5年後の秘密

 

秘密というものにも種類があると思う。



「誰にも知られたくない」ものは秘密ではなくて忘れてしまえばいい。

公には出来ないけどプライベートな場でなら言える。程度のことはまったく秘密ではないな。

親には内緒。これは秘密的ではある。

本当の友達にだけしか言ってないこと。これも秘密のひとつだろう。

二人だけの秘密。これは秘密だ。



私だけの秘密。これこそ秘密だ。



ここに俺は踏み込んでみたいと思う。

今の俺には秘密が無い。つまらないことだ。

もちろんすべてをさらけ出して歩いているわけではないが、基本的に自分のことについて何か訊かれたらすべて真実を丁寧に答える。訊かれたらね。

訊かれてもいないのに丁寧に説明している場合もよくあるね。

当然、過去についてもだ。この話はいいや。

 

20代の頃はどうだっただろうか。

多少ミステリアスだったかもしれない。

その頃の自分を記録しておけばよかったと後悔が少しある。

 

「事象」と「心情」。

 

驚くほどたくさんのことがあったはずだ。

 

そして、表の顔と裏の自分がいたと思う。

俺の過去の話はどうでもいいか。




俺が思うのはね。「秘密」の中にある、一定の条件を満たした秘密についてだ。

 

当然、公には言わない。もちろん親にも内緒。親友にも打ち明けないし、恋人とはまだ共有出来ない。そして、私を知らない匿名の裏垢ではつまらない。

でも、誰かにバレたい。



そんな秘密ありませんか?



私の事を知っていて(顔と呼び名と、ある側面を)、相手の事を知っていて(顔と呼び名と、ある側面を)、その関係性に特殊な結びつきが感じられて、しっかりとした距離感と不思議な信頼性と少しの「スリル」がある。



そんな相手がいるとしたら、ロマンチストだと思わない?(笑)

きっと私の「事象」と「心情」の記録を綺麗な物語として読んでくれると思う。

勝手に補完して、偉そうに論評して、品定めして、分岐点を決めて、感動して泣いてくれると思う(笑)。





君が得られるものはもちろん貴重な人生の記録だ。

しかもこのアプローチに君が感応することが出来ればひとつのテーマ(挑戦)が生まれる。



この瞬間は誰にも教えられない秘密だけど、このまま誰も知らないで終わらせるほど私の日常や非日常は無価値ではない。だから日々を生きて記す。

 

そしてまず「相手」に読ませる。

 

少なくともさ、始まりの相手はそれを与えた者だよ。





だから5年後、俺たちがまだ俺たちだったら、それを見せてくれないか。

2020年1月1日から5年間。

もちろん忘れちまう。

俺だって消えちまうかもしれない。

それでも2020年から5年間。

書き続けたならときどきは思い出すだろう。

この物語はマブさんのために書いてるかもしれないと。



そのせいで君は書かないかもしれないし見せないかもしれない。



だけど俺は今こうして関係を投げかけている。

 

心も身体も信用出来ない老いぼれがさ。

若いお嬢に5年も先の話をしてるんだ。



「夢」なんだよ。



俺が生きていくことに惹かれ続けられるための夢よ。



君は毎日を芳醇に生きる。

その体験を記す。



すげえ宝物出来上がると思わない?

 

是非、読みたいね。



読んだらちゃんと返すからさ(笑)。



ジョーカーその前、その後?

 

仕事場における人間について書こうと思ったら、止まらなくなったのでこれ単なる愚痴じゃん?となったのでお蔵入りになりました。


映画「ジョーカー」については、やはり体験だったなあと思ってます。そして体験が終われば終わりだなという感じもありますね。過ぎ行く感情。
ただ手元に無いから。手元にあったらまた観るし、おそらく僕はBlue-rayを買うでしょう(笑)。

 


ジョーカーが公開される前に、僕のツイッターで話題になったのがメンタルの弱さについて。関係あるような無いようなあるような。


メンタルの弱さとは1でしかないことを20や30にまで膨らませて圧し潰されることで、不要に何かと関連付けて意味を見出すからだ、みたいな。想像力があるが故に脆弱性を持っているといった内容です。
そこに「クリエイティビティと不安症は同居するものだ」みたいな共感のリプライがつくわけです。
メンタルの強い人は「現象を現象として捉えて処理する」だけ。と。

僕もツイートを見たとき、「この想像力が無かったら俺の人生はつまらなかっただろうな」と思ったのですが、果たしてそうかな?

僕の友達で自称サイコパスの人がいて、自分には他人に対する共感力などが欠けているし、「マブさんがアイドルの歌を聴いて泣いているのを見ていて本当に羨ましいと思う」とまで言っていた。おまえの方こそアイドルのライブで充分沸いてるじゃねえか(笑)。

まあ今のエピソードは関係ないんですが、別にメンタルの強さと想像力の豊かさって反比例するものじゃないんじゃないの?と思うんですよね。

ただ難しかったのは、このメンタルの強弱について書かれたツイートはまあまあ広く読まれたはずなのですが、僕の見る限りでは「故の弱さ」に対する共感ばかりで、反論が無くてちょっと途中から気持ちが少し萎えました。←メンタル弱い

以上のことは訳あって直接引用せず編集してます。
以下はツイート文をそのまま載せます。


私はインターネットで重用される「共感」という語に強い警戒心を持っていて、その理由のひとつが「共感対象は時に感情を言語化する能力の育成を阻害するから」です。感情や感覚を見つけてながめてさわって名づける前に「共感できる」アカウントやコンテンツで「これこれ」と済ませてしまう。

共感するのが悪いんじゃないです。私が怖いのは「共感する」対象が潤沢に供給される環境をつくって自分の感情や感覚の言語化を外注しつづける、そういう人がたくさん出てくることです。感情や感覚を取り扱う能力は使わなければ萎縮するのです。共感対象というギプスをずっとつけていれば廃用する。

自分の感情や感覚を言語化する能力が衰えた人のところにやってくるのは誰か。搾取者です。「あなたは今こう感じている」「モヤるよね、その理由はこうだ」と言ってくれる存在ーー支配欲の強い人間、悪辣な商売、そしてファシズム。私は大げさな話をしているのではない。とても身近な話をしています。

これは前述したメンタルについての話題より前にツイートされています。まったく関係はありません。


いくつかのことを考えました。
「まさに自分もそれ思った!」みたいなやり取りって日常的にありますよね。
それは別に当たり前に普通に日常。
ただやはり相手に依るなと。相手が相互理解者だったら問題ないと思いますが、たとえばテレビ(ワイドショーのコメンテーターだったり、或いは恣意的なニュースだったり)だったり、映画だってそうでしょう?
それって頭で考えてないよね?って。操作されてない?って。

まあこれ以上は書かない。

趣味の知人っているじゃないですか。
僕なら昔は犬飼い仲間。今はアイドルヲタクです(笑)。
共通の趣味を持っていても共通の「思想」を持っているわけではないので、ダチトモになれるかなれないかは様々です。
僕は別に考え方が違うから友達にはなれない、とかいう話はしません。


まあ、こっから先はまた長くなる(苦笑)。


・想像力とメンタルの強弱は関係あるか?
・共感という一言に洞察はあるのか?
・ジョーカーという映画の結論は?
・寛容とは無関心ではないのか?
ダイバーシティ
言語化難しー!

といった感じですかね。


ほら、1のことを膨らませるからさ(笑)。

 

映画「ジョーカー」

 

以下の文章は10月7日の月曜日に書き始めました。










俺が病んでるかとかもうどうでもいいじゃないですか。

そこらへんはあなたから見た私、僕から見た世界、の話よ。




で、映画「ジョーカー」を観てきて何やら書くんですが一切配慮しないので申し訳ない(笑)。







当たり前の前提を何度もするんですが、すべての知覚は相対ですからこれは僕だけのジョーカー体験になります。



それにしても二度と観たくないぐらい格別な映画でした。

「凄い」「ヤバい」という表現を使って僕は「良い」ということを褒めたりしますが、ときに「観るんじゃなかった」とか「読むんじゃなかった」、などとも言います。

 

出会ってしまったが故に人生が変わってしまう何か(誰かとか)というのがあります。

まあジョーカーがそこまでかというと、今の僕は「二度と観たくないけど観て良かった」という表現になりますかね。まあこれらは僕特有の大袈裟な表現なので所謂「盛って」書いてますけど(笑)。

 

非常に難しいのは、エンターテインメントは確かにハッピーだけではなく、ときに人は「陰惨」「陰鬱」なものを楽しんだりしますが、じゃあこの作品を人は感情のどの部位でどの程度の深度で何を感じて「楽しむ」のだろう?という素朴な興味がありますね。

映画というのは「種類」が限りなくあるじゃないですか。何映画ですか?これ。

そして冒頭に書きましたけど知覚は相対だと思ってます。

別に深読みすることは何一つ無いのですよ。

でも僕には映画の解釈よりも、観た人がどれだけ「血を流した」かにとても興味がありますね。

いやあ突っ走るなあ、俺(笑)。

 

難しいと言ったのは、筋を書いたら割と普通に想像通りなんですよね。

もちろん裏切りのカタルシスはありますが、ストーリー自体はシンプルです。そうか、そこは「万人向け」なのかな。

テーマも記号的に言えば「虐げられた者が目覚めたとき」みたいなものじゃないですか。まあ面白くないので「悪に」とは書きませんが。

ということは映画としては普遍的な、よくあるやつ。なんです。

ところがジョーカーがヤベえのはその歪さの匙加減なんです。

ハリウッドメジャーが超有名キャラクターの作品を大々的に公開したんですが、これ、面白かったの?どこが?どんなふうに?って訊きたくなる映画なんですよ。




じゃあ僕の話をしますよ。やっと(笑)。

聞かなくても分かんじゃん。

僕は中身の無い人間なのでって言うとまたふざけやがってって言われるか(笑)。

まあ表層的に書けば、いろいろ経験もあって「知ってる」し、当然心に昏い森もあるし、物語は入り込んで楽しむタイプなので思いっきりジョーカーになり切って観ましたよ。

僕が物語(=自分では無いもの)を好きなのは、やっぱり自分の想像を超えた体験が出来るからなんです。

でもそこで思うんですよ。

味わい具合って人それぞれだけど。って。

 

ただ、アベレージ的なものはあると思うんですよ。

あくまでアベレージね。アベレージとしてステイサム映画を深刻に観る人はあまりいないでしょ?(笑)

その、まあ深く考える必要なく楽しめる「エンタメ映画」とか呼ばれるアクション映画を僕はステイサム映画と呼んでいるのですが、大好きなんですよ。

確かにある種の侮蔑的要素を含んだ表現になってますけど、ジェイソン・ステイサム本人も自身のキャリアに於いて「トランスポーター」を諧謔しているのでこれはこれで有りなんです。大好きですよトランスポーターシリーズ。

ジェイソン・ステイサムについてはまたいろいろ語りたいんですが、まあ置いておこう

(笑)。

 

だから、そういった乗っかってしまえば運んでくれるエンタメ映画とジョーカーは違うのは確かじゃないですか。

僕はジョーカーの予告編をツイッターで見て、「最高に病んでる映画らしい」という話をチラっと見たときから映画の情報を一切シャットアウトしたんですよ。

何にも入れない状態で観たかった。

で、昨日観たばかりなのでまだツイッターNGワードから外してないしネットの評判もまったく検索してないので、つまり世間の評価をまだ知りません。

 

迂闊なことがあって。

ひとつは観る前に、ある別の映画について書かれているリツイートを読んだときに面白かったのですが、スレッドになっていて一部表示されなかったんですね。

それってツイ消しの痕跡だろうと思ってよくあることなので特段気にせずにそのツイ主の別のツイートを読んでみたくてアカウントを開いたんですよ。

説明が雑だったらすみませんが面倒なので進みます。

映画の評論的なことを書いている人のアカウントで、有名な人かどうかは知りませんがとりあえずなんとはなしにスクロールしてたら、さっきのツイ消しの痕跡はツイ消しじゃなくて僕が自分で設定したNGワードツイッターがちゃんと非表示にしてくれてた痕跡だったんですよ!

