怪談 「丸コゲ」

 

前のエントリー「学校の怪談」は、15年前の”体験談”でした。
こちらは25年以上前としておきます。まだ20代初めの頃ですね。
出てくる彼女は全盛期の松雪泰子をイメージして下さい(笑)。
いや、似てましたよ?そう言われて紹介されましたから。
本来ならその人の話をしたい!(笑)
あんなマブいスケなかなかいませんよ。そしてマブいスケは漏れなく性格がキツイです。
僕の持論を展開しましょうか。
性格が不細工な女の人は顔も美しくない。キツくても端正な性格ってあるんですよ。そういう女性は見た目も美しいものです。何を言ってるのでしょうか僕は。テメエのその余計な話はいいと?

では、どうぞ(長いよ)。

 

「丸コゲ」

 

 


■ 別れ話を上の空で聞く ■

彼女が髪をかきあげながら何かしゃべっている。
しかし、俺はなかなか聞く耳に気持ちが入らない。
「聞いてんの?」、不機嫌面で訊ねられて、
「んあ?ああ…」と答え、視線を切り替え何とか相手の話に集中しようとする。
でも、彼女の方だって話し相手の俺に気を向けているわけじゃない。
俺の背後にある壁一面の鏡で自分の髪型をせっせと直し、店内を行き来する男や女を目で追いながら、自分の言いたいことをひたすらしゃべってるだけだ。

それでも彼女はいい女だ。掛け値なしの美人。俺は別に作家でもなんでもないから、彼女がどんなふうに美しいかなんてことを言葉をならべて説明する気はないよ。
ただなんつーか、彼女は”美人”という言葉がすべてを表わしている。美人、いい言葉だし便利な言葉だ。そしてその言葉は彼女のためにある。俺ならそう断言できる。まぁいいや、“美”の基準なんて人それぞれだしな。そんな美人がどうして俺なんかとつき合っていたのか、よくよく考えてみると謎だな。
でもそんな謎の関係も今日で終わり。
彼女が部屋に来なくなって2ヶ月。そろそろおかしいなとは思っていたが、今日やっと正式に別れ話をされている。


こうして向かい合って座っていると、彼女が俺に興味を失ったということがよく分かる。
目線がいっさい俺のところで止まらない。別にこちらの視線を避けているわけではなく、ただもう好きでもない男と過ごす今の時間が退屈なので落ち着かないだけなのだ。まるで始終舌打ちしているような表情だ(そんで、こっちは爪を噛んでいるか?)。
話している彼女の美しい顔に彼女の美しい前髪がはらりと落ちる。
今が野暮な別れ話の最中でなければ、かぶさった前髪を払うその優雅な動きに見惚れていたいものだ。以前なら見惚れていたものだったからね。
ところが今日の彼女は苛立っていてちっとも優雅じゃない。
そして、俺も彼女の美しさに見惚れるどころじゃない。吐き気がする。吐きそうだ。本当に吐いてもおかしくない。話なんかまともに聞いちゃいられないよ。


彼女が髪をかきあげて、また俺の背後にある鏡を使って自分の後ろをサッと見渡す。
怪訝そうな顔をして、それから煙草を指に挟んだまま、何かまた俺に向かって言っている。が、こっちはそれどころじゃなくてほとんど聞いてない。吐きそうだからだ。どんな言葉を使っているのかよく聞こえない。髪をかきあげるたびに上げた手首に巻かれた金属製のブレスレッドがガチャガチャと鳴るのだけがはっきり聞こえてくる。
彼女の前髪がまたパサリと顔にかかる。
苛立たしげに彼女がアクセサリを鳴らしながら髪をかきあげて、また鏡を見る。
うるさそうに頭を軽く振ってから髪に指を入れ、髪型を直す。女ってのは髪をいじくるのが好きだ。

 

今、彼女の髪をいじくってるのは彼女自身じゃない。彼女の後ろに浮かんでいる(?)

全身焼け焦げた女だ。

丸コゲ女は彼女が髪を直すとパッと出てきて、愛しそうに彼女の髪を撫で始め、だんだんと透明になっていき見えなくなった。そうすると彼女の前髪がまたパサリと落ちる。彼女はそれをうるさそうにかきあげる。
そうするとまた丸コゲが出てきて…。
吐きそうだろ?


そいつは髪の毛なんかもう燃えちまって無い。顔中ひどい火傷にただれた皮膚がまっピンクで体液にぬらぬらと光っている。鼻と耳はもうよく分からない形に溶けていて、唇は当然ない。歯が剥き出しなのでまるで笑ってるようにも見える。肩から下は陰に隠れてよく見えない。せめてもの救いか?焼け爛れて臭ってもきそうな感じだが実際は臭わない。でも、これだけ間近に見えれば臭ってても臭ってなくても臭ってるのと一緒だからクサイ!(あやうく叫びそうになるよ)
そんな、丸ごと焼かれた後とりあえずシャワーだけ浴びてきたようなヤツ(だから爛れてはいても煤けてはいないんだ)が、彼女の艶やかな髪を愛しそうに撫でている。細い首をかしげながら。そのせいかしらないけど鎖骨ちょと見えてない?
細い首と細い肩がなければ男だか女だか分かりゃしない。細い首と細い肩の男の丸コゲかもしれないな。でも、髪をいじくるのが好きなのは女だろ?

だから俺にはその丸コゲは女に見える。
ま、どっちにしても吐きそうになるほど気持ち悪いのは確かだ。
また彼女の髪を撫でている。だんだん消えていく。

消えた。
彼女の前髪がまたパサリと落ちる。彼女はそれをうるさそうにかきあげる。
かきあげる腕につけたブレスレッドがガラガラと鳴る。
そうするとまた丸コゲが出てきて…。
吐きそうだろ?


