「リヴィエラを撃て」 高村薫

 

2004年02月にどこかに書きました。

 


ジャックは日の当たるベラスケスのアパートで、ノートに手紙を書いていた。『愛するリーアンへ。また会えるかも知れないし、もう会えないかも知れない君に、これを書きます。』そう書き出し、続けて、自分の父イアン・パトリックが七八年にウー・リャンを暗殺したことを書き、父に代わって詫びたいと書いた。

『……希望は、消えたと思うとまた現れ、現れるとまた消えてしまいます。しかし、希望があろうがなかろうが僕が生きていけるのは、君もどこかで生きていると思うからです。かつて君にしてあげられなかったことを、一つでもしたいと思うからです。僕は大きな罪を犯した人間ですが、君を愛することは誰にも咎められません。世界のどこかで、僕は現れては消える希望を諦めず、君と再び会える日を待っています。その日に終わりはありません……』

ノートをちぎった手紙は、リーアンのくれたルーペの小箱に、《リヴィエラ》の鍵とともに収めた。ふたを閉めてから、変な遺書だなと思った。

 「リヴィエラを撃て」 高村薫


この手紙がすごく好きだ。せつない。

 

 


2019年現在

比率でいえば海外翻訳物の方が読むことが多いのですが、国別に考えればやはり日本人が書いた本が圧倒的に多いだろうな。(ただそれだけです)
音楽だと気に入ったアーティストの音源(CD)を出来るだけ集めたい欲望に駆られて若い頃はそれでずいぶん頭のおかしい金の使い方をしてましたけど、本は案外とそこまでしたことないですかね。ハマれば確かに何冊か続けて同じ著者の本を読んだりしましたけど、何が違うのかな。
たとえば司馬遼太郎だったら・・・いや、それほど読んでないな。三島由紀夫もそうでもないし、ディックかなあ。フィリップKディックはまあまあ網羅した記憶がありますね。たぶんそんなに数が無いんですよ完成してるものって。違うのかな?
澁澤龍彦も一時期かなりの勢いで読みまくりましたかね。ただ確か渋龍は名前がついているものが多いのでぜんぜん全体は見えませんでしたけど。
あとは「ヴァーチャルライト」までのギブソンはほぼリアルタイムで読んでましたかね。
本の場合はそうそう新作が出ませんからね。

高村薫はある時期まではぜんぶ読んでました。
「レディー・ジョーカー」で有名になった人ということでいいですよね。
僕がチャンドラーやハメットのハードボイルドが好きだと知っている友人に勧められて読んだと思うのですが、さっぱりしてて好きでした。
これは好みなので独り言ですが、日本のハードボイルド系って少し自分には味が濃すぎるんです。読めば楽しいんですが、もっと読みたいかって言われるともうお腹いっぱい満足しましたって感じになるんですよね。あくまで個人の嗜好とめぐり合わせのタイミングです。騙されたと思って食べてみなって言われたら美味しくいただくと思います。


そうだなあ、日本人の書いたもので今また読みたいなってパっと浮かんだのは「悪人」と「ベルカ、吠えないのか」ですかね。他にもあると思いますが、今「リヴィエラを撃て」のことを書いたときに反射的に思い出したのはこの2作です。
共通点として考えられるのは・・・ドライな手触りですかね。
そこで僕は「ベタベタした文章って何だろう?」と思ってしまうのですが、よく分からないので調べてみます。それはそれで面白そう。誰か教えて欲しい。

恋愛小説も読みますよ?あれ?何があるの?
デビュー当時の山田詠美とか。違う?でもあれは湿り気はありましたよね?(笑)
なつかしいな。


見事にバレてますけど、現代性ゼロですね・・・。