そういう仕様だと初めて知ったのですが、アカウントまで行くとNGワードでも表示されるんですね。ミュート機能と似たようなものかと理解しました。

だから見てしまったんです。「ジョーカー」というワードを含んだツイートを。ジョーカーを観る前に。

 

僕が面白がったリツイートは一連のスレッドで、簡単にいうと「Vフォー・ヴェンデッタ」と「ジョーカー」は同じストーリーである、という解釈の話だったんです。

ネタバレじゃん!

迂闊でした。curiosity killed the catですよ。いや違くない。

えー!?チクショー!と思いましたけど、まあぜんぜん傷は浅かったですね。

今改めて思うと非常に面白い解釈ですね。

ジョーカーとの類似性を書いた後に、Vフォーは15年前の映画で現在の英国はどうだって話が連なってて刺激的だと思いました。

今後ジョーカーをNGワードから外したり、ネットで検索したりすると様々な感想や解釈や論考や解説やら何やらがいろいろ読めるでしょうがハードルが上がりましたね。

 

「ジョーカー観た面白かった」「キツかった」とかはぜんぜんいいんです。

まあぶっちゃけ後は好悪の問題になってしまいますかね。

つまり先ほども書きましたけど、「虐げられた者が悪に目覚めて復讐に立ち上がり民衆のヒーローに祭り上げられる物語」みたいな箇条書きをされたらげんなりするんですよ。

僕はジョーカーを観て血を流した人の文章を読みたいから探すと思うんですが、その中に表層的な感想がたくさんありそうで面倒くさいなあみたいなところもあって(笑)。

「こういう映画に影響されてバカなことやるやつが出てきそう」とかね。その貧しい「共感力」の中から血まみれを探さなかなきゃならないかもしれない。

まあ、ぼちぼちやります。やんねーかも(笑)。



もうひとつ迂闊だったのは観た後だからまだ良かったんですが「JOKER」表記です。

これはNGワードにしてなかったし、ひとつも無かったんですよ僕のツイッターでは。

何故か昨日の帰り道に突如現れましてね、たったひとつ。

内容は「アメリカで物議を醸してる」的なことでした。ポリコレを無視してるとかなんとか。まあ影響力の話だったかも。

よく読まないで閉じたので分かりません(笑)。

 

あとあったのはゴッサムと70年代のNYとの類似性の指摘ですかね。

これを「違うだろ」という論調で書いてるのも「ジョーカー」の文字が入ってないので出て来てしまいましたが、ネットニュースの記事のコメントだったので記事は読んでません。

そこらへんの背景的なものは今はあまり興味がない。後で町山さんの情報に当たってからいろいろ調べると思います。

観たい映画があったら町山さんの情報は絶対観る前に入れないですね(笑)。但し、観た後は入れたい。金払ってでもってやつです。観る前に入れておくとより深く理解できる情報も教えてくれるんですけど、いかんせんネタバレ前までぜんぶ言っていただけてしまうので(苦笑)。

なので、観る前は我慢して、観た後に勉強させてもらって、後でもう一度DVD等で確認する、という手法を取ってます。



ぜんぜん自分の話してませんね。

するかよ。

 

断片しか憶えてないので、説明できる印象的だったシーンを紹介します。

 

初めの方にアーサー(後のジョーカー)がピエロの仕事中に襲われます。

ただ非行少年の憂さ晴らしのためだけに暴力に曝されて路地裏で横たわるのですが、全身が映された路地裏のカットで衣装のアクセサリーの胸の薔薇から何か液体が滴り落ちるんです。

普通に考えれば血なのでしょうが、それにしては色がちょっと薄い気がしたし、銃で撃たれたわけでもないのに妙に長く滴り落ちるんですよね。薔薇の花から。不自然。なんだろ?と思ってると、ドーン!と「JOKER」のタイトルが大写しになるんです。

 

僕がジョーカー世界に入るきっかけ的なカタルシスはこれも割と最初の方に来ます。

理不尽が重なり仕事をクビになったアーサーがガラガラの地下鉄に揺られていると、ゴッサムでは勝ち組の電通(じゃないけど(笑))の酔っぱらったリーマン3人組が乗って来て同乗していた若い女性にハラスメントをします。

その「嫌悪感」か「緊迫感」的なものから?脳に病気のあるアーサーは大声で「笑う」発作が出てしまうのですが、それで電通マンは当然「なんだてめえバカにすんじゃねえぞ」となり、殴る蹴るの暴行を始めます。抵抗できないアーサーは咄嗟に同僚から半ば強制的に渡されていた拳銃で相手を撃ち殺します。

このシーンはシビれましたね。最高にスカッとしました。

悪役を撃ち殺すシーンは何万と映画の中にありますが、これほどまでに突然にスカッと、ただの六本木の調子に乗った、けど自分に暴力をふるってきた、いけ好かない野郎どもをぶっ殺す痛快なシーンは他にはあまり思いつきません。この流れは最高に溜飲が下がります。

一人取り逃がしそうになるのですが、しっかり撃ち殺します。やっちまえ!!

 

そして初めての突発的な殺人ですから焦って一目散に逃げます。

ビビってどこだったかのトイレに逃げ込みます。

 

そこで落ち着きを取り戻したとき、すら~っとキレイに踊るんですよ。満ち足りた仕草で。

 

最高でしたね。それが描かれてたし、僕はそう捉えました。



但し警報が鳴りました。

まだ映画始まったばっかじゃん!

絶対これから絶望させるつもりじゃん!

見え見えじゃん!!!!

てね。



案の定、でしたね。





僕のクライマックスは母親のカルテを読むシーンですかね。

ジョーカーが難しいのはどれが「本当」で「現実」でどれが「嘘」で「妄想」なのかなんだか最終的に分からないところなんですよ。後で整理して見れば分かるでしょうがアーサーの世界に入るとよく見えなくなる。

で、母親が「あの子は泣けないんです」というようなことを言った記録を読んだ(映画では母親が証言する再現シーンがある)ところでアーサーは「笑う発作」を起こすんですが、僕はそのときやっとこれは脳の病気という記号ではなく、彼は「泣いている」、嗚咽なんだ、と気づき、涙がこみ上げてきました。「笑う」ときは基本的に高笑いなんですが、それは号泣ではないんです。嗚咽です。

僕の解釈です。



正直やっぱり気持ち悪いんですよアーサーって。

見るからに神経過敏そうで、映画だから彼の置かれている状況や心象風景が語られますから同情的にはなりますが、実のところ自分の「恥部」を晒されてるようなところもありますから感情移入しながらも嫌悪感が確かにあるんです。

そして非常に差別的なことを書きますが、病気とはいえ笑ってはいけないところで高笑いされたら頭では理解しますし腹は立ちませんが違和感は本能的に感じてしまうのに打ち勝つほど僕は聖人じゃない。



でも、あそこまで語られたら僕も「笑い」ますよ。

それで僕は、そういった原体験は無いのですが、世の中にはそういうことが数多くある、ということを知っていて、その「凄惨」を知っている。つもり。何故なら興味本位で昔はその手の情報をかなり漁ったことがあるんです。深淵を覗こうとしたのですかね。

今はもう無理。見出しだけで退散です。



まあ、このぐらいにしておきますかね(笑)。

キリがない。

そういった訳で、映画エンターテインメントのプロたちが寄ってたかって作った作品がこれって何だろう?というそれを考えたときの「怖さ」もありますね。

これを世界中の人が楽しむ、売れると思って作ったのか、と。

文化?考えたの?金儲けのための?意義って何?ウロウロ…。



ターゲットが世界中にいたんですね。俺とか(笑)。





最後に、映画作品としてネガティブなことを書いておくと、クライマックス的に用意された暴動シーンの演出の凡庸さで200億点が100億点ぐらいに下がりました。けっこうガッカリ。

一緒に観に行った友人は当初そのシーンについて肯定的でしたが、説得されて(笑)最終的に僕に同意しました。

これは落差の問題で、暴動シーンそのものを取り出してみれば別段否定されるところは無いと分かってはいるのですがそこが問題で、そこに至るまで観る側を散々打ち砕くような歪な物語演出をしておきながら、暴動シーンは何故かいつもどこかで使われているような表層的な演出ではっきりと退屈でした。

ただ僕はその時点で既に視点が違ってしまっていたので、つまり僕は途中から僕のジョーカーを作ってしまっていて、その通りにならなかったから正に気が狂っていたのかもしれません。

 

友人からは、妄想だったことに対するフラッシュバックシーンは説明過多ではなかったかという指摘があり、僕はそれは観ているとき気になりませんでしたが言われてみれば無かった方がより「想像の記憶」=妄想が立ち上がったかもしれません。

つまり、逆に言うと暴動のシーン含め映画エンターテインメントとしては親切に作られてはいるとも言えますかね。いや別に皮肉は言ってない。

僕と友人はちょっとアレなんだと思います。アレ(笑)。

 

それからデ・ニーロのキャスティングは「高度」過ぎますね(苦笑)。

あれだけ底の浅いキャラクターに配役されて、しっかり軽薄に演じて見せたデ・ニーロの凄さが分からなくて混乱します。




ほら。何がなんだか分からなくなってしまったよ。













以上は、書かれている通り、映画を観た次の日に思うまま書いた文章です。

どうせ、これ以上にも以下にもならないのでそのまま出します。

 

後はせっかくだから主演のホアキン・フェニックスのことを少し書きますか。

といってもまあまあ観てます、ぐらいのもので、フィルモグラフィーを覗いたらそんな感じでした。

僕は案外と映画館で映画を観ない方なので、どの作品が最初のホアキン体験か定かじゃないんですが、やっぱりきっと「グラディエーター」でしょう。

ただ、僕はこの映画嫌いなんです(笑)。ビデオで観たんですが、観た後に当時の彼女とケンカしましてね(笑)。まあ、僕がまた不用意な一撃を食らわせて彼女がキレるというよくあるパターンなのですがワハハハハ。まあ、だからさ。この話はやめだ。

 

ホアキン主演の映画で好きなのが2本あって、「戦争のはじめかた」と「アンダーカバー」です。

「サイン」と「her/世界でひとつの彼女」も嫌いじゃないな。

戦争のはじめかた」という作品は一風変わった映画で、ドイツかどっかに駐留している米軍の兵隊の話なんですが、笑え、る、、、と思います(急速に自信がなくなってきた(笑))。