「とにかく、アンタの家に私あての電話が来たらS本さんのとこに電話するように言って。荷物は来月中に全部引き払うから。鍵はそんとき返すわ。いきなり取りに行くようなマネしなから安心して」
「へっ?キミ、S本さんのとこに居るのか?」
「なに今さら言ってんのよ!もう、まったく人の話聞いてないわね」
ああ、ごめん。聞いてなかったよ。
「S本さんて、彼女いなかったっけ?」
「いつの話してんの…。ワタシ行くわ。なんだか頭痛くなってきた…」
そうだろうね。あんなのに撫でられてたら。
「じゃ、もうサヨウナラ」
そう言って彼女はすばやく立ち上げるとバッグから財布を出し、千円札を1枚テーブルに置いて立ち去った。
あぁ、キミ…。
失恋したからって髪を切っちゃダメだよ。邪魔くさくてもしばらくは伸ばしていてくれ。
あぁ、失恋したのは俺の方か…。


残された俺はしばらくどうしようか考えた。
伝票をサッとめくって金額を確かめる。\1,200-と走り書きしてある。
じゃあ俺は200円足せばいいだけか。さらに600円足してエスプレッソもう1杯を飲んで落ち着くのもいい。
だけどエスプレッソって気分じゃない。フレンチローストってことは、よく焦がしてあるってことだろ?焦げた匂いは今は嗅ぎたくないな。

「すいませーん。水を一杯ください」

 


■ 情報収集をいう名目でストーキングする ■

S本さんの家がどこか聞き出すのは容易じゃない。
みんな、どうせ俺が彼女に未練タラタラでストーカーにでもなるんじゃないかって思うのかもしれない。どいつもこいつもこう言った。
「住所なんか聞いてどーすんの?待ち伏せでもすんの?ストーカー?」
おいおいおいおいおい。確かに彼女は惜しい。
だけどストーキングしたからって何かいい事あるわけじゃないだろ。つけまわして充実感を感じるような趣味は俺には無いよ。ヒマは、充分にありそうだけどね。
でもよ、だからって何でストーカーになるんだよ。ストーカー、ストーカーって。おまえら「ストーカー」言いたいだけちゃうんか。
俺はそこまで偏執的じゃない。
だけど、そこまでやるしかないか。


彼女のバイト先の近くで待つ。彼女のバイト先ってことは俺の前のバイト先で、S本さんが店長をやってる店だ。
ってことは、(店長は最後まで店にいるから)一緒に帰ったりするために彼女は遅番ばかりだったりするのか?
ということでまずは午後3時に店に行ってみる。外からS本さん以外に5人確認した。
今時分いないってことは、やっぱ遅番だな。
いったんその場を離れて、本屋に行って立ち読みし、飯を食ってカフェに行って時間を潰す。

しかしよく考えみると、俺に何が出来るのだろう。
頼むから髪を切らないでくれなんてことを二人の前で涙ながらに訴えてみるか。「コイツ、おまえにフラれてアタマがおかしくなったんじゃないか?つきまといやがって」、なんて言われたりするか。してみるか?
迷惑だろうなあ、前の男がアタマおかしくなって現れたりしたら。S本さんには俺も世話になったし、別にお二人の邪魔をするつもりはないんですがね。
でも、ボクが思うに、髪を切ると、きっと悪いことが起きるのではないかと、なんつーかこれでも一応ボクの昔の彼女ですから、心配になるじゃないですか。つきまとってんのは、ボクじゃなくて、あの丸コゲなんですよ…。


閉店間際までねばってカフェを出た後は、彼女らのいる店から駅へ続く道の店から逆方向に少し歩いて適当に暗くなったところで薄汚れたガードレールにもたれた。ここから店先が見える。そんでもって店を出て家路に向かう知り合いに見咎められることもない。
さっき車道を挟んで向かい側の歩道を歩いて、店の前を横切ったときに彼女の姿が見えた。制服だと少しだけダサいんだ。その方がいいんだよね。落差がね。
だけど今はあんまり良くない。だって後ろに丸コゲがぼんやり浮かんだり消えたりしてるから。ほんとボンヤリとしか見えないけど。見えたんだから間違いない。
あれをどうにかしないといけないんだけど。
どうすればいいのかよく分からない。そんなもん、分かるわけないじゃん。
だからこうして調査してるんだよ俺は。だから連中がどこに住んでるのか知りたいんだよ。情報収集だよ情報収集。


0時近くなって店の明かりも消えてバイトが一人二人と帰って行く。
ちぇっ、いいな。店閉めるときが一番楽しいよ。音楽止めてシンとなってさ、客が一人もいなくなってさ、疲れてっけど一日の終わり、解放感があってさ。開ける時とじゃ真逆だね。真逆。
お、二人が出てきた。この際だから三人って言っちゃうか?丸コゲも入れて。
ぷっ。笑い事じゃねーな。まずいと思うよ。ああも四六時中くっついてるってことは絶対何かあるよ。オオゴトになるよきっと。気をつけた方がいいよ。
ってことを何とか彼女に伝えなければならないのだが、どうやって説明して信じてもらえるのか分からない。っつーか無理だ。「じゃあどーしろっていうの?」、って話でもある。というようなことを考えながら二人(三人?ぷっ)の後を尾けていく。


