛田さんという人で、当時で20代前半の広告代理店みたいなところに勤めてた人なんですが、地元のバンドのライブを趣味でブッキングしてたボス的な人だったんです。まあ、それはいいんですが。

盛田さんが当時言ってたのは、じっさいには「覗き込まれた」そうです。
寝室で布団で寝ていて、夜中にふと目を覚ましたら、「それ」が覆いかぶさるようにこちらを見ていたことがあったとのことです。僕はそれは想像してけっこうビビりましたね。
それって割と直接行動じゃないですか。
直接行動になってくると何かしら現実的な「コト」が起きる場合があるので、そうなってくると以前に書いた「丸コゲ」の話とかになってくる。解決が必要になっちゃう。
前の「学校の怪談」は僕は電子メールの話をすることがコミュニケーションになっててちょっと強引でしたが行ってもらえることは出来た。
だから「非常に強い執着」的なものが残ってしまって、それにたまたま感応してしまった場合、そしてそれに「向こう」が気づいたときですよね。
そこからは面倒だよなあって思いますね。ってなんかすごいインチキくさい話してますよ。

盛田さんは「念じた」って言ってました。
詳細はさすがに忘れました。「もう行って下さい」ということを毎晩懇願したんだったかな。目をつぶって心の中で唱えたらしいですよ。


この話が本当かウソかはどうでもよいし、そういうものが存在(?)するかどうかもどうでもいい感じです。
世の中は不思議なことばかりだし、他人は何を考えているか分からない。
現実には、人為的な力によって「動かされる」ことの方が圧倒的に多いわけで、そっちの方が気を使いますよ。


って何を病んでるんだ俺は(笑)。