いやこれもまたとにかく変な映画なんですよ。トボけた映画というか。

たとえば「アメリカン・スナイパー」だったら僕らの属性でも想像力でリアルを感じられるとするじゃないですか。分かりませんよ?実際の戦場がどうかとか。でもまあ、違和感は知らない。

ところが、この「戦争のはじめかた」のアメリカの兵隊たちって、本当にこんな感じなの?というギャップがある。いやさすがにここまでじゃないだろ、と思うのですが、分かりません。

どんな話かいっさい書いてねえ(笑)。

コメディ・ドラマですかね。戦争映画ではないです。駐留してるだけだから。

調べてから観てもいいですけど、まあ好きにして下さい。特にお勧めはしませんが僕は気に入ってて何回も観てます。年に3回は観るかな。目安。

「アンダーカバー」は犯罪ものですかね。シリアスです。

ただこれは目当てはエヴァ・メンデスです!(大声)

エヴァ・メンデスとイチャイチャ。それがすべて。マジで。

と書いてしまうと終わるので、ストーリーはよく出来てますよ火サス的に。

簡単にいうと「火サス」=良く出来てるから悩まずに観られるドラマ、的なものだと思って下さい。

メンツもいいです。マーク・ウォールバーグが出てます。あとは何といってもロバート・デュヴァルですね。ゴッドファーザーのトム兄さんですよ。いやお爺さんになりましたけどね。

この映画は割とステイサム映画に近いところもあると思います。ジョーカーと比べればの話ですが。つまり「無問題作」です。すごく好きですね。なんか人はこういう作品は1回観たらもういらないみたいなのですが、僕はエヴァ・メンデス大好きだし、最後まで面白いことが保証されているが分かってるので何回も観てしまいますね。まあこれも年に3回くらいですかね。

12年前の映画で年に3回観てるということは、単純計算で(暗算いっさい出来ません)まあ30回以上は観てるだろうということですよ。30回...バカだな俺(笑)。

 

それ以上に観てる映画作品というのはいくらでもあって、その話はまたさ、長くなるから。いつか。




「ジョーカー」ね。

こんな俺に言えるなら言って欲しい。「観たよ」って。

 

すっごいうんざりした顔で訊きますよ。

「んで?」って。

 

そしたら是非、僕の心を殺して下さい。

あなたがジョーカーならば。




美樹さんと洋さんの記録

脈略も無く突然思い出した。


あれは確か17のときだったな。


前段から始める。

中学2年生のときに、私立の有名なお嬢様学校から俺たちが通っている公立の中学に転校してきた3年生がいた。
俺が住んでた団地から歩いて15分ぐらいのところに割と大きな整形外科医病院があって、そこの娘だ。美樹さんという。
私立の女子中学を放逐されてきたということはとんでもない不良ということだ。
俺たちの中学は別に荒れていなかったが、悪い連中がいないわけではない。
そのあたりとどう渡りをつけたのか知らないが、美樹さんはあっという間にカーストの上位に君臨した。まあ、頭も良くて飛び切りの美人だったからね。
美樹さんは俺のマブダチで市内一のモテ男だった慶太と恋仲になった。当時は人の恋路に興味がなかったので内情は知らない。
とりあえずそんな感じ。

 

俺は商業高校に入って、高校では大人しくしてて学校が終わったらバンド女バンド女バンドバンドバンド。
同じ高校に通う同級生より他の高校に通うバンド連中の方に友達が多く、洋さんという1個上のベーシストと何故かウマが合って毎日のように遊んでた。
二人ともパンクバンドをやっていたが、古いロックンロールが好きで、大通りに出来た箱バンがオールディーズの生演奏をする飲み屋に時々行った。
あるでしょ?ビートルズコピーバンドが毎晩演奏したりする店とか。六本木に。オールディーズならKENTO'Sあたりが有名だったな。
俺たちが時々行ってた店の箱バンのメンバーには大学生が何人か混じってて、実は俺のパンクバンドのメンバーが二人いた。だから少し安く入れたのだ。

ある日、店に俺が通ってる商業高校の1個上の先輩の女の子と美樹さんが一緒に来た。
「あらマナブくん、久しぶり」ということになって一緒に飲むことになる。
俺はその頃もう既に女性を「選別」する癖をつけていたので、二人に対しては特に興味を持たず音楽を楽しんでいた。まあそのときの会話を憶えてないってことはそういうことです。


一通り飲み食いして、では、そろそろ帰りましょうかということになった。
4人で外へ出て、なんとなく通りを歩き始めて、なんとなく二人対二人になった。
どっかの交差点で、先輩が「私たちはこっち」と言って俺に腕を回してきて洋さんと美樹さんたちとは別れた。
「なんだよ、ぜんぜん気づかなかったッスよ」「鈍感ね。ちょっと1杯つきあってよ」
というわけで俺は里佳子さんとバーに入った。

知っている人は知っているが俺は酒がほとんど飲めない。飲めない上に所謂酒で酔っぱらったこともない。ビールジョッキの一気飲みをさせられたことがあるし、ゆっくりだが日本酒を何合だか知らないがとっくり3本くらいは飲んだことがある。吐くこともあるし、顔は真っ赤になるし、身体がふらつくこともなくもない。ただ、頭の中が変化したことはない。説明。

里佳子さんは最近男にフラれたと言って、何かよく分からない酒を次から次へと注文して、しまいには泣き始めた。
里佳子さんはウチの高校では不良というか派手で目立つグループに属していて、目立たないようにしていた俺に校内で声を掛けてきたのは確か向こうからだ。

里佳子さんは男についていろいろと持論を述べて、「そうでしょ?」と訊いてくるので、「まあ、そういう男も多いけど、そうじゃないやつもいますよ」と答えた。
そうじゃないやつなんてどこにもいない、と言いながら里佳子さんは俺にしなだれかかってきて俯いて泣いた。しょうがないので肩を抱いて軽く叩きながら、俺はこういう場合はどういう流れなのかよく分からないので黙っていたと思う。若い頃はあまりおしゃべりじゃなかったのだ。

里佳子さんが、「あんた慰め方知らないの?」と俺を見上げて言ったのでチューしてやった。
5秒はあったと思うよ?短くはなかった。力も必要なかった。そしたらさ、
甘受した後、ドンと突き飛ばされて、バチン!と平手打ちよ。
「こんな人前でキスしないでよ!」
俺も言ったよ。恥ずかしかったから小声で。
「こんな人前で引っ叩かなくてもいいでしょ」って。
そしたら彼女悪そうな顔で笑ったね。

だから二人で静かな場所に行ったか?って言う話は記憶が定かじゃございません。

 

後日、美樹さんに聞いたのは、「洋くんはね、履いてる靴が可愛かったの」だと。
女は怖いよ。

 

 

 

 

 


話を続けようか。

 

美樹さんと洋さんと俺の関係というのは少し不思議で。


結論からいうと、美樹さんは今はどこで何をしてるかもう不明。洋さんとは数年に一度くらいは飲む。彼は結婚してマンションも買って子供も3人いて、これは幸せというんでしょ?いろいろ話を聞くとあまり羨ましくならないんだけど(笑)。
俺はまあこんな感じ。

 

俺は高校3年に上がってすぐ上京した。
洋さんは高校卒業後就職も決まっていたが、不良の美樹さんに煽られて二人でとりあえず東京に出て来てしまった。
とりあえず出て来てしまったので、俺が一人で借りてるワンルームに来やがった。
こっちは田舎に恋人を残して出てきたばかりなのに、ベッドのすぐ下には恋人同士がイチャイチャしてるんだからしてないって言われても困ったものだった。

彼らは一週間ほどで出て行った。
それから会うことはなかった。
携帯電話の時代になる何十年も前の話で、俺は当時1年ごとに住まいを変えていた。
住まいを変えるごとに必要最低限の物と必要最低限の連絡先だけ残していく暮らし。

いつだったかまったく思い出せない。
新宿で夜だった。
東口の駅前で洋さんと美樹さんにばったり出会った。
引っ越したことを連絡しなかったので責められた。
俺は人から初めて言われた。
「友達だろ?」
まあ別に、友達だけど。友達はこれまでもたくさんいたけど、わざわざ言う人は今までいなかったので、この台詞は架空の言葉だと思ってたから面白かった。

たぶんこの頃は杉並の方に住んでいた。21歳か。

ちょっと印象深かったことがあるので書く。

俺はその頃トラブルに巻き込まれたりしていて、よくコテンパンにされていた。
当時の恋人がとても心配していて、一緒にいても俺が刺々しくならないようにいつも心を痛めていたそうだ。というのは「後から」聞いた話です。
二人で杉並のアパートに帰る途中、改造スクーターに所謂コルク半、ハーフキャップのヘルメットを被ったやつが踏切待ちをしてたところに通り掛かった。
俺がそいつに近づこうとしていったら、彼女が「やめてよ」と止めるのだが、俺はおかまいなしに近づいて行って背中をぐいと引こうとしたら、彼女がものすごい力で俺を引っ張ったのでびっくりしたが俺の手はもう背中に触っていた。
スクーター乗りが振り向いた。洋さんだ。分かってたから。
「あ、彼女と一緒か」と言って洋さんは帰って行った。彼女は半ベソかいてたので、俺は自分は別にそういう人じゃないって信じて欲しいと説得するのが大変だった。

洋さんはよく遊びに来た。
その頃は確かバイクで20分くらいのところに住んでたと思う。
美樹さんの話は出なかったので聞かなかった。
二人でボアアップしたスクーターに乗って、湾岸の方まで行ったりしてたからまだ少年ですね。酒も飲まないしギャンブルもやらない。何が楽しかったのか分からないけど、二人でいるととても楽しかった。
思い出した。
まだ田舎にいるときに、スクーターに二ケツして雨が降ってたから傘さしてノロノロ走ってたら警察に捕まりました(笑)。厳重注意で帰されたけど。たぶん1985年。おそらくまだ50ccバイクはノーヘルが許されてた時代だと思う。古代ですね。


1年後に初台に引っ越した。

その頃には俺は会社員になっている。洋さんの口利きでもぐりこんだ。思えば、杉並のアパートに住んでいていろいろくすぶってるとき、「おまえも来ないか?」と彼が誘ってくれなかったら俺の人生は今頃どうなっていたかよく分からない。あのとき俺は選択した。

洋さんと美樹さんは確か日吉に住んでたと思う。そのときかどうかは分からないが一度は二人は日吉あたりに住んでた。
そのあたりから毎晩のように車で遊びに来た。
ここらへんは記憶が曖昧だ。
六本木にも毎晩のように行っていたし、俺の住んでた初台のファミレスにも毎晩のように行ってたし、三宿あたりがまだ面白かったのはあの頃だったような気もするし、20代前半は場所も人もイベントも多過ぎて抽出するのが難しい。30年前だ。記録もない。
ただ、行って何をするわけでもない。食べて飲んでおしゃべりするだけ。
それで夜が明けていく頃に二人は帰って行った。

 

断片を書いていく。

六本木に一誠という居酒屋があって二人によく連れて行ってもらった。今はどうなったか知らない。あそこの一誠サラダは絶品だった。接客も品があったし、客筋も良かった。勘定も妥当だった。後年、俺も時々女の子を連れて行った。