1週間ほどそれをやった。今のところ彼女には何も起こってないようだ。
見守りながら、どうやってこの状況を解決すればいいか考えているのだが、それもよく見つからないまま毎日が過ぎてしまった。
彼女は垂れてくる前髪が邪魔なので髪を結ってみたりするのだが、丸コゲがそれを解いてしまうのですぐ垂れてくる。ゴムで結わえてもパチンと切られてしまう。
いいかげん抵抗するのは止めて、今はなるべく俯かないようにしている。そうすると髪が垂れてきても顔にかからないからだろう。変だよ?姿勢正し過ぎるよ?
俺はその様子を向かい側のビルの2階の階段の踊り場から見てる。煙草片手に紙パックの果汁を飲みながら。
ビル内の店が閉店時間になってしまうと追い出されて居場所が無いので、それからはいったん近くの公園に行ってコンビニで買ったサンドウィッチなどを食べた。彼女らの店の閉店時間が近づく頃、また店が見える場所まで移動して連中を待つ。


なんで1週間もそんなことをしているかっていうと、俺がマヌケすぎてS本さんの家がまだ分からないからだ。1日目は、何となく気が乗らなくて駅で二人を見送って、後は自分の家へひとりで帰った。
2日目は店の連中がそろって居酒屋へ行き、出てきたときは電車が終わっていて、みんなタクシーで帰って行った。俺は歩いて帰った。まさか歩いて帰れる距離じゃないと思っていたが、歩いてみると案外たどりつくものだった。途中、自転車に乗ったおまわりさんに止められて、身分証を改められたりしたが、まあそういうことは別に特別なことじゃない。不審なのは自分でよく分かっている。
この晩は歩き疲れたからかよく眠れた。
3日目は彼女は出勤してこなかった。それでも、もしかしたら閉店時間にS本さんを迎えに来るのではないかと思ったが来なかった。
じゃあいいや、と、思って、駅でS本さんを密かに見送って、自分が乗るほうの路線の切符を買って、改札を通って、なんかおかしいなぁ、と思って、ホームに上がるときに、あ、そーいえばS本さんの家を確かめるのが目的なんだから、別に彼女がいなくたってS本さんを尾けて行けば彼女がいるS本さんの家に着くじゃねーか、バカ!俺はバカ!と思った。
この日は自分のバカさ加減にほとんど笑いそうになり、その後、部屋へ帰っても眠れなくなって困った。

だからずっと彼女のことを考えていた。
二人の仲が何故上手くいかなくなったか、ということは考えなかった。別に昔の楽しかった頃を思い出していたわけでもなかった。
ただ、ぼんやりと彼女のきれいな顔を思い浮かべていた。


4日目は同じ電車に乗れたはずなのだが、前の晩に寝ていなかったせいか、不覚にも途中で寝てしまった。
気がつくと終点。もちろん戻る路線は終わっていた。駅からも追い出されて、仕方ないので駅前のロータリーで夜を明かし始発で帰った。始発電車に乗るとウトウトしてしまい、途中の乗り換えるべき駅を寝過ごし、そのまま終点まで行き、さらに戻ってきて、また寝過ごして乗り越した。慌てて降りて今度は座らずにいようと思ったが、朝早い車内はほとんど人が乗っていないのに立ちつづけるのは異常なことのように思えてやはり座った。なんとか目を開けて今度は寝過ごさずに目的の駅で降りた。
5日目は週末だったので駅がごった返しており、見失ってしまった。
行く方面は分かっているのでホームまで上がって探そうと思ったが、バッタリ会ったりする気まずさを思うと気持ちが挫けて行く気になれなかった。


6日目にして、とうとう二人の愛の巣を突き止めることができた。
S本さんの住んでいるところは、驚くほど大きな団地で、こういう建物は4人家族とかが住むものじゃないのか?と思ったが、そういえば昔、知り合いが住んでいた大きなマンションも何世帯かはワンルームみたいになってたと思い、ここもそういうふうに間取りがいくつもあるのだろうと思った。
それから、もちろんちゃんと分かっていたが(と、いうのはウソで、彼女らに続いて改札を出たときに初めて気づいたのだが)、自分の家に戻る電車はとうに終わってしまっているので、始発電車が動き始めるまで近所を歩き回ることした。
ま、どっちにしろこれも目的のひとつだから。

 


■ 現場を発見してシカトする ■

まずは駅から団地まで来てる。さらに少し進むことにする。
といっても土地鑑も何もないのでとりあえずグルリと一周する。団地のまわりは普通の一戸建てが並ぶ。このへんは住宅街で、駅方向へ行かなければコンビニもないような静かなところのようだ。と、いきなり犬に吠えられてビックリ。ものすごい獰猛な吠え方だ。ただし塀の向こうは真っ暗なのでどんな犬がどこから吠えているのかよく分からない。チェーンがチャリンチャリン鳴る音と、犬がシャアシャアと口を開け閉めする音がする。
なあ、俺の能力って何なんだろう。丸コゲみたいな見えないものが見えるといっても、犬が今は見えてないし、吠えられるかどうかなんて前もって察知できてるわけじゃない。
突然吠えられてドキドキしながら、そこらへんを大きく迂回して勘を頼りに駅方向へ歩いた。

深夜なので着いた駅前もひっそりと静まりかえっている。
踏切を渡って、反対側に出ると、この街はむしろこちら側が栄えているようで、レンガ敷きの商店街が伸びていく。外灯のついた柱のひとつひとつに造花が括りつけられている。物価は安いのかね?
店はもちろんどこもかしこもシャッターが降りている。
靴屋、薬局、美容室、八百屋、肉屋、路地、酒屋、化粧品店、民家、サ店。空き地…。
静かだ。時おり車が通ると風がおきてシャッターがガタガタ鳴る。歩いている人はいない。しばらく進んでみる。