洋さんはホンダN360に乗ってたことがあって、天井にカビが生えてたので、「星が見えるねえ」と言って笑ってやった。

美樹さんに、「マナブくんはすごい性格が悪かったけど、昔の方がカッコ良かったよ」と言われたことがあった。

ある晩、三宿のカフェバーで「俺たち別れることにしたんだ」と言われた。
そのとき俺はあまりの悲しさに泣いてしまった。
まるで親が離婚するかのような気分だった。これは今気がついた。

新丸子のマンションの部屋がひとつ空くので俺が入ることにした。
美樹さんは時々新しい男のところから洋さんのところに帰って来た。
バスルームの脱衣スペースとダイニングに仕切りがなかったが、美樹さんはダイニングでテレビを見てる俺たちに構わず裸になるので俺は目のやり場に困った。

あるとき、夜中にふと目が覚めたら美樹さんがベッドサイドに枕を持って立ってたので、びっくりして「どうしました?」と訊いたら「ちょっと横にどいてよ」と言うので、それはさすがにマズいから飲みましょう、と言って二人でダイニングで飲んだ。
ダイニングテーブルは俺が奮発して買った大きくて上等なやつだった。
俺たちは他愛もない話だけした。
美樹さんとはけっきょく他愛もない話しかしたことがなかった。俺が14歳のときに知り合って、このときはたぶん22くらいだろう。
本音を聞いたことは無かったし、言ったこともない。不思議な仲だった。
美樹さんはかなり飲んで吐いた。

後日、ダイニングと脱衣所を仕切るカーテンをつけるために天井にカーテンレールをつけてカーテンをぶら下げたが、美樹さんはもう来ることはなかった。

洋さんと俺は別の会社になっていたが、一緒に出勤していた。
二人とも満員の電車が嫌いだったので洋さんの車で出勤していた。当然、洋さんは自分の会社までしか行ってくれないので、俺はそこから電車で自分の会社に行くのだが毎日30分遅刻していた。誰も文句は言わなかった。

洋さんの妹が田舎から遊びに来たことがあった。
洋さんとしては、俺に預けたかったらしかったが、お互いちょっと無理だったな。
いい女だったけど(笑)。
今はまあまあ幸せにやってるらしい。

俺の高校時代のバンド仲間の当時の彼女が田舎から遊びに来て泊まって行った。
その頃、俺と洋さんは趣味でバンドをやっていて、ちょうどライブがあった。
優は俺に、高校時代からの親友が高円寺に住んでるからライブのときに紹介すると言った。
松雪泰子にそっくりだから、マブさんびっくりするよ。大事にしてね」と言われた。

ライブの打ち上げで優から桂を紹介された。
松雪泰子にそっくりでびっくりした。デパガだった。
連絡先と次に会う約束を取り付けた。

新丸子と高円寺を車で行き来する毎日が始まった。

洋さんが妹が上京したいらしいと言ってきた。
俺は桂と一緒に住むことにして新丸子を引き払った。
引っ越しはバンドのメンバーが手伝ってくれた。

 

 

映画の話をどこからやるか考える



映画の話っていうのもまあまあどこからやるのかというのは考えます。



以前のエントリー「うたかたの日々」で本について書いたんですよ。

僕は相手と自分とのサムシングを確認する本を持ってるって(そんなこと書いてない)。

いろいろ書き連ねることはあるけど、長くなるし聡い人にバカにされるのでやめます(笑)。



それぞれのフィールドがあるじゃないですか。

スポーツマンとか、キャンパーとか、犬飼いでもいい、なんかさ。そうですねえ、自分を提供できる分野って言うんですかね。まあ「価値」と言ってもいいです。

僕はどうですかね。まあ別に人は多面体なのでいろいろあるんですが、このブログでの僕の人格は音楽と本が多かったですね、今まで。いや、単なる駄話が多いか。

ただ今までは割とぶん投げて終わりにしてきましたね音楽も本も。



音楽はねえ、たとえば僕にサム・クックのこととか語らせます?それ僕の恋人だったとしてもイヤだと思いますよ?(苦笑)

知ってました?エルヴィス・コステロの曲、1曲紹介するためになんかすげえ長いエントリー書いたんですよ。「愛と平和と相互理解」っつってね。あれ、最初の方になんか言葉のこと書いたふりしてますけど、何のことはない曲が好きだったっていう話ですからね。

 

本もですね、「うたかたの日々」でグダグダに長話して肝心の物語の内容に一切触れないっていう。まあ、そういうことですよ。

モトカノに言われたことありますよ。「あなたは仄めかすのよ」って。

だから興味深くて面白いときもあるんだけど基本イライラするみたいですね!(笑)




ただですね。僕はあなたに書いてるんですよ。うわー気持ち悪ーい。

いや。だから、このブログを読みそうな人の人格の想定みたいなものはゼロではないんです。そうするとですね、僕は単なる普通の人なので文体とかこんな感じで、ブログ(ネット)用に自分を作ったり出来ないので、逆に僕自身がダダ漏れになるんですよ。

だって見て下さい!誰も俺の話を途中で遮って奪わない!好きなことを好きなだけ書ける!しかも!ツイッターと連動してなくてブログという形式自体がけっこう敷居が高い上に辺境なので、

 

あんまり人が来ない・・・。



まあまあリアクション無いから震えてますけどね。

それがいいんです。たぶん読みたい人はどこからかやって来て読んでる。





それでですね。冒頭の話にやっと戻るんですが、これからは映画の話もやっていこうと思ってもいるのですよ。

ただねー、難しいッス。

本の話はすっかり吐いた。あれはあれで成立したと自分は思っているので今後もどんどん書ける(書けない:「ロリータ」)。

音楽の話もしばらくすると出てくる。やるよそりゃ。すべてはタイミングです。日記じゃないんで。



それでまあ何から始めるかというところの話でした。映画ですね。

 

まずお前の腹を見せろよって言われたら、僕は「タクシー・ドライバー」と「狼たちの午後」と「ゴッド・ファーザー(Pt1、Pt2)」を挙げますよ。

デ・ニーロ、パチーノ、カザールですよ。

でもさ、俺別にそれを人に押しつけたいとはぜんぜん思わないわけ。

僕は本も音楽も映画も、好きなものは繰り返し摂取するタイプ(依存症気質らしい)なのですが、そんな「タクシー・ドライバー」なんか何回とは言わないけどさ、少なくとも「ブラックホークダウン」の方がぜんぜん繰り返し観てますよ。そこに意味はないです。回数にはね。

そうですねえ、音楽でも稀にありますね。僕はジャニス・ジョップリンが大好きなんですが、彼女の(いたグループの)最高傑作ともいえるアルバム「Cheap Thrills」は年に1回ぐらいしか聴かない。大好きなアルバムですよ。ただ、「今日はジャニスの日だな」っていう自分のタイミングがあって、向き合える態勢が整ってないと聴けない。もったいなくて。

サム・クックのハーレムスクエアもそれに近いですね。ただ、サムのアルバムはもう身体の一部なので(何言ってんだコイツ?)割と大丈夫かな。アルバムを通して聴くとなると、その時間は全神経を使い果たすぐらいそれに集中したい。そういうことです。

映画もそういう作品の種別?(本もそうですけど)、ありますよね?

 

僕は先ほど、好きなものは何度も繰り返し求めるタイプの人間だと書きましたし、じっさいそうで、気に入ってる地下アイドルの音源なんて毎日毎日何回聴くの?ってぐらい正にヘビロテしたりしますけど、それとは違う愛で方もあって、映画の場合だと数年に一度しか観なかったりするのに愛してやまない作品とかもあるわけです。

 

(逆に僕にとって不思議なのは一度観たものを基本的に二度と観ない人とかいますよね?少なくとも普通はすぐには何度も観ないらしいんですが、そうなんですか?僕は物事を構造的にとか見られないのでとにかく夢中になって観るから大体「あの瞬間」良かったよね?みたいなことしか憶えてないんです。だから何回も観ないと映画全体が分からない(笑)。いや、筋は分かるよ)

 

あとバイブルの話はちょっと違うので、その話は置いておこう。




ちょっと悩みましてね。

映画の話をするけど、僕がアヴェンジャーズの話とかしても面白くなさそうじゃないですか。

あ、この前「カーマイン・ストリート・ギターズ」っていうものすごい地味な映画を観てきましたよ。公開初日に。

僕はとても興奮してしまいましてね。いや、映画自体は何のストーリーもない日常を描いたノン・フィクションなんですが。素晴らしかったです。僕はもうその場で踊らんばかりに興奮してたら彼氏が呆れて「え?そんなに?」って言ってました(苦笑)。

僕は映画情報サイトのインフォメーションでその映画の存在を知って、そこにロバート・クイン(今はロバート・クワインと表記するのが正しい)の名前を見つけた瞬間にもう観ることを決定したのですが、ロバート・クインは出て来ないんですよ。もう亡くなってますから。

知ってます?ロバート・クイン。マウント取りますよ?まあ知らなくて当然の人なんでいいんですが。ギタリストです。この人がいたかいないかでロックの歴史が違ってた。そういう人はたくさんいますが、確実に景色を変えた人のひとりです。それは巡り巡ってあなたの聴いている音楽にもちょっぴりは関係してるんですよ。

 

そういう人たちがふらっと出てくる映画でした。ビビりますよ。ぎょえーって。

ロバート・クインは出て来ないんですが、エスター・バリントが何の肩書もなしに画面に映ったときは腰が抜けるかと思いましたね。大袈裟過ぎんだろ俺。

いや調べてみるといいです。エスター・バリント。日本語の情報ほとんどないから。

あるのは、映画「ストレンジャー・ザン・パラダイス」に出演した。ぐらい。

この映画が日本で公開されたのが30年以上前ですよ。それ以降よく知りません。大体ストパラ自体が所謂娯楽映画じゃなかったですからね。おしゃれピープルに食いつくされました。いや、いい映画でしたよ?内容はいっさい憶えてません。エスター・バリントだけ見てた。

その愛するエスター・バリントがさ、突然出てきたんですよ!ギター片手に!

30年ぶりですよ僕からしたら。

ほぼ同年代ですよ?すげえ、ぜんぜんナチュラルに美人なの。普段着な感じでさ。ちょっと近所だから馴染みの店に寄ったけど、って感じで。カッコいいの。

ドキドキしちゃった。

 

アヴェンジャーズじゃこうは語れないッスよ(笑)。

その代わり誰もついて来れないっていうね・・・。



僕は評論家じゃないし、表現者でもないんで、個人の体験をただこうやって書くだけなんですが、それでも改めて読んでいる人に何かをお勧めするときは、そこは悩むんです。

感想文書くと上記みたいなことになって誰も意味分からなくて手が出しようないですよね。

不親切すぎる。

 

もう少し親切に、これは素晴らしいから観た方がいいよ、ってね。お勧めしたい。

 

でもですね、それはもう信頼関係しか無いんですよ。

人はそれぞれ審美眼やら価値観を持ってますから、それで自らの意思で選べるし、情報は溢れるほどある。あとはその信用できる筋からお誘いしかないと思いますね。

気楽にね。あれ、いいらしいよ。って。普段ああいうこと言ってるアイツが言うなら面白いかもしれないってね。そこの関係性ですよ。

 

もうそれしかないかな。




8月19日 バクティとともに 

 

バクティとともに

8月19日は僕のモナミ、フレンチブルドッグバクティの命日です。

もう10年近く前に亡くなりました。でも、今でもそのぬくもり、手触りはこの身体が憶えてます。なので、いつでも呼び出せる。呼び出して足元に居てもらったりします。そうすると本当に手で触れることが出来ます。mabです。マジです(ふぁんたじー)。

人間に媚びるから犬は好きではないという人もいます。それはそれで真理。でも犬飼いなら知っている。腹を出しているのは人間の方だと。
俺はただバクティと友達になりたかっただけし、マブダチだと思っています。

病気がちだったり、大事なものを壊したり、欠点の多い犬でした。が。

f:id:mablues_xxx:20190819194729j:plain



今日は自慢話をズラリと。

今回の文章はなんとはなしに感傷的です。

親バカ満載でお送りいたします。

f:id:mablues_xxx:20190819194834j:plain


■■■ボール遊びをやります。

都心は犬を放牧するところがあまりありません。ただ、僕らが住んでいた所には街暮らしの犬飼い、小型犬にはちょうどいいサイズのフィールド?がありました。
今はもう改築されてどうなったか知りませんが、当時僕らが住んでいた街にはパティオみたいな場所があって、夜はお店が閉まってるから中庭は開放空間で入ることが可能だったので、そこで遊べたんです。

f:id:mablues_xxx:20190819194930j:plain



っていうか時代が時代だったので許されてたと思うのですが、一応腰から膝ぐらい高さの鎖がベロ~ンと張ってあって、夜にそこを跨いで入るのは決していいことではなかったのですが、俺らはかまわず入り込み、三方を建物で囲まれた空間でボール投げをして遊んだものです。
22時ぐらいになると警備の方が鎖を張りに来るのですが、有り難いことに黙認していただいていました。本当に感謝しています。

 

f:id:mablues_xxx:20190819195023j:plain

ビニールボールだと一口で穴が開いてしまうので、テニスボールを使います。
俺がポンポーンとボールを投げます。バクティがそれを追っ掛けて行ってハグっと咥えます。で、頭をブンブン振りながら戻ってきますよね。そして座ってる俺の前、1mくらい、微妙な距離で伏せます。そしてボールを自分の手元に置いて、こちらをじっと見つめます。
キタナイやつですねー、こちらがサッとボールを取れない位置にいて、自分の手の中にボールを収めて待つんですよ。ほれ、取ってみぃと。

f:id:mablues_xxx:20190819195126j:plain

なので最初こちらはその場から動かないでザザっと取るフリをします。そーするとバカだから脊椎反射でビクっとしてボールをパクっとやろうとするんですね。のらねーよ。
で、しばらく放っておくと、ズリ、ズリ、と後ずさってボールとの距離を取ります。ここからが勝負です。人間が早いか犬が早いか。バッ!とボールを取りに行くと大抵こちらが遅れます。だって距離アイツの方が近いんだもん。

取り合いになりますが、バクティは絶対に噛む力を加減します。彼が咥えているボールをこちらが奪おうと手をぐりぐり口の中に入れたとしても、離さないにせよ強く噛むことはしません(振り払おうとはしますよ)。よく考えてみると、僕はバクティにマジ噛みされたことは一度もありません。というか、バクティにマジ噛みされた人間はいないと思います。これは仔犬のときからずっとです。彼は最初から、人の差し出す手を反射的に噛むという行為に興味がなかったようでした。もちろん、「何?何?」と口を突き出しますが、そこに何も興味を惹くものがなければクンクンして終わり。ガブっとはやらないです。
おやつをつまんでいたとしても、もちろんパクッとやりますが、甘噛みすらしません。

食餌のときにちょっかいを出しても絶対に怒りません。皿に手を突っ込んでみたり、皿をずらしてみたり、後ろ足を持ち上げてエビ反り逆立ち状態まで持ち上げても一心不乱にメシを食うだけです。唸られたこともない。ま、この食い意地には逆に苦労させられましたけどね。

下記画像は、別のワンちゃんとボールで遊んでて噛まれた後です。もちろんこういうことがあるのは織り込み済み。珍しくないことです。

 

f:id:mablues_xxx:20190819195205j:plain
↑ 傷がだんだん移動した!! ↓

f:id:mablues_xxx:20190819195251j:plain


さて、ボールが取り合いになったので最強権限を発動します。お互いにいい塩梅にボールを掴み合う力を拮抗させたとき、俺は右手の人差し指をピンと立てます(アウトのサイン)。そうすると5秒ぐらいシカトするんですが、最終的に不本意ながらという顔でバクティはボールをそっと手放します。キタナイですね~人間の権力は。

で、またポンポーンとボールを投げて、持ってきて、取り合って、ポンポ~ンと繰り返します。バクティがボールを持って来て咥えたまま一人で遊んでいるうちに俺は一服。
しばらくして一人遊びに飽きると、彼はボールを俺の足にグリグリグリグリ押し付けてくるので、じゃ、貸せよ、と手に取ろうとすると逃げます。なので、じゃあ勝手にしろよ、と放っておくと、またグリグリグリグリ押し付けてくるので、それもシカトしていると、ポトっとボールを落として、ハァハァしながらこちらを見上げてくるのです。

あの遊ぼうぜのキラキラした瞳が忘れられません。です。・・・・。

f:id:mablues_xxx:20190819195340j:plain

で、ボールを拾って、またポンポ~ンとやります。
これを1時間ぐらいやるともう充分ですコチラは。なので、よきところで「行くよ」と言って俺はバクティに背を向けて、パティオを後にします。そうすると彼が満足している場合は、素直についてきます。時々、手ぶらでついてくるので、「ちょwボールw」と言うと、ハッとしてパティオに戻り、ボールを持って追い掛けて来ます。それで後は二人で家に帰りましたとさ。


■ ■ ■ 散歩する。

普通に生活しています。
だいたいまったりしているときはバクヲは聖域カゴの中で寝てます。(※聖域カゴ。そこにいるときは絶対に触れてはいけない聖なる場所。後述)
人間はテレビを見たり食事をしたり飲み物を冷蔵庫から取ってきたり、「さて(夕飯にすっか)」とか言ったり、黙って立ってトイレに行ったり、普通に生活しております。バクヲはそのへんで寝たりしています。
いつも気分次第で散歩の時間は決まってませんでした(本当は規則正しい方がいいらしいが)。
でまあ、腹もこなれてきたし、(さてと散歩でも行くか)・・・と、立ち上がってバクティを見ると、今寝ていたはずなのに、既にスクっと立っていて、こちらを一心にマジ顔で見ています。マブヲの心をバクヲが読んだ瞬間です。これは一度や二度じゃありません。毎回です。

f:id:mablues_xxx:20190819195424j:plain


「じゃ行くか」と言うとトテトテトテとこちらへ走って来ました。踊りながら来るわけでもなく、洋服を着せるのに嫌がることもなく、首輪をはめるのも落ち着いて待ち、それが終わると玄関へ走って行きます。犬って散歩に行くとき、ドアの前でそれが開くのを待ちながら何度も何度もこちらをチラ見しますよね。あれ、たまんないですよね。

おいリードつけてねーよ、ほれ。と、リードをつけて散歩に出掛けます。
さて、駐輪場から建物を出て、とりあえず左かな。その角がピピポイントになっていて、すごく汚れているので申し訳ないと思いつつ用を足しまっすぐと・・・。ま、そんな感じです。最終的に前述したパティオに行ってキャッチボールしたりして帰ります。
後は満たされているので呼んでも返事もありゃしない。

 

■■■仕事から帰る。

以前やっていた仕事に何度かバクティを連れて行きました。
その頃の俺はよくバックスキン地のキャップを深めに被り、ラルフローレンの白いニットを着て、ブーツカットのデニムに黒のサイドゴアブーツを履いていました。つまり何が言いたいかというと、若い頃の俺カッコよかったんですよ。だってね、まだバクティがパピーだった頃、パンテオンの近くに住んでたんだけど、近所のリセ(高校)の女子高生たちが俺のファンクラブ作ってたからね。いつも散歩に行くリュクサンブール公園の途中に会ったもん。ちなみに俺はマルセイユ2中出身、おまえは?(ウチの社長は埼玉県生まれのリバプール3中出です)
(誇大妄想狂。もうmabの言うことは誰も信じてない)
(若い頃の俺がカッコよかったのはホントだよ。ナルシストですから!今は見る影もないですが!!)

さて、と。こっからホントの話(じゃ前の話はウソなのね?)。
仕事も終わり、事務所には俺とバクティだけになりました。バクティは俺が仕事中後ろの席、机の向こう側の椅子の上でずっと丸くなって寝ていました。客が来てもまったく気づかれません。「いますよ、ほら」と指差すと、大抵のおばちゃんは「わぁ!可愛い!クッキーあげてもいい?」、ダメだっつーの。
それでもバクティは丸くなったまま起きません。せいぜいチラ見するぐらいです。フレンチ特有のイビキもかきません。
なので、二人きりになった事務所はシーンとしていて、俺の打つキーボード打撃音しか聞こえません。で、俺はたまに席を立って流しに行って煙草を吸ったり、トイレに行ったりして戻ってきてまたキーボードをカチャカチャやったりしています。

流しでぼんやり「さてとそろそろ帰るかな」と考えながら煙草を一服して事務所に戻ると、奥の机の向こうでバクティがスクっと立っていました。今まで丸くなってピクリとも動かなかったのに。これにはけっこうビックリしました。
動き回らないように椅子の上に乗せるとすぐ丸くなって寝てたのに、俺が何度も席を立って事務所から出たり入ったりしてても丸くなったまま寝てたのに、帰ろうかと思った途端、しかも思ったのは事務所の外だったのですが、バクティはすっくと立ちあがり、こちらを真剣な顔で見ていました。
「じゃ、帰るか」と言うと、バクティはピョンと椅子を飛び降りてこちらへ来ました。道玄坂から代官山方面にブラブラしながら二人で帰りました。

f:id:mablues_xxx:20190819195513j:plain




■■■パーティー

バクティはスカしてるところもあって、あまりお出迎えしてくれません。呼べば飛んで来ますが。

 

f:id:mablues_xxx:20190819195627j:plain
バクティに家で留守番をさせて出掛けることも当然あります。ある日、バクティに留守番をさせて出掛け、帰って来て玄関のドアを開けると、バクティが泣きそうな目で土下座(伏せ)をしています。ピーンと来ました。
リビングに入ると、案の定そこは台所のゴミ箱の中身が大散乱状態。足の踏み場もないくらい。盛大なパーティーが行われた後です。がー、もー!!!怒り心頭です。バクティが背後で震えているのが分かります。

そこで僕は頭のおかしい人になります。拳を握って両手を上げ、ガニマタでのしのし部屋の中を歩きながら「がおー!がおー!がおー!」と叫びまわります。そのとき犬のことは一切見ません。散らかったゴミ(生ごみ含む)を踏まないように、それでも大胆に、大股で「がおー!がおー!がおー!」と憤怒の雄たけびを上げながら歩き回ります。
するとバクティはさっと聖域カゴに入ります。