 

見えてきた。
一角が暗い。
歩いていく。だんだんと近づいていく。ただし、俺はまっすぐ前を向いたまま行く。

火事があった場所だ。
といっても、もうとっくに更地になっている。
でも分かる。
確かに焦げた臭いがする。でも誰も気づかないだろう。俺にだけ分かる。
肉と、プラスチックが燃えた臭いがする。不快だ。吐きそうだ。
絶対にそちらに顔を向けたりはしない。しっかりと前を向いたまま歩く。
眼の隅にそれを捉える。

いたぞ。
何人かいる。
どいつもこいつも酷い有様だ。ほとんど真っ黒コゲ。そしてやっぱりヌメっと光っている。
3人(3つといったほうが的確か?幽霊の単位はなんだ?霊か?それなら3霊だ)。
俺は顔を進行方向に向けたまま、更地の前を横切っていく。歩くスピードは変えない。早くもなく遅くもなく。ちょっと早いかな。っつーかぎこちない。

 

彼らが俺に注意を向ける(のが分かった)。
俺は瞬時に頭の中を真っ白にして別のことを考える。
これは俺の得意技というか、今みたいなものが見える有り難くない能力のおかげで体得した、オリジナルの憑りつかれない方だ。
何も見えてない、何も気づいてない、という格好で過ぎて行けば、何か特別の理由、彼らが憑りつく理由が無ければ追われることはない。というのが今までの経験だ。
俺は全然関係無いことを考えるためのビジョンを描いた。
(今夜まで洗濯をしなかった、ということは、靴下とパンツの替えがもう無いかもしれないってことだ!)←ビジョン
そして、今朝見たクロゼットの中に無造作に放り込まれた下着類の記憶映像(?)を思い出そうと記憶を辿る。そうやって頭の中を全然関係無い方へ持って行った。
クロゼット内の洗濯袋の中で紺色のハンカチの上にグレーのトランクスが重なってたな。あとまったく同じソックス2足が1組のほうは毛玉だらけだから、それ同士でセットにしないと右毛玉ありと左毛玉なしとかのカップリングになっちゃう懸案あり。←ビジョン

 

そのとき、後ろから小学生くらいの子供の声で

「お姉ちゃんが持ってったから…」

と、ささやく声が聞こえた。
ほとんど耳元で聴こえた。だが、俺は思いっきり無視して歩きつづけた。明日洗濯、明日洗濯、明日洗濯(口に出して言いたい日本語)。
ひんやりした風の感触を首筋に感じた直後、熱い息がかかったような気がした。尻をポンと叩かれたような気もしたが、俺は弛緩した身体を硬直させるようなヘマはしない。
思いっきり無視して歩きつづけた。止まったら終いだ。
さらにさらにずーっと歩きつづけた。歩きながら、紺色のパンツと灰色パンツと他に何色のパンツ(すべてボクサーショーツ)を何枚自分が所有しているか思い出せるかどうか試していた。ほとんど思い出せなかった。後々確かめたときに、何故思い出せなかったのか分からなかったが、一番持っているのは黒色だった。
全然関係ないけどね。

気配というか、その存在感が後ろに遠ざかった後もしばらく歩き続け、線路沿いから大きく外れないように軌道を修正しながら隣の駅まで辿りついた。
近くの駐車場の車の間で立小便をし、コンビニでオニギリとお茶を買い、今度は純粋に見知らぬ街の商店街を見物し、まあシャッター見物だけどね、それで時間をつぶして始発で帰った。疲れたね。

 


■ 事件が起きて殴られる ■

毎日のように踊り場で何時間も佇みながら店での彼女を見張るのにちょっと飽きてきた。
実際、テナントビル内で長時間たたずむのも心苦しくなってきた頃だ。
俺は、その日は別の場所に移動した。本当は、彼女たちがどこにいるのか分かったんだから、見張る必要なんてなかったんだが。
それで、前にもそうしたことがある(って、ビル閉鎖後はいつも最終的にここへ来るのだが)駅への道の逆方向のガードレールにもたれていた。

しかしまぁこの、普通の人には見えない何かが見える、一般的には霊が見えるってやつだけど、この能力?能力というにはずいぶん貧弱な機能なんだよな。
だから俺は何か特別な力があるとかいうんじゃなくて、単に他の人と脳の配線が少し違うだけだ。そんでさ、見えたから何さ?別にこっちは手のひらから波動が出てその何かを撃退できたりするわけじゃないわけよ。ただ見えるだけなんだから。

俺、試したことあんだよ。波動じゃないよ。ある場所に、常に、いっつも立ってるソレがいたわけ。俺がその近所に引っ越してきてから半年くらい経ってたけど、ずーっといるんだよ。朝、昼、晩。そりゃまぁこっちも四六時中監視してたわけじゃないから、たまにはどっかに行ってたかもしれないけどね。いずれにせよいつから居るかも知らなかったけど。
ある日、まわりに誰もいないことをよくよく確かめて、ソレに話しかけてみたのよ。いや実際のはなし、見た目には弱々しそうな老人に見えたから出来たと思うんだけどね。
赤い郵便ポストの横に立ってさ、マネキンみたいにちょっとも動かない。で、道路の方をまっすぐ向いてる。俺はポストを挟んで横に並んで、やっぱり道路を走る車を見ながらボソボソ訊いたのよ。