聖域カゴは、そこにバクティが入っているときは、バクティタイム。絶対に触れない約束です。何をしていても近づいてはいけません。用があるときは名前を呼んで、こちらに来たら用件を伝えることになっています。とにかく聖域カゴは絶対安全地帯にすると人間と犬が協定を結んだ場所です。

f:id:mablues_xxx:20190819195714j:plain


バクティはそこに逃げます(単なるカゴですけど)。僕はそれを横目で見ながら、ゴジラのように雄たけびを上げ部屋中を練り歩きます。
演技だと思うでしょ?まあ半分は演技ですが、実際怒り心頭ですよ。散乱したゴミ拾って、汚れた床拭いてかよ?あーー面倒臭い!こんな面倒かけんじゃねーよ!がおー!がおー!
ひとしきり気が狂うとこちらもだんだん落ち着いて来ますので、その後は淡々と掃除をして何事もなかったかのように生活します。但し、用がない限りバクティを呼んだりしません。シカトです。でまあ、ほとぼりが冷めたなとアイツが判断したのか、カゴから出てきたら相手にします。パーティーの話はしません。

俺が何故そのようなことをしていたかというと、まず犬を叱るときは後から叱っても犬は意味が分からず混乱するだけなので、何かあったその瞬間に叱らなければならない、という「犬の飼い方」マニュアルに倣っているからです。
だから、バクティが実際にゴミ箱を散らかしているときに叱らないといけない。だけどパーティーはこちらが出掛けているときに行われていて既に終わっている。叱れない。
しかし、彼は自分のしでかしたことを憶えていて、怒られることが分かっているから涙目で土下座して待ってる。
そこらへんのことをいろいろ考えて、頭がおかしくなることにした次第です。ま、パーリィーピーポーなところは直らなかったですけどね。なので留守番させるときはリビングからも追い出してドアノブを回さないと入れない状態で廊下に居てもらいました。台所は引き戸なので開けられたのです。けっこう重いんですけどね。
結果、出掛けてきて帰ってきても廊下でガン寝しててお出迎えなんてされませんでした。

 

■■■ヘイ!タクシーの話。

これは聞いた話です。当時の相方マシェリバクティを連れて帰省してるとき。
庭にいたはずのバクティが脱走して居なくなりました。マシェリは方々を探したのですが、見つかりません。途方に暮れているとバクティはタクシーに乗ってひとりで帰ってきたそうです。
ホントの話です。

 

■■■エルメスの話。

バクティに入ってもらうキャリーバッグはエルメス製でした。もちろん僕が買ったわけじゃないですよ。いくらするのかも知りません(でもたぶんバーキンとかみたいなアホみたいな値段はついてなかったと思われます)。
キャリーバッグはパリのメゾンで買いました。アジア系の人たちが群がるカウンターをすり抜けて奥に行くと、馬具などを置いてあるシックな店内は誰もいません。そこに犬用のキャリーバッグが置いてありました。それを手に取り眺めていると、奥からムッシュが出てきて、どうぞワンちゃんを入れてみて下さい、と笑顔で勧めてきます。
その頃、バクティは月齢6、7か月くらいだったでしょうか。バクティをバッグに収めると、ムッシュが、ほらピッタリだとまた満面の笑み、マシェリは迷わずバッグを買いました。
パリのメゾンはトートバッグを買うアジア人には非常に見下した態度を取ることで有名ですが、ムッシュはとても丁寧に僕たちを扱ってくれました。
さすがに、このまま入れて帰ると言えるほどカッコよくはないので、エルメスの大きくて立派な箱にバッグを詰めてもらって意気揚々と店を後にしたものです。

けっきょくバクティは成犬になってもさほど大きくならなかったので、このキャリーバッグはヘタれるまでよく使いました。簡単にいうと形は単なる立方体で、上の辺がチャックになっていて(ジッパーっていうのか?今はジッパーっていうのか?)、チャックを開くと天井が全開になります。チャックを閉めて、最後にタブの部分をボタンでパチッと閉めて使います。

あるときマシェリが帰省のため新幹線に乗りました。バクティはキャリーの中です。マシェリはバッグを足元に起き、いつしか眠ってしまいました。
目が覚めて確かめると、バクティが居ない?車両内を探しに回ると、他の家の子になって楽しそうにしていたそうです。チャックとボタンの隙間からグリグリグリグリやってボタンを外しチャックをこじ開け抜け出したのです。ヤツはマシェリが眠っていることを絶対確認してから脱出したはずです。

f:id:mablues_xxx:20190819195814j:plain

 


■■■ヘイ・タクシーの話。タネ明かし。

バクティが一人旅に出て見つからないので、マシェリはお父さんに連絡したそうです。お父さんはそのときタクシーに乗っていたので、「ウチの犬が脱走したので探して欲しい」と運転手さんに頼んだらしいです。ここからちょっとすごい話なんですが、マシェリのお父さんは地元では超有力者なんです。超能力者じゃないぜ。有力者なんです。
それで頼まれたタクシーの運転手さんは、無線で全車両に「マシェリさんのところの犬が脱走したので見掛けたら捕まえるように」と指示を出したそうです。
すると別の場所を走っていた運転手さんが北へひた走るフレンチブルドッグを発見。横付けして助手席のドアを開けたところ、バクティはピョンと車に飛び乗って、それで帰ってきたそうです。運ちゃんはメーター上げたのだろうか?w

 

以上です。

いい思い出だけ書きました。ほかにもいい思い出、悪い思い出、いっぱいあります。

今思うと、僕は犬飼いとして至らないところがたくさんあったと思いますが、マシェリがしっかりした人だったので犬の道を外れずに生きていけたことを感謝します。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
バクティのマブダチだったピエールとサスケ、とんびについて、どこかに書いてあるんだけど見つからない。書きたいなあチーム鎗ヶ埼のこと。いつか書こう。書くんだったらまた熟成させて、しっかり歴史を書きたい。

f:id:mablues_xxx:20190819195908j:plain

f:id:mablues_xxx:20190819195935j:plain

f:id:mablues_xxx:20190819200006j:plain

f:id:mablues_xxx:20190819200035j:plain

f:id:mablues_xxx:20190819200102j:plain

f:id:mablues_xxx:20190819200128j:plain

 

 


ウーピィーやナツロウ、総理、いびき、・・・あの頃はたくさんの仲間がいましたね。

f:id:mablues_xxx:20190819200201j:plain
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
mixiにマシューとビバのことを書いているのが見つかったので再録します(加筆修正あり)

■■■マシュー
2014年07月12日

マシューはとても甘えん坊な犬だ。
ミニチュア・ブルテリアに似合わぬなかなかの体格ながら超がつくほどの甘えん坊で、いつも沼やんか米子に抱かれていることを思い出す。
そして俺が夜中まで沼家で遊んでいると、スネて壁に向かってしまったり、プープー鳴いたり、それがとても面白い性質だなあと思う。

自分が犬飼いだったから比べてしまうのだが、バクティは甘えん坊ではなかった、と思う。それは逆に言うとウチが甘やかさなかったわけで、そんでもって沼家は甘やかすキャパシティがあったのだと思う。
実際、沼家のマシューに対する愛情は傍で見ていて非常によく分かる。アーティスト米子の最大のモチーフであり、沼やんが生きていく重大なモチベーションだろう、と。
そして俺が思うのは、その結びつきに入っていく隙がなかったな、と。よく考えてみるとリードを持ったことないんじゃないかな。
でも、マシューのその甘えん坊なところがとても可愛らしく、可愛らしいからこそ眺めてるだけにしていた部分はあるかもしんない。結びつきの強さを感じたから。

とにかくマシューはとても可愛らしく、深く深く愛されて生きてきた。その一端を垣間見れたことが俺にとってとてつもなく幸せなことだ。そのことを沼家に感謝したい。

出会いは突然だった。
当時の彼女がロンドンに語学留学中、バクティは俺と二人で暮らしていた。早く起きた朝に目黒川沿いをバクティと一緒に散歩していた。
そのときにバッタリ出会ったのが、まだ仔犬だった頃のマシューだ。まさに白い妖精だった。そして飼い主の沼家がなんとも頼りなくw、フレンチブルにしては小型だったバクティを見て「大きいですね」などと言ったり。バクティが調子に乗って、屈んでいた沼やんの膝にちょいと乗っかって挨拶しようとしたら、沼やんはびっくりしてのけぞったりしていたw。そのときのことはいつも思い出す。これからも決して忘れないだろう。

f:id:mablues_xxx:20190819200404j:plain


以上です。
上記↑の文章はマシューが亡くなったときに書いた個人的な追悼文です。


■■■ビバと俺2014年06月09日

真夜中、ビバを連れて府中を散歩したことが何度もあった。
うーちゃんが当時住んでたマンションの道路を挟んだ向かい側、もう一本横道に入ると、適当な長さで見通しもよく車も通らないストレートがあって、そこで俺はいつもビバの首輪からリードを外して、さあ走ろうって言って俺たちは全力で走った。まあ俺は全力でビバはたぶん流してたんだと思うけど、これがまた上手く併走してくれるんだな。バクティともよくリードなしで全力疾走をやったけど、あいつは人の目の前にコースを重ねてくるんだ。それでもつれあって俺が派手にずっ転ぶ、というのを代官山で何度かやった。
ビバは違うんだな。俺の横をタッタッッタッを走ってくれる。走る姿もこれがまた美しいんだ。軽く跳ねるように、リズミカルに走る。そして、はいここでもう俺の限界でーす、というところで俺がストップするとビバも走るのを止めてくれる。そーゆー意味ではとてもハンドリングしやすい(この場合ハンドリングしてないんだけど)、とっても人との接し方のいい犬だ。うーちゃんの育て方が良かったんだろうなきっと。

俺が一番接した犬はバクティで、一緒に過ごした時間が長かったのはチーム鎗ヶ埼の犬たちだったけど、バクティの次にハンドリングした時間が長かったのはビバだ。真夜中の疾走もそうだけど、早朝、少し歩いた先にあった大きな公園を長めにぐるりと回ったり、ビバのリードを引くのはとても楽しい。ぐいぐい引っ張られるわけじゃないし、女の子なのでいちいちマーキングしたり念入りに確認したりモタモタもしなかったので、楽ちん。

うん。まあ。そんな感じ。いろいろ書きたいけど、まあ、そんな感じ。

バクティと暮らしてチームで過ごして、その次に俺が一緒だった犬はビバだ。俺はそう思ってる。

以上です。
上記↑の文章はビバが亡くなったときに書いた個人的な追悼文です。
で、読み直して思ったのですが、ビバの飼い主のうーちゃんは、ビバと出掛けるときにリードを外したことが一度も無かったそうです。僕も公園や駅前に散歩に行く普段はビバのリードを外したことはありません。
で、上の文で走りっこしてたって書いてるけど、たぶんそのとき俺はビバがリードを外した瞬間コントロールが効かなくなって、どっか行っちゃうとかぜんぜん心配しなかったというか、そんなこと微塵も思わないでリードを外してたなと思います。普通、犬は走り出したら止まってくれないよね?
でもビバはバクティと一緒で、人間と一緒に止まってくれてたなあ。んで、止まってくれるって自信がというか、さっきも書いたけど、止まらないでどっか行っちゃうとはぜーんぜん思いもつかなかった。
メンゴ。ビバの画像がないんだ。