「何してるんですか?」

いやはや幽霊にはどうやって話しかけるものなのかなんて今も分かんないからね。一応老人の姿をしてるから敬語使ってみたんだけど。
反応ナシ。いっさいナシ。微動だにしなかったね。置きモンだよ、あれじゃ。
ぴくりとも動かないから、ただ立ってるだけの状態、まあ正確には浮かんでたけど、何の意味も無いんだろうなぁと思って、それからは気にするのをやめた。
さすがに押したり引いたりはする気になれなかったから触ってみようなんて手を伸ばしたことはなかったけど、あるときなんかダンボール箱と重なった状態だったからね。ポストの横に、たぶんゴミだと思うんだけどダンボール箱が置いてあったわけ。ソレが立ってるところに。だからその分見えてないっつーか。でも何も変わらなかった。ただぼんやりした状態でそこに居たんだよ。

それからまた半年くらい経った後。近所のツブれたのかなんかしらないけど閉まったままだったトンカツ屋の建物が火事で燃えた。期待すんなよ、誰も火事では死ななかった。
俺はそのとき高校生だったんだけど、偶然火事のときに通りかかって眺めてたんだ。乾燥した季節だったからけっこう盛大に燃えててね。
最初は思い出さなかったんだけど、あ、そーか、と。気づいてポストの所に行ったわけ。道路挟んで火事現場から真向かい。

いたよ、ソレが。いつもどおり。不思議なもんで火に照らされてるかのようにいつもよりはっきり見えた。それで、俺はちょっと怖い気持ちもあったんだけど、火事場って他人事ならなんとなく興奮もしてくるでしょ?だから野次馬に押された感じもあってポストのところにだんだん近づくことになったんだよ。けっきょく前みたいに横に立って。しばらく盛大に燃えてるのを眺めてて、ふっと横見たら、ソレが俺の方を向いた。
俺の見て、悲しそうな顔して、消えた。フェードアウト。

 

 

煙草に火をつけていると、
「ちょっとっ!何してんのよ!?」
と、突然キツイ言葉を投げかけられて、あやうくライターを落としそうになった。
「うおっととと…。いやあ、まぁ…」
困ったなぁと思いながら、ひょいと頭を上げて彼女の方振り向くと、なんと彼女は髪をバッサリと切っていた!
それで今度はくわえていた煙草まで落としそうになるほどうろたえてしまった。
「な、な、な…。髪を切ったんだね…」
「悪い?別にアンタとのこととか、まあ関係なくはないけど。とにかく気分転換よ。さっぱりしたわ。ところでさ、何やってんの?ここで」
何って煙草をね、煙草を吸ってたところ…。
「アンタ、最近なんかいっつもこのへんで」
(それは遮らないと)「あーーー!!もしかして、今、切ってきた?」
「…そ。たった今、そこの美容院で切ってきたところ。あーあ、せっかくイメチェンしたのに最初に見せたのがアンタなんて!」
と彼女は忌々しそうに言った後、ふと寂しげな表情をして、

「これからバイトだから。じゃぁ」
と、言って行ってしまった。
寂しげというより、憐れんだような顔だったな。俺を憐れんでた。俺たち二人を憐れんでいたよ、きっと…。


キキィィーッ、バンッ!

車道を横切った彼女が、車にはねられるところを俺は見なかった。
たった今、彼女に出くわしてしまったことでうろたえたまま下を向いていたからだ。
大きな音がしてすぐにそちらの方を向き、居てもおかしくない位置に彼女が見えないのですぐさま駆け出した。
停まっている車の前に出ると、彼女が倒れている。
俺は足ががくがくして膝が抜けそうになり、ほとんど倒れかかるように彼女の横に膝をついた。触ったりしていいものか分からず、とりあえず生きているのか死んでいるのか確かめようと思って手首に触れたが、持ち上げて骨が折れていたりしたら怖いので動かさずに脈を取ろうとした。だが、こちらも動転しているし、さわっているだけでは脈があるかなんて全然分からなかった。だいたい、女の人ってのはなんで手首に2本も3本もブレスレッドをしてるんだい。
隣りに来た男が携帯電話で救急車を呼んでいる。運転してたヤツか?人が集まってきた気配がする。頭の中がぐわんぐわんと鳴った。俺は何をしていたんだ!危険があるって何で早く言わなかったんだ!

彼女の顔に触りたかったが、それもそうして良いのか分からず、手を伸ばして顔の前にかざしたままになっていた。彼女の美しかった顔が…。
そのとき、ものすごい力で後ろに引きずられた。
「おらあああああああ!テメーがやったのかっ!」
S本さんが俺の首根っこを掴んで無理矢理立ち上がらせる。
「いっつも待ち伏せしてんの知ってんだぞ!このストーカーがー!」
1発顎に入る。こっちはハナっから身体がぐにゃぐにゃなので、そのまま倒れたかったのだが、反対側の手で胸ぐらを掴まれたままなので、もう1発もらう。そして胸の当たりに膝蹴り。これで倒れさせてもらう。で、腿に蹴りを一つ。それで勘弁してもらう。誰かが俺を押さえつける。S本さんは彼女の方へ跪く。

俺はアスファルトに頬擦りしながら、S本さんの背中越しに丸こげ女の姿を認める。彼女を見下ろしているのか。
ちぇっ、おまえ、そーゆー手をつかうんかよ…。
野次馬が俺まで囲んでやがる。っていうか痛い。っていうか救急車まだかよ。彼女を早く病院へ…。

救急車が来て、彼女と付き添ったS本さんを乗せて走り去って、俺はS本さんの店のバイトの若いヤツに首根っこを掴まれたままだった。
別にどっかへ行こうとは思ってはなかったので、俺は静かに座っていた。
警官が俺たちのところへ来た。
バイトの若いヤツが何か説明していたが、俺には聞こえなかった。頭の中でさっきの出来事が何度も何度もフィードバックしてきた。


「せっかくイメチェンしたのに最初に見るのがアンタなんて!」
バンッ!