 

 

f:id:mablues_xxx:20190819200510j:plain

f:id:mablues_xxx:20190819200539j:plain

f:id:mablues_xxx:20190819200611j:plain

 

以上、全文終わり。

 

すべての生きるもの生きないもの今のもの過去のもの未来はみんなのものに。

 

Ma Vie Avec Bhacty 2016/08/19 fri


署名:mab

 

 


2019年現在

タンブラーからの転載です。

特に加筆することもないですかね。
自慢すげー、ぐらいですね(笑)。


自慢ついでに画像アップしときます。

来月はバクティの誕生日があるんですが、たぶん忘れてると思います(笑)。


ありがとう。

 

 

f:id:mablues_xxx:20190819200931j:plain

 

 

 

 

 

f:id:mablues_xxx:20190819200953j:plain

 

怪談 「夜、訪ねてくる音と」

 

こちらも2004年頃に自分のwebサイトに掲載したものです。






「音」に関係する怖い話なので静かな夜に読んでください。







「夜、訪ねてくる音と」




都会の真ん中に住んでいても、夜が深くなると自分の立てる音しか聞こえないような静かな夜がある。静かな夜というより、生きているものの躍動が感じられない、人の息づかいのしない夜だ。




そういうとき(そういうふうに感じたとき)僕はベランダに出て外を眺める。住宅地なので深夜になるとまったく人の動く姿が見えない。眼前にいくつもいくつも部屋の灯りが見えるが、人々が生活する姿や音は聞こえてこない。僕は外を人が歩いている姿が見えるまで辛抱強く通りに目を走らせる。いつまでたっても人の姿が見えないときは、せめて時折通るタクシーが見られれば観念して部屋に戻る。

そうやって人が動いている姿形を見ないと、自分が知らぬ間に別世界に足を踏み入れてしまい、そこに割り込んで来た何かが自分の背後に迫って来る足音を聞いてしまうのではないか、という気持ちになってきてしまうのだ。



話に入る前に。

いわゆる幽霊なり超自然的存在が立てるといわれている「ラップ音」というのは3段階あって、一番弱いものはキィーーと何かを擦るような音で、次がパチパチ(手を叩くような)とかパキパキ(何かを折るような)とかいう音で、一番強いのがドンドンドンと太鼓を叩くような音で、そこまでくると大概は霊の姿が見えるのだという。海外のラップ音研究家(?)が言っているそうだ。

昔から日本では(歌舞伎などで)幽霊が出てくるときに太鼓をドンドンドンドンと(ドロドロドロという表現で)叩くのはそういう意味では辻褄があう気がする。

 

f:id:mablues_xxx:20190818123837j:plain




僕が東京に出て1年目か2年目の夏休みに故郷の祖母の家に行ったときのこと。

その家は地方都市の郊外のさらに外れ(要するにど田舎)、まだ開かれていない荒涼とした土地にあって、隣近所はさほど離れてはいないがポツリポツリとそう多くなく一軒家が点在している寂しい場所にあった。おかげで見通しはよく、2階の部屋のベランダから2キロほど先に離れた高速道路が左から右にずっと見渡せた。

反対側の窓から外を見ると歩いてすぐにいけそうな近さに山が見えた。実際は散歩がてら行くには遠い。山というのはその巨大さから近く見えるが歩いても歩いても麓にも着かない。

その代わりではないが、手前に小高い丘があり、歩いて3分くらいで坂口に着く。丘の上は墓地だった。

その頃既に亡くなっていた祖父は事業に失敗した人だったので、家を建てるほど財産は無いと思っていたから、この家がここにあるのはなるほどこのロケーションだからかと納得したものだった。



夜になり隣近所の家の灯りがおちると、いくつもない外灯のほかは、夜は都会では考えれないほど光が少ないのだが、かえって遠くまでいつまでも見通せるくらい明るい。田舎の夜は不思議なものだ。星が少なくても空が広ければ夜でもはっきりと明るい。

高速道路を走る車の音が遠くから断続的に聞こえるだけだが、夏はカエルだの虫だのの鳴き声も重なる。それも、建て込んでいないので反響が少ないからかさほどうるさくない。遠くから聞こえてくる車の疾走する音は、留まった者が取り残されたような気分にさせ寂しさを増す。

田舎だからか、日本特有の湿気を含んだ暑い夜で風がなくても、クーラーが必要なほど寝苦しく感じるわけでもない。爽やかさはなく、夜はほんとうに空気が沈んでいくような気がしたものだった。

 

僕にとっては、ただぼんやりと居心地が悪い場所だった。




その晩、既に祖母は隣室で寝てしまい、僕は居間でテレビを観ていた。

今は知らないが当時は地方ならテレビはチャンネル数も少ないし、午前0時をまわるとほとんどのプログラムは終了してしまう。

仕方ないので僕は2階の寝室に上がり、聞き飽きたカセットテープを低い音で流しながら読み飽きたファッション誌などをパラパラと眺めていたが、なかなか眠る気になれずにいた。

眠気を待ちながらほとんどぼんやりと時間を過ごしていたのだが、ふと気づいた。

聞き慣れない音がしたのだ。遠くで何か鳴っている。

耳が気づいて我に帰ったときに音は止んでいた。気のせいかと思って、ベッドに寝そべってスタンドライトの明かりだけでまた雑誌を眺めていた。遠くの車の音、虫の音、思考を妨げるような音はしない。耳はすぐにそれらを受け流してしまい、意識の外に出してしまえばもう聞こえないのと同じだ。

 

……。

 

ん?やっぱり何か鳴っているな。僕はテープを止めて耳を澄ませた。

高速道路を疾走する車の音が聞こえる。音の強弱は大型トラックと乗用車の違いだろうか。虫の音もいつもどおりだ。そういう音を意識から外し、空気の中に別の音を探して耳を澄ませた。何か向こう、ベランダ側方向から断続的に何か聞こえたような気がしたが、いくら耳を済ませても異音はしない。

やはり気のせいかと思って、それを潮に暗くしてしまえば眠れるかとライトを消して目を瞑った。

ふだん生活してる場所を離れて、このように目にも耳にも静かな場所にくるとなかなか眠れないものだった。

明日の予定などを考えながら早く眠れればいいと思っていても、静けさが邪魔をしていた。(明日はスタジオの帰りに皆でメシを食いながら来週のステージの曲目を決めてしまおう。それから誰か誘って飲みに行くとしても帰ってくるのが面倒だから泊まる所を確保しないとな。早めに電話だ…)

 

……。

 

気づくと遠くで何かを叩いている音がしていた。

耳というのはよくできた器官で、方向や距離がだいたい分かる。その音はベランダ側の外、ずっと遠くから聞こえてくる。何の音だろうか?何か太鼓を叩いているような音に思える。音が遠いということは分かる。何か響く音を規則的に立てている。

ドンドンドンドン…。

 

そういえば10分ほど歩くと学校らしき大きな建物があったのを思い出した。もしや夏祭りか何かの太鼓の練習でもしてるのかと思ったが、時刻は既に午前1時をまわっている。こんな夜中にいくらなんでもそれはないだろう。

ベッドから降りてベランダの窓からじっと目を凝らして外を見たが、向こうに見える学校(?)の建物はもちろん黒のシルエットで明かり一つ見えない。そのさらにずっと遠くで流れる車のヘッドライト以外動くものは何も見えない。近所の民家も玄関の小さな常夜灯以外は全部消えている。

何の音なのか分からなかったが、気づくとすでにそれは止んでいたので、気にするのはやめてまたベッドに入った。耳には方向と距離が分かるような気がしたが、違っているかもしれないし、見通せない所で何かの作業なり何なりを誰かがやっていることもあるだろうと考えることにしてベッドに戻った。気にしないようにしたが耳はもう敏感に音を探し始めた。




しばらくするとまた何か叩く音が始まった。

太鼓の音だ。確かに聞こえる。あの方向だ。あのへんだ。そう遠くない。確かめようと起き上がると音は止んでしまった。そういう偶然もあるもんだ、とそのときはまだ思っていた、というか思おうとしたのだったが、改めて横になると奇妙なことが起きた。

また叩いている。今度は場所が変わった。少し近い。

 

少し近くなっている。



さっきまで、横になった体勢の頭の方から聞こえてきていた音が、今は足の方角から聞こえてくるような気がした。しかも少し近い。音の質はあまり変わらないし、強くなったというわけでもなく、近づいてきたのならむしろさっきより小さくなった音だったが、確かに近くから聞こえてくるような気がする。

ベッドから起きて窓を開けベランダに出た。

手すりから身を乗り出して音がした方向を見たが、やはりいつもどおり何の動きも見えない。田舎の夏の夜だ。じっとりと暑く風も凪いでいる。いつもどおり。どんよりと空気に動きがない。しばらくその動きのない景色をじっくりと眺めていたが、いくらたっても何の変化もみられない。部屋を横切って反対側の窓から外を眺めた。

山のシルエットが青黒い夜空にくっきりと姿を現せている。手前にある丘のシルエットが一番黒い。墓地の姿が輪郭を見せている。ひとつひとつ墓石が立っているのが見える。それは普段から変わらない。

夜中に墓地を眺めるのは決して愉快ではないが、さほど近くもないし、もともと正体不明の音はこちらの方から聞こえてきたわけでもなかったので、僕は景色そのものに興味をそそられてしばらく凝視していた。

もちろん、何の変化もない。

むしろ何かの動き、風で木々や揺れたり、月の明かりが反射して暗闇の色が変わったり、ということが一切ないこと、昼間よりも墓地の様子がはっきりと見えるように感じられたことのほうが奇妙だった。

 

もう一度ベランダ側から外を眺め、釈然としないながらもまだ恐怖心のようなものはなく、娯楽のない田舎の夜に悪態をつきながらまたベッドに入った。

ほどなくして今度はさらに別の方角から音がしてきた。

 

移動している。そして確かに近づいてる。

 

思わずガバッと起き上がった。

ピタっと音が止んだ。

しばらくその体勢のまま、ベッドの上に半身を起こしたままじっと動かず耳を澄ました。

自分の呼吸が整い、外の音が全て聞こえるまで少し時間がかかった。

何かに声をかけるつもりはなかったが、自分で音を出してみたくなって僕は上掛けを大袈裟にバサバサと直しながら、「何だかなぁ、頼むよ」と独り言をつぶやいて横になり、自分の声が消えるとまた耳を澄ませた。「ま、これで鳴ったら困るんだけどね」と自嘲気味に言うと、それを合図にしたかのように音が鳴り始めた。

 

どんどんどんどんどんどんどんどんどんどん

 

背筋がぞぉぉっとして、僕はすぐに起き上がった。音はピタッと止んだ。

が、もうどの方向から鳴っているのか分からないくらい近かったのをはっきりと感じた。

庭で何かを叩いているのかもしれないと思うくらい近くに思えた。

 

恐怖心よりも防御本能のようなもので、僕は静かにゆっくりとベッドを降りてそろりそろりと窓からベランダごしに、暗がりの中の暗がりに目を凝らし、何かを探した。何もないことを祈りながら何かを探した。道の先の角に一つだけポツンと立っている自販機の蛍光灯の灯りが途切れて暗くなる境目あたりを、そこに何者かがひょっこり出てくるのではないかと見つめ、身構えた。

息を殺し、まるで自分が景色に溶け込んでカムフラージュされると思っているかのようにじっと動かず、油断した「相手」が動き出すことを待っているかのように、しばらく止まっていた。

何も見えないし何も聞こえなかった。ベランダの向こうを睨んだまま、僕はそろりそろりと部屋を横切り、今度は反対側の窓から外を眺めた。

 

必然的に墓地に目が行く。

何か違うように見えた。何かが違うように見える。

何が違う?