最初もなにも、唯一じゃねーか、それじゃ。
すれ違った人々をのぞけば、美容院の連中と俺だけかよ、彼女のショートカットをまともに見たのは。誰の記憶に残るだろうか。
俺は長かった頃の方がいいと思うけど、イメチェンした彼女もやっぱり美しかった。髪を切ると大人っぽくなるね。月並みな言い方かしら。
あーあ。ウソだろ、ウソだろ…。


目撃者が多数いたので、俺が何か犯人と呼ばれるようなことにはならなかったが、S本さんの店の連中が俺のストーカー行為をさんざん宣伝してくれたおかげで、警察署まで連れて行かれて調書?まで取られた。もしかしたら俺から逃げるために歩道に飛び出したって可能性もあるんだからな、と言われた。
俺に解決できるのかできないのか分からないまま、あんなことにして確かに彼女を怖がらせたのかもしれない。なんと!俺が悪いのかやっぱり。
そして、しばらく小部屋で待たされた後、後日もう一度事情を聞くかもしれないので旅行など控えるように、と言われて帰されることになった。

「彼女は?どうなりました?」
「命に別状ないそうだ。意識もはっきりしている。大丈夫だろう。とにかく、おまえにはもう関係無い。忘れなさい。まさか被害届なんて出さないだろうな?」
え?被害届?俺が?ああ、S本さんに殴られたから?
「出しませんよ、さすがに」。

 


■ 解決法を死人からほのめかされる ■

しばらくはボーっと過ごした。
部屋を見渡すと、そういえば彼女の物がまだたくさん残っている。
分けるのが面倒なのはCDと本だが、きっと彼女は全部置いていくだろう。
そして俺は今後、何の気なしに取り出したCDが、これは彼女が自分で買った物だと、そのときになって急に思い出したりしてションボリするのだ。
いやまあそれ以前に、このまっ黄色のクッションとか、旅行カバンとか、敷いてあるラグ、食器類、クロゼットのほとんどを占めている冬服だとか、いつどうやって持って行くのだろう。俺が部屋にいないスケジュール表をドアの前にでも貼っておくか。
バカか俺は。メールすりゃいいだろ。


S本さんから一度電話があった。今度、彼女の前に現れたら殺す、と言われた。威勢がいいね元ラグビー部。
「もちろん、そうしたいですが…。いえっ!何でもないです。そうします。ハイそうしますよー」


事故から10日ほど過ぎてから、俺は彼女の持ち物を段ボールに詰めた。
けっこうな量になったし、玄関の方に積み上げたら部屋がずいぶんと広くなった。俺も引越ししないといかんな。
それからどうしても気になったので電車に乗ってS本さんの家まで行くことにする。いつどういうタイミングでS本さんに会うか分からないのでやっぱり夜中に。

そして、あの商店街を通る。

例の場所は相変わらず更地だ。彼らはいた。やっぱり3人だ。

またしても俺は知らん顔をして通り過ぎ、またしても小学生がささやいた。

「お姉ちゃんが…」
それもまたもやシカトして俺はずんずん歩き続けた。ところが背中が妙に重たくなってきた。冷や汗が出る。う゛~ん。

ほとんど屈み込みそうなりながら自販機の前に辿りつき、缶ジュースを買った。

ガランと出てきた缶を取って、観念して振り返ると、目の前にジジイが立っている!

「…?」

お爺さんが言う。

「お姉ちゃんが、アノ人ガ持ッテッタカラ行ケナイって言うんだ。僕たち一緒に行けるように僕が神様にお願いしたのに。みんなもう待てないって言うんだ」

「……」

「お姉ちゃんが、他ノ人ガ着ケテイルノハ堪エラレナイって言うんだ」

「知るかよ…」(小声でつぶやいてみた)

「お兄ちゃんなら、なんとかしてくれるんじゃないの?」

俺かよ…。

「お姉ちゃんの名前は?」

「お姉ちゃんの名前は××だよ」

お爺さんは俺を見つめ、そして財布から小銭を取り出し、「あの、ちょっと…」と言った。

「へっ?あ、すんません」(なんだ正気に戻ったのかよ!)
俺は自販機から身体をずらした。お爺さんは缶ジュースを買って、去った。

それから毎晩、S本さんの住む建物の斜め向かいにある団地の外階段の踊り場から、帰宅するS本さんを見張った。

 

 

何度か女性と連れ立って帰って来るのを見かけた。その女性は俺の元彼女ではない(まだ入院しているのだろうか?)。
そして、その見知らぬ女性の後ろにも時々あの丸コゲの女がくっついていた。遠くから見ると、透けて見えそうなのに、外灯に反射してやはりぬめりが光っていた。
憑かれているのはS本さんだ。さて、どーするか?


ある晩、やはりS本さんは女を連れ帰った。そのときは例の丸コゲ(例のじゃなくて、霊のつったほうがいいか?)は見えなかった。
終電ぎりぎりまで待つことにする。何を待つのかって?何か分かるきっかけを待ってるんだ。
しばらくして、一人の女がS本さんの部屋を訪ねてきた。
あちゃー。あのですね、今、あなたのS本さんは別の女と一緒ですよお。
ハラハラしながら踊り場から見守っていると、ドアの前で何か言い争ってる感じ。そのうち、後から来た女は部屋の中に何か投げ込むと帰って行った。
10分くらいして、突然ドアが開いて部屋にいた女が走り出た。足早にエントランスから出て行く。続いてS本さんが出てくる。女を追いかけていく。

 


■ 侵入して遭遇して発見して逃げる ■

よっしゃ。これか!俺が待ってたのは。

俺は急いで階段を降りて、一目散にS本さんの部屋へ行く。
といっても走ったりしないし、キョロキョロ周りを見渡したりもしないさ。口笛でも吹きそうな雰囲気でぷらぷらとドアにたどりつき、自然な仕草、のつもりでさっと扉を開ける。
すばやく中に入りドアを静か~に閉める。

すると、目の前に丸コゲが浮かんでた。うわっ!脅かすなよ!叫びそうになった。

思わず後ずさってドアにガンとぶつかった。丸コゲ女はパッと消えた。

俺は気を取り直し、急いで靴を脱いで脱いだ靴を持って居間に入り、正面の窓を開けてベランダに靴を置いた。それから部屋を見渡し、「どこだ?」とつぶやいた。
返答ナシ。まあ返答があっても何かそれはイヤなんだけど。

そうか。

玄関に戻る。丸コゲ女が出てきた。うわっ、もう少し下がってくれないですかね。


「髪ヲ切レッテ言ウカラ、私切ッタノニ…」


(ぶつくさ言うなよ、あんたもう死んでんだから)と、言いたい…。
これか。床に落ちているブレスレッドを拾うと、アッツ!燃えるように熱い。
分かってる。ウソだ、そんなの。俺はアッチッチッチと言いながらそれをポケットに入れて、ベランダに出て靴を履き、するりと柵を乗り越えてそのまま振り返らずに競歩で逃げた(とにかく走っちゃいけないんだよ)。

 

駅へ向かおうと思ったが、最短距離で行くとS本さんとバッタリ会ってしまうかもしれないと思い、住宅街の一角でどうしようかと少し悩んだ。歩いているうちにどんどんどんどん背中が重くなっていく。担いだよ。
これ読んでるあんたたちに幸いにしてパートナーがいるのなら、ちょっくら肩の上に手を乗せてもらってそこへ全体重を掛けてもらってみてくれ。
そんな感じ。今、俺は一人じゃないってな。もっとも、背負ってるのは人間じゃねーんだけどね、とほほ。

チャリンチャリンとチェーンを引きずる音がする。そういや前に吠えられた家の前だ。音のするほうに目をやると、生垣の隙間から犬がこちらを見ているのが見える。吠えてはこなかったが、ずっと俺を見ていた。目って光るよな。

うーん、と。その目は俺じゃなくて、俺の背後を見ていた。
そんでもって俺は小声で犬に向かって話し掛けた。


「行きがかり上、僕はこうしてブレスレットを持ってますけどね、そもそもアナタは何故ブレスレットに執着しているのですか。いや、そもそもそもそも長い髪に執着してたのではないのですか。そもそもそもそもそもそもS本氏に未練があったわけで、だったらS本氏に何かすればいいじゃないですか。って、なんかしちゃいけないんですがね。…。ほら、あの、弟さんたちが心配してましたよ。僕は弟さんに言われてきたんですから」


と犬に話しているうちに重かった肩が少しずつ軽くなってきたので、俺はぶつぶつ言いながら歩き始めた。幽霊に道理を説くってワケわからんけど。
犬は吼えずにずっとこちらを凝視していた。

 


■ 律儀に後始末をしに行く ■

それからずーっと遠回りをして隣の駅へ向かった。
始発で部屋へ帰り、シャワーを浴びてスーツを着てまたすぐ出かけた。
おっと、これを忘れちゃいけない。
夜着ていたジャケのポケットからブレスレットを取り出し、そのへんにあった封筒に入れてスーツの胸ポケットに入れた。

もう何度来たか思い出せない駅で降り商店街を進む。(定期券買えばよかった。ってか!)
あの更地の隣りにある文房具屋が開いていたので入る。
「すみません。あの、以前隣りに住んでいた…」
と、切り出したら、相手はこの前に夜中に会ったお爺さんだった。
「あー…。○○さんのこと?」
そして少し不審そうな顔で
「おたく、お知り合いの方?」
「はい。あの、××さんの知人で。その…、亡くなられたことを今まで知らなくてですね…。ご焼香させていただきたいのですが。そのー、ご遺族の方はどちらにいらっしゃるかご存知でしたら教えていただきたいのですが」
「あーそう…。ちょっと待ってもらえますか」
そういってお爺さんは住所を書いた紙を持ってきた。
家族全員が亡くなったので、ご主人の実家の方に引き取られたとか言って、住所は高知県になっていた。
事情は知ってる?と訊かれ、「ええまぁ」、と答えると、
「まさか、××ちゃんが自分で火をつけるとはねぇ」、と言っていた。
「おたく、どっかで会ったことなかったっけ?」、とは言われなかった。


俺は店でレターセットとサインペンを買い、それからファーストフード店に入り、適当な手紙を書いた。
~生前、××さんが非常に大切にしていたものですので云々~。
後は知るか。そっちでどーにかしてくれよ。
と、いうのも、俺は何となくもう既に事は終わった気がしていた。

おそらく、S本さんのところからこれを持ってきた時点で、丸コゲの怨念も霧散したと思う。ブレスレッドを持ってても今は熱く感じない。書き終えて手紙とブレスレッドを封筒に入れ、郵便局で切手を買って投函した後、また更地に戻り、あらためて眺めてみたが、もう別に暗い気も感じなかった。
憑きものの憑きものが取れたのだ。分かる?憑きものの憑きものも取れるんだよ。