夜中なのに見れば見るほどはっきりと見えてくる。

シルエットで見えるいくつもの墓石の上か?間か?

 

さっきと変わらないか?



何かが違ってる。

 

動いているものがいる!?

いや気のせいだ!?

暗くて見えない。

いや見える?

 

見える。








向こうから、見える






見られた





閉めていた窓の向こうで大気が動くのを感じた。

 

今度こそ怖くなって僕はベッドにもぐりこんだ。俺は別に何も聞いてないし見てないから、と心の中で、俺は関係無いから、と心の中で叫びながら布団の中にもぐりこみ耳を塞いで目を固く閉じた。

 

少しずつ腕を動かして衣擦れの音を立てたり耳をさすったりしていつまでも外の音を遮断しようとしていたが、そう長くは続かない。どうしても身を固くしていつのまにか耳を澄ましてしまう。すぐさま音が鳴り出した。

 

もはやそれはすぐ近くに迫っているようだった。さっきとは反対側、いやあっちか、もう家のすぐ下で鳴っている、何かを叩いている。耳だけはそれを確かめるために機能し続けたが恐怖で僕はもう動けなかった。無視するしかない。しかし音はどんどん近づいている。家のまわりをグルグルとまわっている。ドンドンと音がする。



大きな音がする。何を叩いている?

音が変わった。

振動が身体に伝わってきた。




ここへ来たのだ!





壁を叩いてる!

 

動いた!



階下の玄関の扉を叩いている!

あのガラスサッシを叩いている!

バンバンバンバンバンッ!バンバンバンバンッ!




動いた!

建物を叩きながらうろついているのだ。

 

外から家の壁を叩いてる!ドンドンドンドン!ドンドンドンドン!

 

ドンドンドンドン!ドンドンドンドン!




そのうちはっきりと揺れ始めた。ズシン!ズシン!ズシン!と家全体が振動した。

耳を塞いでも聞こえる!ものすごい音だ。ベッドが揺れる!






ズシンズシンズシンズシンズシン!




「うわぁ!もう、やめてくれぇっ!」

耐え切れなくなって僕は大きな声で叫び飛び起きた。

 

一瞬部屋が異常に明るく感じられ、本来なら明かりを消してしまった屋内より明るいはずの窓の外が真っ暗になり何かの存在、何かが横切った後を感じた。

音はピタリ止んでいた。

僕は叫んだ後、恐怖で身が凍ってそのまま朝まで意識を失ってしまった。










翌日





翌日、僕は祖母に恐る恐る「昨夜はうるさくなかったですか?」と訊いた。

祖母は全然うるさくなかったというので、遠くで太鼓を叩くような音がしたのだけど、と言ってみた。これからもここで生活しなければならない祖母によけいな不安を与えないように気をつけた。祖母は、昨夜そのような音はしなかったといいながら、まぁそういうことは時々あると事も無げに言った。

「夜中に獣のようなもんがギャーギャーと叫びながら家のまわりをグルグル走り回ったりな。そういうときはほれ、あそこのお墓の掃除に行きなさい」とバケツと箒を出してきた。

「掃除って。あそこを全部掃除するのですか?」と僕が驚いて訊ねると、祖母は

 

「行けば分かるだろ。それよりオマエは昨夜のうちにどこへ行けばいいか、見ただろ?」

と言った。

 

今まで僕はさほど怖がりではなかった。今は恐怖というものが分かったが、昼間ならまだマシだったし、祖母が、行けば夜も静かになると言ったので墓地に出掛けることにした。

行く途中、庭先で花壇をいじっている老婦人に「あらゴクロウサン」と声を掛けられた。普段は知らない人に声を掛けられたりすることがないので少し驚いた。

年に一度ほど、しかもごく短い期間でしかも昼間は街へ出てしまう僕は余所者で若いからずいぶん目立つだろうが、箒を突っ込んだバケツを小脇に抱えていたら墓地へ行くというが分かるものだろうか、と疑問が浮かんだが、空は晴れ渡り緑が青々とした山を眺めながら歩いているとそんなことも気にならなくなった。

 

丘の頂に近づくにつれて一旦視界から消えてしまっていた墓地を、丘の上に登って目の当たりにしたときはさすがに寒気を感じたが、僕は勇気を奮い立たせて、水を汲み目指すお墓へ向かった。さすがに墓石をまっすぐ見ることはできなかったが、掃除は別に大変なことはなかった。まずまわりの枯葉を箒でざっと払い、拝んでから手酌で墓石に水をかけて、全体がだいたい濡れたら残りはザバっと掛けてしまっていいとのことだった。空になったバケツに枯葉を入れ、帰りに適当に水を入れてびちゃびちゃにした後、坂の途中にある鉄製の囲いの中に投げ入れるということだったのでそのとおりにした。

始終、誰かに見られているような気がした。

 

帰宅して祖母からお茶をもらった。

「当番だよ」と祖母は言った。あの墓地はここいらに人が住みはじめるまでほとんど捨てられていたような古いもので、荒れるにまかされていた。移り住んできた人々とは縁のないお墓ばかりだった。そのうち、一人の老人が家々をまわり「あんたのとこはどこそこケガして治らんだろう。あすこを掃除せい」だの、「あんたのとこは土が悪くて庭木が枯れる。あすこを掃除して枯葉を集めて肥料にせい」だのと言ったという。全部の家をまわり丘へ向かって見えなくなったらしい。何人かの人は実際に掃除に行った。その後、住民の間で噂が立った。どうも夜中に何かやってくるのだそうだ。ある人は昨夜は風がひどかったねぇ家が倒れるかと思ったよ、と言うと他の人は全然そんなことはなかったとか、そういう話をしているうちに皆気づいたのだそうだ。

それからこの辺りの住民は定期的に掃除に行くようになったと。行く回数などは別に決まっていないそうだ。「呼ばれれば行くぐらいでいいようだから」とのことだった。





「全体やる必要もない。おまえも見たろ?どこ掃除して欲しいかすぐ分かったろ?」



と、また言われた。





そうなのだ。

 

僕は昨夜見ていた。

 

少しずつ近づいてくる正体不明を音の原因を探るために窓から外を見たとき、意外なほどはっきりと見渡せた墓地の、ひとつの墓石の上に何かが座っているのに気づいたのだ。

 

まさかと思っていたので、はじめは気がつかなかった。さっき眺めたときと何かが違う、と頭の隅で考えていたが、そんなはずはないと自分に言い聞かせていたのだった。

 

近づいてくる音が自分の動きに呼応していることが分かってから、暗闇の中で何者かと自分がお互いにお互いの存在を認識したのだ。しかし僕はそれを理解できずに意識の外へ追い出そうとした。僕はそれを認めたくない一心でむしろ長い時間睨みつづけていたに違いない。

 

真っ暗闇の中、人のような形をして鴉ような姿勢だったのがはっきりと見えていた。ゆっくりと息をつぐようにシルエットが動いていた。

動いている、ということを意識が理解するまで整理がつかず、視界の中で唯一変幻する姿をただ茫然と見ていたのだ。

 

それから僕はハッと気がついた!

 

それは確かに墓石の上に座っていて、

 

僕を見ていたのだった。








翌朝、普段どおり目覚めるように意識が回復して、僕は祖母から掃除用具を借り受け、丘の上に登り、昨夜それが座っていた墓石へ向かったのだ。

 

その日で僕は東京へ帰るとウソをついて祖母の家を出ることにした。

「案外、臆病だなおまえは」と祖母は笑った。



--



祖母は今も存命だが、90歳を過ぎて身体が弱ってきたのでこちら(東京)の病院にいる。

入院したとたんボケはじめたので当時の話はもうできないが。

あの家は人手に渡った。









2019年現在



納涼企画として、今まで怪談話を何本かエントリーしてきましたが、もちろんぜんぶ作り話です(笑)。

作り話ではあるんですが、ある種の実体験と信頼に値する聞いた話、解釈等を織り交ぜて書いたものなので、僕に取ってはまったくウソを書いたというつもりもないんですよねえ。

 

物語としては作り話ですが、「事実」は含まれているんですよ。

たとえば「アパート」の話って継ぎ接ぎですけどほとんど「事実」或いは当事者からの直接の「証言」を基にした話ですからね。又聞きじゃないんですよ。直接盛田さんから聞いてますから。

僕が見たかどうかはインチキくさいんでやめましょうよ(笑)。



ところがね、今回の「訪ねてくる音」の話、これだけは僕は言いたい。

 

あんときマジで死ぬほど怖かったんだから!!



ええ。正直に言いますよ。霊能力なんて僕は持ってないし、基本そんなもの信じてない。少なくとも除霊するとかいう能力とかね。「丸コゲ」みたいな方法はあると思います。あれは技術じゃん。力じゃなくて。だから能力については書いてないですよね。「学校の怪談」でも、あれは最後促してるだけで実は何にもしてない。あの話はちょっと最後盛ったよね(笑)。でもねー、怖かったッスよ。都立〇〇〇高校。プレハブ校舎だったけど。あれはたぶん什器とかそういうものがそのまんま流用されてたからついてきたんじゃないかな。まさかあんな新しいっていうか仮校舎に幽霊なんかいると思わないじゃないですか。ねえ。しかもEメール教えてくれって。意味分かんないッスよ。(???)

 

今回の「訪ねてくる音」ですがね。

初めてだったんですよね。直接やられるのが。

あれ?今の何?みたいなことって生きてりゃあるじゃないですか。UFOとか。あれ?UFOじゃね?え?見てなかった、そんでさー。みたいな。

でもここまでやられたことなかったんですよそれまで。

まだ10代だったと思いますよ。家が揺れたんですから。アトラクションですか?ってぐらい。

そりゃ気絶するって。



思い返してみると、まだほんの子供の頃、あれは?って思うことはまああったような気がします。人数合わないなとか、知らない顔だったなとか。でもそれは単なる勘違いで済ませる話じゃないですか。

高校生の頃もちょっと不思議なことっていくつかありました。それもなんか笑って済ませるというか、「なんか不思議だね~」で終わった。

「音」からですかね。

時系列でいうと、「夜、訪ねてくる音と」→「丸コゲ」→「学校の怪談」となります。



あとぜんぜん関係ないですが、昔、見えるというスピリチュアルの人に見てもらったことがあるんですよ。信用できる人に勧められて。

いい人でした。1時間5000円で(生々しいな(笑))。

仕事としてやってる人ではないんですけどね。

時間オーバー2時間診てくれましたよ。自発的に1万払いました。

すごく励まされたんで泣きました(笑)。

 

分析と予測はぜんぶ外れてましたね。