俺が更地を眺めていると、隣りの文房具屋のお爺さんが出てきた。
「あれ?あんたどっかで会わなかったっけ?」
さっき、話したじゃねーか(正気じゃねーじゃん!)。
「いや、会いませんよ」
と、言って俺はその場を去った。


それから何日か過ぎた。
一度だけ公衆電話を使って彼女の携帯を鳴らした。
「はい?」
と彼女の声が聞こえた瞬間、切った。切る予定だったから公衆電話でかけたんだよ。俺は根性ないね。もしかすると彼女は事情を分かって俺の携帯にかけてきてくれるかもしれない、と思ったが、それは期待はずれに終わった。

 


■ 解決してエンディング ■

それから1週間ほどして彼女から連絡がきた。
最初は、俺が部屋にいないときに荷物を運ぶといっていたが、なんとか説得して、俺も居合わせることにしてもらった。
その日、彼女は業者と一緒にきて、あらかじめ俺が積めておいた荷物をあっという間に運び終わった。


「手間が省けたわ」
「いや、まぁ。ヒマだったし。ところで…、S本さんとはまだ続いてるのかな?」
「とっくに別れた。なんかあの人ヤバかった」
「うん…」
「私以外にも何人かつきあってる?女がいたみたいで」
「みんな、事故ったり、病気になったりしてバレた?」
そこで彼女はハッとして手で口を押さえた。
「いやいや、キミにあんなことがあったからさ」
彼女は気味悪そうに俺を見た。そして、
「私が車にどうしてぶつかったのか知ってる?」
と訊いてきた。
「見てなかったけど、分かるよ。押されたか引っ張られたかしたんだろ?」
「引っ張られたのよ。腕を。っていうかそのときつけてたブレスレットを」
「あー…。あっ」やべっ。
「アンタなんか知ってんでしょ。アンタそーゆー人だもんね」
どーゆー人だよ…。
それから急によそよそしくなって、荷物の運び先に居なくてはいけないから、と言って出て行った。

 

サヨウナラとか、そういう言葉もなかったが、手は振っていった。
それからもう二度と会わなかった。後で「バイトはやめた」というメールだけもらった。
S本さんと別れたんだったら、もう何か起こるとは思えなかった。
こっちとももう別れて他人になってしまった人だ。ちょっとコケたとか、風邪をひいたとか、事故に遭ったとか、幸せになったとかならないとか、もうそこまで気にしても仕方ないことだ。


ということで、これで俺の話は仕舞い。
教訓があるとすれば、別れた女につきまとうとロクなことがない。です。
種明かしとかもないんだよ。どんなことがあってS本さんに××さんが憑りつくことになって、それで何で俺の彼女(元カノか)に憑りついて髪を撫でてたかなんてさ、俺には分からない。整合性を求めるんなら、そもそも怨念だとか幽霊なんて整合性ないだろ。

 


■ あとがきの能書き ■

俺が生まれながらにして持っているこの能力?
正直、本当に役に立たない
そうだねえ、危機管理の一番浮かばれない部分というか。

右に行くとヤバそうだと感じる。まあ感じるというより、行く道の先のほうに確かに見えてたりする。仕方ないので左へ行く。ただそれだけ。それで何かいいことが起こるわけじゃない。何も起きないだけ。何も起きないことにいちいち感動してられるかって。
でもまぁそれで、俺は俺でつつがなく生きてきたつもりだ。

ところが、これが他人と一緒のときだと少々厄介になる。
右へ行くとヤバそうだと感じる。じゃあってんで左へ行こうと誘う。もちろん俺にしか事情は分かってないから、何でわざわざ遠回りするのか、ってことになるよね。いやまあ、あっちに行くと桜がキレイだよとかわけの分からないことを言って何とか連れて行く。当然、桜なんてキレイじゃないから、俺は白い目で見られる(危険を回避したってのに)。


そして、行く人を見送るときはもっと厄介だ。
そのまま行ってしまうとヤバいもんにぶつかるよ、と思っても、そのままを伝えることはできない。バカじゃないんだからぶつかりそうなものがあれば避けますってなもんだ。当たり前だよな。
あなたには見えてないものがある。なんて言い始めたら、狂人かと思われる。思われても仕方ないんだけどね。みんなには見えなくて、俺だけに見えてるんだもの。


だから、たとえば別れ際なら、引き止めてみたりしてみる。
あ、そーいえば明日はどうする?その話は何度もした。
もう少し、お茶でも飲んで話でもしないか?なんだ俺は寂しがり屋さんか。
右に行くやつを左へ誘導できなければ、右のほうが風通しが良くなるまで引き止めるくらいしか俺には手が無い。こっち行かないの?こっち行けば?急いでるの?まーまー。
なんかウザい人だよねー。


で、けっきょくそのまま右へ行っても何も起こらないかもしれない。あっちもあっちで誰彼かまわず憑りつくわけじゃない。で、憑りついたからって即なにかが起こるとも限らな
い。

俺の言う通りにして遠回りしてみたところで、お金の詰まった財布を拾うわけでもないし、シカトしてそのまま進んで行ったからってバナナの皮で転ぶわけじゃない。別に何かおかしなことが起きるこがあるとは限らない。あることもあるのだけどね。

いや実は、じっさいは何かあることのほうが多い。

だから、本当は俺の言うことをきいておいたほうがいいんだけどね…。